第三章 魔女と猫(3)
前脚を振りかぶり、ぽかすかとルララの頭を殴る。
「寝ながら喋るな、ルララ! 目ぇ覚ませ、へっぽこ魔女!」
「いたい、いたい、やめてえ、ネロ」
ルララは両手で猫の胴体を持ち上げた。胸元に抱き寄せる。その椅子は当人には不満らしく、黒猫は、白い歯を光らせて抵抗をはじめた。
「こぉら離しやがれ。猫扱いすんな!」
「だって猫じゃんー。それに、外で待っててって言ったでしょ?」
じたばたする黒猫を、ルララは腕を回しておさえつける。放っておいたら、延々と二人で、素人漫才を続けそうだ。
イザベラはオホンと咳払いすると、話を進めた。
「……ルララ。あなた、どうして巫女のくせに、服屋で働いてるわけ?」
「ことの顛末は、俺が説明する。こいつの口じゃ、説明ベタで要領を得ないからな」
ようやくルララの拘束から逃れた猫は、トン、と地に四本の足をつけた。まっすぐに背筋を伸ばし、長いしっぽも優雅に伸ばす。
誇り高く、名乗った。
「俺の名はネロ。魔女モロイの忠実なる使い魔だ」
魔女モロイ?
イザベラはその名前を知っていた。『モロイ』は、長年ランプフィルドのために働いてくれた世紀の大巫女だった。基本的にプリエガーレは未婚の若い女で構成される役職だが、モロイだけは晩年まで勤め上げ、若い巫女たちの指南役だった。彼女は去年、病気で亡くなったはずだ。でも、モロイは魔女ではない。巫女だ。
「それって、どういうこと――」
そのとき、店の奥からエプロンを掛けた女店主がやってきて、声を荒げた。
「おまえ、なにをサボってる!」
***
人目を避けて、一同はミルフィ通りの裏手にある里山林にやってきた。立木が伐採されて、ちょっとした広場になっている場所で、足を止める。
オリーブの木々から、午後の木漏れ日が差し込んでいた。
紫色の長衣に、肘までのグローブ、とんがり帽子、黒いエナメルブーツという純正の魔女ルックに着替えてきたルララは、切り株に座って溜息を吐いた。その恰好は、先ほどのマヌカンの恰好や、巫女服よりも似合っていた。
「ふうわあー、また無職に逆戻りだぁー」
勤務中に、猫と少女に油を売ったせいで、ルララはあっさり解雇されてしまったのだ。
「悪かったわよ……邪魔しちゃって」
向かいに立ったイザベラが謝ると、すかさず、ルララが隣にいるネロを指さした。
「あ、ちがいます、姫様のせいじゃありません。ネロが勝手についてきたからぁ!」
「俺のせいでもねえよ! どうせこいつは、連日売上ノルマを達成してない。今日で挽回できなけりゃ最後だって、店長から最後通牒を言い渡されてたんだ。当然の結果だぜ」
ネロは息を吸い込むと、ルララの膝に乗りあげて、早口でまくしたてた。
「てめえは誇り高い魔女モロイの一番弟子だっつーのに、ランプフィルド王国をクビになってからというもの、どこの薬屋にも占い館にも就職できず、日銭を稼ぐためにバイトしてたんじゃねーか。皿洗いだの、バナナ売りだの、お針子だの、果てには服屋の店員だぁ? しかも、どこも一週間も持たずにクビになるし。てめえに魔女の誇りはないのかよ! いいかルララ、どこも雇ってくれないなら、魔女として独立するくらいの気概を持て!」
「しょうがないじゃんー、わたしはまだ独立するほどの実力がないの。誇りだけじゃ、ごはんは食べられないもん」
帽子を目深にかぶり、使い魔から目を逸らすルララの気持ちはよくわかった。本当に、プライドだけでは空腹は満たされないのだ。
「だいたい、あんたのほうがわたしより魔力強いんだから、ちょっとは手伝ってくれたっていいでしょ」
「アホか。そんなんじゃ、てめえのためにならねえだろーが。モロイ様が呆れるぞ」
ふん、と拗ねたようにそっぽを向くネロ。
「むうー」
ルララもまた片意地を張ったように、唇をとがらせた。
魔女モロイが亡くなって、形見として残されたのが、弟子であるルララと、使い魔であるネロだった。ルララは師の仕事を引き継いで城に残ったが、今は……というわけだ。
つまり、正確にはネロはルララの使い魔ではない。彼はルララの師匠モロイの遺言で、不承不承ルララの傍に残っているそうだ。
ネロはわざとらしい溜息をつく。
「ったくよお……こんなやつの使い魔になれなんて、モロイ様の直々の頼みじゃなかったら、とうの昔に投げ出してるところだぜ」
「ひっどーい! 師匠はちゃんとわかってたんだよ。今はダメダメだけど、わたしがいつか大成するってこと!」
「どうだかな。路頭に迷うこと必至だから、情けをかけてくれたんじゃねえか?」
「ネロのばかー!」
ほほえましい二人のやりとりに、イザベラは思わずつられて笑っていた。が、すぐに気を取り戻し、詰問する。
「――じゃなくて、それより根本的な疑問に答えて。モロイもルララも、巫女じゃなくて魔女だったなんて、どういうことよ! プリエガーレは、高位の巫女にしか勤まらない重要職でしょ!」
「う、それはぁ……」
ルララとネロは視線を交え、すぐにそっぽを向いた。いじけたように人差し指を曲げて、卑屈な態度で答えた。
「昔と違って国は平和だし、だんだん文明が発達してきて……正直に白状すると、魔女の仕事があんまりなくなってきちゃってるんですね」
イザベラも卓上の勉強により、ある程度の知識はある。魔法は限られた人にしか使えない。魔女の他は、ランプフィルドの血筋の者だけだろう。もちろん魔女とて万能ではなく、主に占いに準拠する軍師役を務めたり、天気や厄災を読んだり、医者がわりに薬草治療をしたりと、国における役割は大きかった。まだ大陸の国境が安定していなかった遥か昔、大戦の起こった頃は、それらの魔力は重宝された。こぞって王や首領に雇われたのだ。
当時から、恐ろしい知恵者として畏れられていた魔女は、平和な時代とともに歴史上から姿を消すようになった。賢すぎる女は結婚もままならず、街に溶け込むことなく、森の奥などに小さなコミュニティを形成し、ひっそりと暮らしていた。
今や彼女たちは前時代的な存在になりつつある。
ルララは続けた。
「で、モロイ様は雇い主を探してました。未来予言が得意だから、巫女のふりして城にもぐりこんで仕事してたんですね。もちろん、わたしもモロイ様に師事したから、予言は得意で」
「はぁ……? ちょっと待ってよ。モロイもルララも魔女の身分を隠して、巫女になりすましたっていうの?」
イザベラは驚きで声を弾ませた。巫女――それも神の声を直接きく神職プリエガーレともなると、何年も山にこもって野伏せりのごとく自給自足の生活をし、厳しい修行に励む必要がある。
「ま、そういうことです。師弟の二代に渡って騙してたのは悪いと思うけど、バレなかったし、勤めは立派に果たしてたし、見逃してください」
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