この世界に1本の赤を

紗沙神 祈來

この世界に1本の赤を

 雨。私はその天気が大嫌いだ。

 それはあの日、彼が死んだ日を思い出させる引き金。

 去年の冬、彼は大雨の中車に轢かれて死んだ。

 私は当然のように運転手を恨んだ。

 なぜ止まらなかったのか。なぜ死んだのがお前じゃないのか。なぜ、なぜ、なぜ。

 今思えばキリがなく、理不尽なこともたくさんあった。

 けど、それほどに彼の死という事実を受け止められなかった。できる限り目を背けたかった。

 それが愛ゆえなのか、ただの憎しみなのか。どうなんだろう。私にも分からない。

 ただ彼を愛していたのは確かだ。

 そんな暗い気持ちで今日も雨の中歩く。

 すると足元に1匹の猫がいた。

 真っ黒な毛は雨に濡れ艶やかでつぶらな瞳をしている猫。

 そして口には1本の赤い薔薇を咥えている。

「こんな雨の中どうしたの」

 かかんで猫に尋ねる。

 もちろん反応はない。

 強いていえば何か言いたげな顔がこちらを向くだけ。

 ここで私は気づいた。

 その猫が悲しげな表情をしていることに。

 それが正確かは分からないが直感でそう感じた。

「君も誰か、大切な人を失くしたのか」

 この世は残酷だなと思う。

 人間は言葉を発することができ、自力で生きる術もある。

 しかしこの猫はどうか。

 言葉など到底発することはできない。

 生きるために食べ物を探し、荒らそうとするならば人に狩られる。

 そんなことを思っていると猫がこちらに歩いてきた。

「どうしたの?雨はやっぱりいや?」

 すると咥えていた薔薇を私の足元に置いた。

「もしかして、くれるの?」

 反応はない。しかしそうだと言っているような気がした。

「はは。そっか。ありがとね」

 思わず笑みがこぼれる。

 感謝なんて微塵もしてない。

 この笑みは皮肉なんだ。

「あーあ。私も、性格悪くなったかな.....」

 彼がいなくなってから日常が崩れた。

 何事にも無気力でやる気が起きない。

 何度も忘れようとした。

 切り替えようとした。

 けどその度に悲しみと罪悪感と憎しみと。

 様々な感情に押しつぶされた。

 明くる日も泣き続け忘れることを諦めた。

「会いたいなぁ.....」

 会いたい。

「話したいやぁ.....」

 話したい。

「もう限界なんだよ.....」

 溢れ出る数々の願望。

 そんなのが叶わないことは知っている。

 誰よりも知っているはずだ。

 だからこそより願いが強くなってしまう。

 その度に現実を叩きつけられる。

 見えない手に体を殴られるような感覚が心に負荷をかける。

「あーあ。その薔薇、彼から貰いたかったな.....」

 彼はもういない。

 その事実が、雨と一緒に私を叩きつけていた。


 1本の薔薇の花言葉。

 それは――。

「あなたしかいない」

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