第1話 ゲームはお好きですか?

 肌を撫でる風が周囲の木々を揺らす。

 遥か遠くには堂々たる山脈が天へと向かって連なっているのが見えた。

 通学路は基本田んぼと森に囲まれた場所だったが、心を動かされるほどの山々は無かった。登山などしたことは無いが、その道の者が見れば目を輝かせて登攀計画を立てただろう。

 こんな状況で無ければ、の話だが。


「ぁぐっ゛!」


 男子生徒の胴体を槍先が貫通した。

 手には剣とみすぼらしい盾。これといった防具は着ていない。着用も学校指定の制服のみ。

 臓物がべちゃべちゃと原っぱの上に落ちる。

 小鬼ゴブリンの薄気味悪い声が嫌に響いた。

 すぐ近くにいた女子生徒が悲鳴を上げる。

 一部を除いた多数の生徒の視線が一斉に集まった。

 つまり、目の前の敵から目を逸らしてしまったということ。

 その隙を逃す愚行を小鬼は冒さない。

 今度は女子生徒の一人が敵陣の中に引きずり込まれた。すぐさま助けに入ろうとした男は待ち構えていた矢の雨に晒され、崩れ落ちる。そして棍棒で滅多打ちの刑に処された。骨の砕ける音、異様な凹みの頭部。助けを懇願する声はやがて奇声へと変わる。先に引き摺られた者も足をばたつかさせて抵抗を試みるが、そう長くは続かなかった。

 ここは地獄か、それとも地獄のような現実か。

 いづれにしろ、幻想でも夢でもない事だけは分かる。手の甲ならさっきからジンジン痛むほど抓っている。


「み、皆さん落ち着いて! 慌てずゆっくり中心へ集まって体勢を――」


 教師が言い終わる前、誰かが咄嗟に投げた剣がゴブリンの延髄を捉えた。

 急所命中クリティカルヒット

 青緑色の小さな体が後ろへ倒れる。

 無抵抗の筈の獲物生徒が反撃してきた。ギィギィ叫びながら小鬼の群れに動揺が走る。


「BAGURAGGGIII!?」


 生徒の一人が咄嗟に倒れたゴブリンを踏み越え、敵陣を駆け抜ける。

 もはや一刻の猶予も無い。

 何かの天命を受けたかのように、怯えていた殆どの者がその僅かな敵陣の穴目掛けて走り出した。

 勿論敵とて馬鹿では無い。

 逃げるなら追うまで。

 立ち向かってくる獲物よりも逃げる獲物を狩る方が楽しい。


「GUITAGGGOOOO!」


 敵陣の半数以上が逃げた生徒―――走って逃げる事が出来た生徒―――を追って行った。

 残ったのは動揺して足が上手く回らなかった者、腰が抜けている者、呼吸すらしていない者。

 後方にいた小鬼も逃げた方を追いかけたかったが、今から行っても楽しみは先頭にいた奴等に取られてしまう。だったら、多少危険でも残った奴らを嬲った方が楽しいに決まっている。

 ニタニタ笑う彼らはこの瞬間、この場を支配しているのは自分たちと信じて疑わない。


「……どうして、走って逃げなかったの」


 ゆらゆら揺れる黒髪をヘアゴムで束ね、側頭部の片側から垂らした女子生徒。

 木で出来た杖を貧相な胸の前で強く握り締めている。杖の先端に埋め込まれた青い宝玉には、今にも泣きそうな顔が映し出されていた。

 それでも不貞腐れたような口調で仲間へ言葉を掛けられるのだから、及第点と言ったところだろう。


「走りに自信が無かった」


「今そんなことを言っている場合じゃ、無いでしょ」


「追いつかれて後ろからドン、じゃ意味無いだろ」


「今の状況の方が良いってわけ?」


「良い訳無いだろ。周り見てみろよ。あいつら、今にも襲ってきそうな勢いだぞ」


 ゴブリンたちは手に持った棍棒や短剣、鍬をブンブン振り回す。微かに風を切る音で獲物が異常に怖がる。

 それが楽しくてたまらない。

 濁った黄色瞳に邪な感情が渦を巻いている。


「でも、どうして襲って来ないのかしら」


「俺たちを警戒しているからだろうな、


「まだ?」


「さっき誰かが投げた剣が相手に刺さった。それを警戒しているからだろうが、時機に痺れを切らして襲ってくるだろ」


「……唯で死ぬのはごめんよ。もう大丈夫だから、どうする気か教えて」


 目尻に溜まった大粒の涙をぐしぐし袖で擦る。

 声はまだ多少上ずってはいるが、硬直していた身体の神経が機能し始めた。

 それを肩越しに見た男は溜息を一つ、再び正面に向き直る。

 走りに自信が無かったのは事実。敵がどれほどの速度で、スタミナで追ってくるか分からない。

 だがそれ以上に、背後で震えていた幼馴染を置いて逃げるなど。

 そんな選択肢は毛頭ない。


「おい」


 不意に別の誰かに肘で突かれた。


「なんだ」


「よし、反応出来るって事は頭数あたまかずとして数えても良いって事だな」


「数えるのは勝手だが、期待されても困る」


「案外いつもの調子で助かったよ」


「人の話を聞け」


 がっちりした身体に坊主頭。軽快でありながら油断せず周囲の状況把握に努めるのはリーダーシップの証。

 見た目だけで戦士ファイターと判断してしまいそうになるが、手に持った長杖は魔法使いメイジを意味する。


「聞いてくれ。お前を入れて、今動けるのは六人だけだ。それに対し、敵の数は」


「九、だろ」


「そうだ。正直状況もよく分からないが、このままただ殺されるのは性に合わない。手伝ってくれ」


 場に残った生徒数はざっと十数名。その内動けるのは六人だけ。敵の数は九。人数は相手の方が多い。


「勝算は有るのか」


「無い、と言ったら諦める気でも?」


「真面目に答えろ」


「これに似た状況をゲームでプレイした事がある、と言っている奴がいる。そいつの話では、これは戦闘操作を憶えるためのチュートリアル的な役割」


「さっき適当に投げた剣が刺さったのも鑑みると、こちらの攻撃が効かない訳では無い」


「そういうこと。魔法と弓と剣があるんだ。遠距離から支援するから、前衛者はとどめを刺して欲しい」


 誰もが必死になって武器を取り、魔物相手に立ち向かった。

 訳も分からず我武者羅に振り回した。

 一息付けたのは、太陽が山々に隠れて始めた頃だった。

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