さよならよりも、なお遠く。
はぐりん
第1章/1
なるほど、女の子は砂糖でできている。そう思わざるを得ない女性だった。
女の子が砂糖とスパイス、それと素敵な何かでできている。あれはマザーグースだっただろうか。男の子はカエルとカタツムリと子犬のしっぽでできているとか。香織はそれを馬鹿じゃないのと切って捨てるような、斜に構えた子供だった。
大学に入学して、大人とも子供とも主張しづらい年齢になってから、同い年の「女の子」にそういう感想を抱く日がくるとは思わなかった。
ふわふわと、ふりふり。ピンクとか、柔らかい色が似合う。長い波打つ髪。腰まで伸ばした髪は不潔だと思っていたのに、それを覆すほどつやのある美しい髪だった。ゴスロリだって違和感なく着こなしてしまうんじゃないか。―――名塚百合香はそういう女性だった。
「かおちゃん、あのね」
そうした出会いから十年弱。百合香の家の近所の公園。芝生を共に歩きながら、ロングスカートをたなびかせて、百合香は香織を振り返って笑った。
「かずさんは、わたしと別れたいのよ」
それに、香織はどう答えただろうか。少なくとも、記憶に残らないような月並みなことを言ったのだ。色々な事情を聞いていた。夫婦生活はナーバスになることも多い。そう思って、「そんなわけない」と肩を叩いたのだろう。百合香と本気で別れたいと、彼女の夫が思うわけがない。
でも、そのときなぜかマザーグースを思い出したのだ。砂糖菓子みたいな百合香。素敵ななにか。スパイスはどこ?
女の子は砂糖とスパイス、それと素敵ななにかでできている。
**
「わたし、ひとのことって色で覚えるの」
その日、百合香がかけていた曲は「オペラ座の怪人」だった。CDはアルバムでリピート再生されていたが、そのときはやたらと殺人事件が起こりそうなテーマ曲が流れていたことを覚えている。
サークル棟の一室。やたらと大きな部屋を与えられているが、活動と呼べる活動をしていない上にメンバーは五人だった。その一人がやっと携帯を持ったということで、そのとき部屋にいた全員が携帯を出していた。
「カヤシマブラック……?」
「携帯の色じゃねえよ」
携帯を初めて持った彼は美術科の
「しんちゃんは青……あれ、緑かな。どっちだろう?」
茅島の名は
「マサヒコブルー」
香織は助け船を出すことにした。その場にいたもう一人、理学部の
「じゃあまーくんの方が青で」
「それは適当すぎるんじゃないか」
雅彦で「まーくん」である。この整ってはいるがいかつくて老け顔の男を「まーくん」の呼べるのは百合香しかいないだろう。
「緑も青も老人にとってはどっちも『アオ』だしねー。男なんてそんなもん」
男に人権なんてものはない。おいおい、という視線で男二人は香織を見つめてきたが、素知らぬ顔ですっとぼけた。
「かおちゃんは赤! ヒーローの色!」
「ヒーロー」
「ヒロインって柄じゃねえもんな」
ヒロインじゃないのか、という雅彦と、からかうように笑う茅島。
「なによ、あんたら私の腰ぎんちゃくの分際で」
赤、と言われたことに調子に乗ってみた。戦隊ものでレッドといえば中心で主役である。百合香のイメージで、主役は香織なのだ。雅彦が言われてみれば、と呟く。
「確かに戦隊ものみたいになってきたな」
「カヤシマグリーン、マサヒコブルー、カオリレッド……」
口に出して考えて見る。妙な語呂の良さがあった。戦隊ものであと残っている色といえば、黄色か。
「じゃあ、藤城がイエロー?」
「んー、かずさんは白かな」
「フジ『シロ』だから?」
「なんか、何色にも染まりそう」
「ヒロイン藤城」
「やめてくれ」
大笑いした茅島に、苦い顔で雅彦が応じる。香織もウエディングドレスを纏った藤城を想像してしまって苦笑した。女装の想像は苦いものがある。
「百合香はやっぱりピンクかな?」
「うーん、ピンクも好きだけど」
ひとのことを色で覚えていても、自分を色で表現したことはないのだろう。悩んでいる様子で、百合香は「好きな色」を言った。
でも、と言葉は続く。なら、ピンクでいいじゃない。レッドのヒロインになりなさいよ、と笑って。「かおちゃん大好き」と百合香が言って、香織に懐く。男どもの視線に優越感を感じながら、香織は百合香とじゃれ合うのだ。
きっと、このころが一番幸せだった。香織と百合香が、ヒーローとヒロインでいられたころが一番、痛みを知らない、やさしい世界が広がっていた。
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