第三章 魔女と猫(5)

 ネロの言葉が刃となって、ぐさりと胸に突き刺さった気分だった。言葉の暴力は、時に本物の暴力よりも体をむしばむ。ネロは、寸分の狂いなく的確に相手の弱点を突いた。

 そう、イザベラには、なんの力も、なんの能もない。そんなことは分かっている。本人が誰より一番、骨身にしみて――

 それが、イザベラの最大のコンプレックスなのだ。悔しさに瞼が震えた。

「う、うるさい! それがなによ、能力が人間の魅力のすべてじゃない! あたしには、表面にはわからない、湧き出る魅力があるんだから」

「へーえ。わからないな。どこにあるんだ? 具体的には?」

「おまえ、あたしを怒らせたわね」

 ネロが目を伏せて、聞き取れない囁き声で何かの呪文を詠唱した。

あっというまに、イザベラの掌から、光のボールが消滅した。ネロが身体を丸めると、黒い煙にまかれて、一気に胴体が膨らんだ。

 彼が身体を起こすと、人間の大きさになっていた。

 十四歳くらいの少年に変身したのだ。

 野性的な浅黒い肌に、褐色の短髪を逆立てている。黒ずくめの軽装がよく似合っていた。一歩二歩と、間を詰めてくる。腕にびりびりと鳴る雷の塊を抱えて、イザベラに向かって放り投げた。腰が抜けて、

 ――だめ、避けきれない。

 雷鳴がせまって、ぶち当たる寸前のところで、あたり一帯が闇に包まれた。

 急に太陽を隠されたような、真の闇だった。

 イザベラが目を白黒させていると、聞き覚えのある声がした。

「悪い予感は的中、ですね」

 イザベラの目の前に、頼もしい白い背中の人物が立っていた。白衣をなびかせ振り向いて、包み込むように微笑んでくる。

「センセイ!」

 突如、現れたこの闇は、ヒースが操っているらしい。どんな魔法を使ったのか、あっさりと、ネロの攻撃を吸収して霧散させてしまった。

「やはり、あなたはどうしたって目立つ。あまり心配させないでください」

「どうし、て――」

 イザベラは、その場にへたりこんだ。

 なぜヒースがここにいるのか。

 それに、どうして彼に、魔法を使う猫と戦う力があるのか。普通の人間ではないのか? さまざまな疑問が、浮かんでは消えていく。

「ベラ君、道端で喧嘩なんて買ってはいけませんよ。それに、あなたの白魔法に攻撃力がないなんて、とうに察していました」

 ぎくりと心臓が跳ねた。

 ばれていた?

 最初の脅しが、ハッタリだったこと。

 イザベラは震える指で拳をつくった。

「……じゃあ、どうして……センセイは、あたしを助けてくれたの? 助けたってなんの利点もないのに。あのまま、森に棄てることだってできたのに。今だって」

 何も答えずに白い歯を覗かせて、ヒースは人懐っこい笑みを見せた。頼もしい背中に見とれる。これじゃあ、まるで正義のヒーローだ。助けるのに理由なんか必要ない、と言わんばかりの。

 妙に心臓が激しく鳴って立ち上がれないのは、危機を逃れて安心したせいだろうか?

「ベラ君、御手を」

 優しく手を差し伸べてきたヒースに、ゆるゆると右手を伸ばした。手を借りて、イザベラは立ち上がる。

「昼間っからイチャイチャしてんじゃねーよ、俺らのこと無視すんな、こらあああ!」

 五メートルほど距離を話したオリーブの木の下で叫んだのは、人間姿のネロだった。

 傍らには、長衣の懐から魔法の杖を取り出したルララが、両手で不器用につかみ、頬を染めて悶えていた。

「か、か、か、かっ……」

「どうした、ルララ」

「かっこいい……!」

「は……?」

 ルララの隣に構えているネロの目が点になった。対照的に、ルララは胸元に杖を抱きしめ、崇拝ポーズになって跪いていた。

 その様子に気付いたヒースは、一歩二歩と近づいて社交的に振る舞った。

「こんにちは。僕はヒースクリフと申します。失礼ながら、あなたは魔女ルララですね? 折り入って、お話したいことがございます。よかったら今夜、僕の家に――」

「行きますっ!」

 目の形をくっきりとハートにして、ルララは即答した。

「あのあの、わたしたち、以前どこかで会ったことある? なんだかとっても懐かしい気持ちになるの」

「ええ、僕もつい先日までランプフィルド王国に勤めていましたから。一度や二度は、廊下ですれ違ったことがあるかと思いますよ」

「そうよねそうよね!」

 ネロは猫の姿に戻ると、ルララの背中によじのぼろうと、爪を立てて前足を交互にのばした。しかし、光沢のある長衣はずるずると上滑りするばかりだった。

「おいルララてめえ、マジでふざけんな。会話にヒロインっぽいフラグ立ててんじゃねえよ、へっぽこのくせに!」

「ねえネロ、ねえネロ、あの人、かっこいいよね?」 

「俺に同意を求めるなっ!」

「わたし、実は白衣フェチなの!」

「魔女のクセに黒衣じゃなくて白衣かよっ!」

「眼鏡もポイント高いわ!」

「さっきから外見ばっかじゃねーか」

「どうしよう! デートに誘われちゃった!」

「1000パーセントデートじゃねえよ!」

 照れ隠しのように、ルララは杖の穂先でネロの背中をごんごんと叩いた。杖を前脚で振り払い、ネロは半眼でにらみつける。

「おまえな……我が主人ながら、アホすぎて手に負えないぞ。どう考えても脈がないとは思わないか……?」

「ふぇ? なにが?」

「もういい、勝手にしろ……」

 ネロはあきれ果て、あくびのような溜息をつく。

 この場は、一時休戦となったのだった。


 ***


「ほわわー。屋根があるー! 壁があるー! なんて、すてきな部屋……。ほんとうに、ほんとうにわたしたち、今日からここに住んでいいの?」

 ヒースの家に案内されたルララは、目を宝石のようにきらきらと輝かせた。その隣にいるネロは、狭く汚い小屋を見回し、うんざりと頭を俯かせていたが。

 なんとルララとネロは、節約のために定住地を持たず、町をさすらいながら今日まで、野宿や安宿などで過ごしてきたらしい。イザベラにはとても無理なことだ。ぼんやりした見た目よりも、よほど根性があるのかもしれない。

 ルララとネロにも、寝床を提供する。そんな安請け合いは、もちろんヒースの一存だった。

「どうぞ、どうぞ。僕の可愛い生徒、ベラ君に協力してくれるなら、お安い御用です。狭いところで恐縮ですが、寛いでくださいね」

「ありがとう、ヒース様!」

 ヒース様って……と、イザベラは突っ込みたくなった。ネロも面白くないと書かれた顔で、ふてくされている。

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