成長

 まだ、両親とも仕事から帰ってきていない。私は、手を洗い、自室に入り、部屋着に着替えた。そして、ベッドに横になった。今日のことを思い出しながら、携帯に入っている彼女の連絡先を見て、不覚にもにやけてしまった。この瞬間、彼女、奏が友達だということを認識した。私は、初めて出来た友達にメッセージを送ることにした。


『風丘高校2年3組の如月心咲です。

今日は、一緒にクレープを食べられて楽しかったです。イチゴ食べちゃってごめんなさい。

明日、また学校で』


 この短い文を書くのに30分を要した。友達が出来ること自体が初めてなのだから、友達にメッセージを送ることも初めてだ。何を書いたら良いのかもわからなかったが、とりあえず、自己紹介が必要と考えた。次に、今日のことの話題に触れることにした。彼女のイチゴを取ったことには罪悪感があったので、それも一緒に誤っておくことにした。最後に、挨拶文を持ってきた。まるで、手紙のような文章構成だと我ながらに思った。

 あとは、送信ボタンを押すだけでいいのだが、緊張して躊躇してしまう。やっとの思いで、送信ボタンを押した時は、身体の力が一気に抜けることを感じた。力を抜いたまま、ベッドで大の字になって天井を見上げているといつの間にか寝てしまっていた。

 目が覚めたのは、母が帰ってきた時だった。下で、ガタゴトと音がする。大方、夕食の支度でもしているのだろう。その音に耳を傾けながら、ふと携帯に目を移すと、奏から、返事が来ていた。


『心咲 堅いよ~

もうイチゴ取っちゃダメだからね!

明日も話そうね』


そんな文面が送られてきた。凄く新鮮な感じだ。返事をしようかとも考えたが、今日の所は送らないことにした。その日は、夕食を食べ、入浴し、早めに寝た。慣れないことをすると極度に疲れてしまう。


 朝の目覚めは良かった。目覚ましをセットし30分前には、自然と覚めた。支度をし、朝食を食べ、いつもより早い時間にも関わらず、学校に向かった。学校に行くことに、以前は抵抗を感じていたが、今日は楽しみに感じる。私には友達がいる、それだけで、不思議と力が湧いてくる。どうしてもっと早くに気付かなかったのかと後悔をしているが、奏だったからこそ良かったという思いもあった。いつもよりも早いせいか、駅は静かだった。電車の中も空いている。朝は、いつも座れないが、この日は席も疎らに空いており、私は、乗ったドアに一番近い席に座った。そのまま、窓の向こう側を眺めていた。朝は見ることがあまりなかった景色、それでも、帰りにはよく見る景色、景色自体は何も変わらない。今日は、今まで見たことのない景色のように感じた。


「み・さ・き!」


 不意に名前を呼ばれた。ぼーっとしていたので、身体がビクつくほどに驚いた。その瞬間、何かが目線を遮った。ふと、顔を上げるとそこには奏が立っていった。朝から会うとは思っておらず、突然声を掛けられたのとで、二重に驚いた。


「おはよ!」

「おはよ。」

「こんな時間に会うなんて、珍しいね。いつもこの時間帯の電車に乗ってた?」

「ううん、今日は早くに目が覚めたから、ちょっとその分、家を早めに出たの。奏は、いつもこんなに早い電車に乗ってるの?」

「私は、朝練があるのです!」


 仁王立ちで胸を張り、いかにもすごいだろうと言わんばかりの格好だ。朝練か…、朝も放課後も奏は、バスケのために努力をしている。奏がそんな格好をしなくても、本当に尊敬する。その一方で、自分には何もないことを痛感する。夢中になるというものがない。趣味のランニングも、学校でしている読書も、夢中になった経験はない。ましてや、何かのために努力をするなんてこともない。

 何駅か過ぎた後、私の隣の席が空いた。奏は、私の横に座った。学校に着くまでに、奏についていくつかわかった。中学までは隣の県に住んでいたこと、バスケの特待生で風丘高校に入ったこと、そのため、今は一人暮らしであること、今月の末に、県大会があること。この年で、一人暮らしをしていることには衝撃を受けた。奏はどこまで自立した子なのだろうと。

 学校に着くと、彼女はそのまま体育館へ向かった。私は、一人で教室に向かったが、まだ、誰も登校していないため、閉まっていた。仕方がないので、職員室まで鍵を取りに行き、開けた。誰もいない教室は、がらんとしており、広々としていた。こんなにも教室は、静かで広い場所だったのか。とても居心地がいい。自分の席に荷物を置くと、窓を開けた。朝の風が、強く入ってきた。窓のサッシに肘を置き、外を眺めていた。しばらく眺めていたが、まだ誰も登校してくる気配はなかった。ゆっくりと窓を閉め、鍵をかけた。貴重品だけを身に着け、廊下に出た。特に、行く当てもないが、何も考えず、ただひたすらに、校舎内をウロウロしていた。気づけば、奏のいる体育館に着いていた。無意識にでも、気になったのだろう。体育館の入り口から、そっと中を覗いた。今日も、たった一人で黙々と練習をしていた。誰に見られるでもなく、ただひたすらに練習に励む奏の姿に、出会ったあの日と同じように、かっこよさを感じた。奏のバスケにかける思いを知ってから、なお一層、私の目にはかっこよく映った。  

 しばらくは、練習風景を見ていた。同じことを繰り返しているだけだったが、不思議と飽きてくることは無かった。練習も一段落着いた時、振り返った奏と目が合った。


「心咲!?どしたの?」


 一瞬、驚いたような顔をしていたが、すぐに笑顔に戻り、こちらに駆けてきた。


「一人の教室、なんだか暇だったから、学校の中歩いてたら、体育館まで来ちゃって…」

「わざわざ見に来てくれたの~?」


 奏は、たびたび私を茶化す。そんなつもりじゃなかったのに、茶化されると変に意識してしまう。不思議な感覚に陥るのだ。


「違うもん、たまたまドアが開いていたから、覗いただけだもん。」

「そういうことにしといてあげよう。心咲、入りなよ!」


 奏は冷やかしの笑顔のまま、映画でよくやっている親指だけを立てて、中へ入るような合図をした。


「えっ、あっ、でも、私、体育館シューズ持ってない。」

「ちょっと待ってて。」


 そういうと奏は、走ってそのまま倉庫の中へ入り、すぐにこちらへ戻ってきた。


「この体育館シューズ履ける?私のなんだけど。」


 奏から受け取り、履けるかどうか試してみた。少し大きかったが、普通に歩けそうだ。


「うん、大丈夫。履けた。」


 奏に連れられて、二人並んで壁際に座った。隣で奏の息が切れている。汗をタオルでこまめに拭きながら、水分補給をしている。そんな奏を見ていると、いかにもスポーツマンというのを実感する。


「ずっとあそこで見てたの?」

「うーん、少しだけ。でも、奏はやっぱり見てるとカッコいいね。」


 しまった。おもわず、思っていたことを口に出してしまった。慌てて、奏の方を向くと、若干照れたような顔で、笑っている。


「カッコいいって、でも、ありがとっ!じゃあ、心咲にもっとカッコいい姿を見せてあげようかな~。」


 奏は立ち上がり、ボールを持って、さっき立っていた場所よりももっと後ろに立った。距離にして大体、ゴールまで10mといったところだ。そこから、シュートをうった。綺麗な放物線を描きながら、ボールは直接、バスケットに吸い込まれていく、おもわず私は、拍手をした。奏の言うように、本当にカッコいいと思った。奏は、ガッツポーズをするでもなく、喜ぶでもなく、ただこっちに笑顔でピースサインをしていた。


「奏、すごいね、あんなに遠くから。」

「いつも練習でやってるから。でも、うまくいってよかった。カッコいいところ見せるって言ったからには一発で入れないとね!」

「カッコよかったよ、本当に。」

「へへっ。」


 自分でカッコいいところを見せると言ったのに、カッコいいと言われたら、照れてしまう。奏のことはわかってきたようで、わからない。

 外が、だんだんと騒がしくなってきた。体育館の時計に目をやると、8時15分、多くの生徒が登校してくる時間になっていた。


「もうこんな時間かぁ、そろそろ片づけないと。心咲は先に教室戻ってていいよ~。」


 奏は、一人片づけをしながら、私にそう言った。私は、このまま先に戻るのは嫌だと思った。そうしたら、自然と体が動いた。


「私も手伝う…」

「えっ、いいのに、ありがとう。」


 断られるかと思ったが、受け入れられて安心した。そこからは、奏と分担して、ボールを片づけたり、モップを掛けたりした。奏が、着替えるのも待っていた。待っている間に、奏とお喋りをした。話すことに気を回していたせいか、着替え終わった時には5分前の予鈴が鳴った。


「早く戻んないと!心咲、ちょっと急ぐよ。」


 私は、奏にまたもや連れられ、教室がある階までの階段を駆け上がっていった。なんとか、間に合いそうだが、息が切れてしまっている。このまま、教室に入れば、注目の的になるのは必至だ。それは、極力避けたい。


「奏、先行って。息整えてから教室行く。」

「いいよ、それぐらい待つよ。」


 言葉を発するのも辛かった私は、彼女の言葉に甘えることにした。大きく息を切らして、今にもしゃがみこみそうな私と、肩を少しだけ揺らしている奏が、並んでいるこの光景は、傍から見れば、奇妙な光景かもしれない。漸く、息が整いだしたので、奏と二人で、私の教室の前まで向かった。教室の前で、軽く挨拶をし、教室に入った。ちょうど1時間目のチャイムが鳴った。私は、何事もなかったかのように席に座り、授業を受け、何も起こらないまま放課後を迎えた。朝に一度会って以来、今日は一度も奏と会わなかった。終礼が終わり、隣のクラスを覗いたが、既に終礼は終わっており、奏の姿は無かった。おそらく部活に行ったのだ。月末に県大会があると言っていたから、部としても気合が入っているのだろう。なんだか少し寂しい気もしたが、あまり気にせず帰ることにした。

 1人で帰るのは、3日ぶりだが、とても久しぶりな感じがした。それほど、奏と帰った時のことは、私にとっては、濃かったのだろう。

 今日の家までの道のりは、長く感じた。帰る時間は、奏と帰った時よりも早いのに。今日も、両親はまだ帰ってきていない。部屋に行き、着替え、今日は学校の課題をしていた。しばらくして、母が帰ってき、夕食を食べた。


「明日から、今日と同じ時間に出る。」

「そうなの、わかったわ。」


 夕食の後、食器を洗う母にそう言った。母の声は、嬉しそうだった。母の中で何か思うところがあったのだろう。私は、そのままお風呂に入った。上がったのは、8時半少し過ぎたぐらいだった。ふと携帯に目をやると、メッセージが届いていた。


『今日、お昼一緒に食べようと思ってたけど、急にミーティングが入っちゃって

明日から、一緒に食べよ?』


 奏と一緒にお昼ご飯を食べる、いいかもしれない。特に断る理由もない。こっそり教室を出れば、クラスの女子に睨まれることもないだろう。


『いいよ、食べよ。

楽しみにしてる』


 単調な文章だった。送信ボタンを押してから思った。送ってしまったものは仕方がない。携帯を置いて、髪を乾かし始めた。長い髪は、乾かすのは一苦労だ。やっとのことで髪を乾かし終えると、部屋に戻った。起きる時間を早くした分、寝る時間も早くしなければ、バランスが取れない。部屋に戻って少しの間だけ勉強をし、眠りについた。

 目覚ましに起こされ、朝の支度をし、家を出た。昨日、奏と会った時間の電車に乗りたかった。自分でも不思議に思う。何故、ここまで奏にこだわるのか。その答えは出るはずもなかったが、ふと時計を見ると発車時刻5分前だった。考え事をしながら歩いていたせいで、足取りが遅くなってしまった。このままの速さで歩けば、間違いなく間に合わない。いつもよりも速めに歩いた。私が駅に着いたのは、発車30秒前だった。何とか間に合った。

 急いでいたせいで、いつもとは違う車両に乗る羽目になった。私は揺れる電車の中を移動した。何度かこけそうになりながらも、いつもの車両までたどり着いた。そこには、やはり奏がいた。奏を見つけた瞬間、目標を達成したような気分になった。奏も私に気付いた。目が合い、奏が笑う。それにつられて、私も笑顔になった。

 学校までは、二人で話していた。今日は、教室に行かず、奏と一緒に体育館へ向かった。ただ、奏の朝練を見ているだけだが、それだけで楽しかった。練習中の彼女の顔は、真剣そのものだ。一心不乱とはまさにこのことかと思うほどだ。ふっと奏の顔が緩む時がある。その度に、奏は私の方を見てほほ笑む。いくら女子だからと言っても、ほほ笑まれると、感情をあまり出さない私でも照れてしまう。時々、休憩をしにこっちに来る。退屈じゃないかと聞いてきたが、そんなことはないと返した。実際に退屈とは思っていないので、それ以外に返しようがない。彼女は安心したように、また練習に戻った。

 気づけば、時間は8時少し前だった。奏もそれには気づいていた。片づけを始めたので、私もまた手伝いに行った。今日は、お互い何も言わなかった。ただ黙々と片づけ、奏は着替えた。昨日の二の舞にならないよう奏なりに気を遣ってくれたのだろう。


「心咲、ありがとね!ずっと見ててくれて。」


 更衣室を出る時に呟いた。お礼を言われる義理ではなかった。私はただ壁際に座って見ていただけなのに、もしかしたら、邪魔になっているのかもしれないとさえ、途中から思っていたのに。


「うん…。」


 そんな私は、俯いて答えるしかなかった。そのまま、登校してくる生徒の流れに沿って教室に向かった。また後でね、と言われ、お互いの教室に入った。

 私は、また代わり映えのしない授業を受け、昼休みはすぐに訪れた。そういえば、奏はどこで、ご飯を食べる気だろう。まさか、私の教室ではあるまい。では、奏の教室だろうか。どちらにしろ、場所を言われていない以上、奏が私を呼びに来るのはほぼ間違いない。それは良くない。奏なら、ドアの近くで私を呼びかねない。そうすれば、また女子に睨まれるのは必至だ。そうなる前に、私の方から、聞きに行こうと思った。突然、クラスでも私を虐めていなかった女の子に声を掛けられた。


「長谷川さんが屋上に来てって言ってたよ。」

「あっ、うん。ありがとう。」

「じゃあ、伝えたからね。」


 奏も気を遣ってくれたのだろう。私が、女子から目を付けられないように、図ってくれたのだ。私は、お弁当を持ち、屋上に向かった。

 風丘高校の屋上は、鳥かごのようになっていて、出入りは自由だ。屋上の扉を開けると、もう既にいくつかのグループが、ご飯を食べていた。奏を探すと、一人でフェンスにもたれかかっていた。傍まで寄ると、奏も気づいてくれ、手招きをされた。


「夏希、ちゃんと伝えてくれたんだね。」


 あの子は、夏希というのか。クラスの子には興味が無かったから、名前なんて覚えていない。


「夏希ちゃんは、奏の知り合い?」

「うん、近藤夏希っていうんだけど、同じバスケ部なんだ。ちょうど、心咲のクラスの前で会ったから、伝言頼んじゃった。」

「そっか、ありがとう、助かった。」


 あの子もバスケ部だったのか、人は見かけには依らないとまたも感じた。さっき話しかけてきた時は、もの静かそうな印象を持ったが、案外活発な子なのか。


「ほら、早く食べよ!昼休み終わっちゃう。」


 私達は、ご飯を食べ始めた。彼女もお弁当だった。彼女は、一人暮らしだから、自分で作ったのか。料理まで出来るのか、次第に、奏にはできないものはないのではないかと思わされる。

 友達と、学校の屋上で、お昼ご飯。他の人からすれば当たり前かもしれないこの状況に、16年という月日でも達することのできなかったのに、私はこの数日間で達することが出来た。すべては奏のおかげだが、明日は土曜日、学校は休みになる。つまり、2日間はこの時間もお預けとなる。そう考えると、寂しさを感じ始めた。おそらく、今まで感じたことのない感情だ。一般的には、そんなことは無いのかもしれないが、人生で初めて出来た友達と、濃い時間を過ごした私にとっては、心苦しいものだった。こんな感情は、とてもじゃないが面には出せない。必死に感情を押し殺した。

 そろそろ昼休みが終わる頃だ。徐々に、生徒が屋上を後にし始める。私たちも、弁当を片付け、下に降りていった。教室の前で、奏は、また月曜日も一緒に食べようねとだけ言って、教室に戻っていった。

 私も教室に入り、午後の授業を受けた。放課後になったが、今日も奏は部活だろうと思い、一人で帰った。週末の3日間は、元の時間に戻る。家に帰り、夕食を食べ、入浴し、眠りにつく。そして、何の変哲もない休日を過ごす。ただ一つ変わったことは、気が付けば奏のことを考えるようになったということだけだ。

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