第15話 魔性の機械戦士
ラティアは雪の上で倒れたまま、死にかけた一瞬前の出来事に呼吸を荒げていた。
戦斧がもう一瞬耐えきれなかったら、瞬間、アルティメッド・モードを発動していなければ左右二つに斬り裂かれて雪面に転がっていたのはラティアの方だった。
ラティアのボディが軋んでいた。アルティメッド・モードで過負荷を掛けた、全身の関節部が限界に達していた。もうアルティメッド・モードは使えない。ここで強敵を破る代償に、ラティアは格闘戦の切り札を失った。
けれどもラティアは敵の将帥と一騎打ちをして勝った。ラティアは片膝立ちに身を起こし、再び臨戦態勢を取った。
ラティアの見晴るかす先、侵攻軍が再び動き出している。しかし前へとよろめき出てきた程度だった。先に発狂せんばかりに上がっていた気概が嘘のように消えている。大軍の拠り所と言える司令官を立て続けに二人失った。感情量が人間より大きなパンゲアノイドには、抱いた喪失感もまた大きい。もはや軍の前進という体ではない。流れはラティアへ傾いてきている。
「勝機だ! テトラのファームウエアをここで!」
奮い立つ心に呼応して、疑似モノポリウムリアクターが出力を上げる。単極磁性物質・モノポリウムが生み出す磁場がパルス状に変極し、その高まる振動音が全身を包み込む。ラティアは胸元を、疑似モノポリウムリアクターの上に手を添えた。
「大丈夫。疑似モノポリウムリアクターはこの身体で一番頑丈なパーツ。私の寿命がちょっと縮むだけさ……」
計算なら耐用年数が十年縮むだけで済むはず。量子プロセッサで何度も計算・検証した。ラティアは疑似モノポリウムリアクター出力を設計限界値以上に引き上げた。
シーケンスがスタートする。胸に張り裂けんばかりな振動が生じ、最後にラティアの全身がドンッと揺れる。
強パルス性変振動磁場がラティアの周囲に展開していく。それは敵軍へ届き覆い呑み込み、やがて極大に達し、ラティアを中心にベルトーチカ盆地全体を覆うまでに強磁場が展開していく。その広がりを追うように大地がめくれあがり、雪が弾き飛ばされる。大地に含まれる砂鉄が磁力線上に沿って、天高く引きずり出される。辺りは一面嵐のように、吹き荒れた雪の白煙で覆われた。
雪が再び大地に舞い降り辺りが晴れると、空に異様な光景が映し出された。
真っ青な空高くへ、砂鉄で描き出す巨大磁力線ループが姿を現していた磁力線ループは何本も柵のようにベルトーチカ盆地全域を覆う。それはラティアの起こす磁場の変振動で、激しく律動を繰り返している。その強力な磁場の変振動にさらされた電子機器はカタカタと揺れだし唐突に目盛りを振り切り、あるいはランダムな数字を走らせた。ラティアの磁場が電子機器を一斉に狂わしてしまった。パンゲアノイドの近代兵器群はすべて、雪原に転がるスクラップと化した。車両が止まり、四足歩行砲塔の足が崩れて雪にうずくまる。幾ら発射ボタンを押しても、ロケット砲も沈黙したまま。帝国機甲師団は全ての電子機器が一斉に故障した。
機器類が全て停止し、ベルトーチカ盆地全体が静まった。動かなくなった機器群の周囲でパンゲアノイド兵たちが右往左往し声を上げている様が風に乗って聞こえてくる。ラティアの、この瞬間のために耐えて待っていた表情が花開くように輝く。
「テトラ、やったよ! 新ファームウエアは成功だよ!」
敵のただ中へ飛び込むことで、疑似モノポリウムリアクターを磁力兵器として転活用することで、侵攻軍へ致命的な打撃を与えた。
だが、なおパンゲアノイド兵がラティアの前方、視界いっぱいに群がっている。強力な変振動磁場破壊も生物への影響はない。
だが、パンゲアノイド兵だけなら。
ラティアが『フェムルトの魔女』と帝国兵に怖れられる力を顕わにする。
「ファンデリック・ミラージュスタート。戦術パターン、トリプル・シックス」
今度は疑似モノポリウムリアクターが、微弱な変波形磁場を出力させる。
ニューロン。生物の脳神経細胞。
そこでは電子機器同様、微弱ながら電気信号を使った情報伝達が行われている。すなわち、脳が記憶する、思考する働きも電子機器と同じ、電気信号の交換によって起きる。そこに磁場変動がかかると、電磁気力で信号伝達が変化する。脳の働きを変えることができる。
ファンデリック・ミラージュはそれを兵器としたもの。脳神経に作用する周波数の磁界を発生させ、パンゲアノイドの脳神経へ作用し、脳の働きを狂わせていく。
ラティアの表情が一変していた。暗く妖しげな笑みを浮かべながらガレア青剣を引き上げ構え、緑色の双眸が妖しいヒスイ色の輝きを帯びる。
今、ラティアに対峙したパンゲアノイド兵たちの脳は、ファンデリック・ミラージュの影響を受けて狂わされている。見えないものが見えている。聞こえないものが聞こえている。
ラティアの手にする青剣から緑の血が流れ落ち、白い雪面を染めた。雪に緑の血が染み広がり、沸騰しだす。ゴポゴポと沸き上がるそこからは異形の姿をした魔物が沸き上がる。
次々、次々に魔物がはいずり出てくる。
それらはパンゲアノイドに数倍する大きさに伸び上がっていく。
ゴレイの死体に向けて、我先に群がりむしゃぶりついた。
魔物たちの群れに見え隠れしてゴレイの手足が人形のように跳ねた。魔物たちは肉を裂き、骨を噛み砕き、むさぼり食らい尽くしていく。さらには宙に浮かび上がったゴレイの霊魂にまで縋り群がり、ゴレイが絶叫を上げながら、その魂までもが引き千切られ食われていく。
死してさらに魂魄までも食らい尽くされる。パンゲアノイド兵たちは浮き足立ち恐怖した。
ゴレイの全てが食らわれていく間にも、なおも魔物たちが次々に現れる。それらは空へと漂い、青空はいつしかまだら模様の暗紅色に変わった。群雲のように魔物たちがパンゲアノイドの頭上空高くを覆い尽くし、地にはパンゲアノイド兵たちを囲むように満ちあふれていく。
ラティアの周囲はかしずく巨大な魔物たちに埋め尽くされていた。
それらが一斉にパンゲアノイド兵へ視線を移す。
そしてゆっくり動き出した。
じり。
ずずず。
ぞろっぞろっ。
ぬたーん……ぬたーん。
じゃりんじゃりんじゃりん……。
どぅるろおおおお……。
ふおぉぉぉ……。
くはあぁ……。
ひひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ……。
ディィィムィィィィ。
ヰーヰー。
蠢く魔物たちの中、ラティアの瞳が凍えるような光を帯びる。
冷たく笑うラティアがパンゲアノイド兵たちを指さし叫んだ。
「フェムルトに仇成す者ども、地獄へ堕ちよ。地から出づる魔性の者たちの贄となるがいい!」
こぉおおおおおお!
それを合図に魔物たちが一斉にパンゲアノイド兵たちに襲いかかった。魔物たちが驚喜の表情を浮かべて牙をむく。
巨大なパンゲアノイド兵たちが一斉に悲鳴を上げた。
「魔女だ! フェムルトの魔女!」
「魔性の機械戦士!」
パンゲアノイドは口々に叫び、それが全軍へ伝搬していった。
この瞬間、パンゲアノイド兵五十四万の大軍が潰乱した。
パンゲアノイド兵たちの周囲には次々に異形の姿をした魔物たちが現れてくる。パンゲアノイド兵は悲鳴を上げて逃げ惑っていた。恐慌を来したパンゲアノイド兵たちは自らが振り回す刀で互いを斬り合った。倒れた仲間の上を逃げ惑い、踏み殺していった。
魔物たちの幻覚でパンゲアノイド兵たちは大混乱に陥っている。
ラティアは暗がりにヒスイ色の目を光らせ、氷の微笑を浮かべている。
敵の悲鳴にも手を緩めず、ファンデリック・ミラージュを出力し続ける。
その姿は世界を滅ぼす魔女そのものだった。
ラティアはさっと身を翻し、青剣を手にジェットスライダーへ飛び乗った。再びハイパーキャノンを肩口に装着する。狂乱の只中へラティアが突撃する。青剣がパンゲアノイドの刀も、鎧も、瞬時に両断した。それはラティアの瞬発力と相まって、振り回されるにつれ、真空の竜巻が生じた様に血風を巻き起こしていく。
視界いっぱいに血が舞い散る様が、次第にラティア自身の心にも風を渦巻きたぎらせる。
心の形が、魔物の姿形に変わっていくのを感じる。
……私って、こんなだったっけ?
ラティアは冷たい笑みを浮かべ剣を振るいながら頭の中は妙に静かに、そして自問していた。パンゲアノイドの返り血に濡れる自分を静かに、どこか遠くから離れて別の自分が見ているような、不思議な感覚の中にいた。
Sクオリファーにインストールされる前は、インストール適合試験で適合率トップスコアラーになってしまうまでは、将来建築デザイナーになりたかった。自分の作った家に住んでもらって、家族がゆっくりくつろげて。それを喜んでもらえたら、すてきだなあって。だから初めてパンゲアノイドを刺したときは、三日も震えが止まらなくなって。十日も部屋に閉じこもってしまって。でも、今の私、どうしちゃったんだろう……。
現実のラティアは今、無限に青剣を旋回し、殺戮のただ中で血風を巻き上げ続けている。
機械。この身は魔性の機械戦士。人類を守るために、戦うことを期待されるモノ。人間の心・魂をインストールして究極のインターフェイスを実現した戦闘兵器。私は、ここへインストールされただけだったのに。人間だったのに。テトラ、私はここで機械そのものになってしまうんだろうか。これじゃあ殺戮マシーンじゃないか。……そんなの、聞いてないよ……。
やがて人の心をその身に閉じ込めた戦闘マシンは極まっていった。
パンゲアノイド兵を青剣で切り伏せ、ハイパーキャノンのプラズマ弾が一閃する都度、無数の命が消し飛び、誘爆の連鎖が連なる。その破砕圏はベルトーチカ盆地全域へと拡大した。
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