第12話 出撃
「ラティア、ファームアップは完了しているぞ」
チェーホフに告げられうなずいた。
ラティアは自身の両手を、そして全身を改めて見回した。
自身のボディは、十一か月の戦いを通じて攻撃力も防御力も尽きかけている。運用規定上は使用不可だ。でも、できない、ではない。どうやったらできるかを考え実現する。そうでないと、考え、意思ある人間の心がインストールされたマシンである意味がない。運用次第ではまだ使える。ラティアの動力源である、疑似モノポリウムリアクターに限って言えばまだ七十パーセントもの出力を維持できている。
もちろん、本当にできるか不安はあった。でもラティアは自分の体だからこそ分かると思った。直感だ。自分は人間であるからと直感に賭けた。そしてじっと待ち続けてきた。
今、テトラのファームウエアが届き、アップデートはギリギリ間に合った。
おめえはもう無理だ。すっこんでろ!
顎ひげをまさぐりながらロナウ大佐に、かくもむごく言い捨てられた。
あのコーヒーの出がらしみたいなダミ声を思い出すと、ラティアはギリっと歯がみする。運用規程をたてに戦闘不能の烙印を押された。今ではなんであそこまで言われなければ! と腹も立つが、言われたときは突き飛ばされたようにショックを受けた。あとからムラムラとロナウ大佐に対する反発心が沸き上がっていった。戦える方法を考えに考え、テトラに直談判して、疑似モノポリウムリアクターを磁力兵器へと転活用するファームウエアを準備した。
それが間に合った。これでまた戦うことができる! そう、ラティアは目をぎらつかせた。戦いそのものよりロナウ大佐が念頭にあった。見ていろ、私は言われるまま、はいわかりましたと引き下がりはしないんだからと。
押し寄せる帝国軍は圧倒的だ。
ラティアは考える。
五十四万もの大軍を引き込める場所はここベルトーチカ盆地しかない。ラティアは敵を一手に引きつけ、叩かなければならない。敵が警戒し散開して首都ラウナバードへ向かわれては、ラティア一人ではお終いなのだ。一晩土に埋まって、反陽子爆弾で吹き飛ばされたふりをしていた。そして敵をベルトーチカ盆地へ全て引き込もうとしていた。
チャンスは今。敵はラティアの思い望むとおり全軍が集結して押し出してきている。
ベルトーチカ基地の皆が整列している前でラティアは向き合った。
「私はこれから敵を殲滅しに向かいます。ファームアップはしたけれど、厳しい戦いになるのは間違いない。改めて命令します。皆は首都ラウナバードへ撤退してください。私が一兵たりとも後方へは行かせないから、安心して退去してください」
チェーホフが前に進み出てラティアと向き合った。
「実はな、みんなにお前のことを話しちまった。お前自身のことをな」
一瞬ラティアの表情が凍り付いた。だが、さらにチェーホフは続けた。
「その上で、今度はおまえの体がボロボロなことを洗いざらい話しちまった。そうしたらどうだい。みんな俺と同じ意見になった。身体がボロボロのお前だけを前線に出して、五体満足な俺たちが退却なんてできるわけがないってな」
そうなってしまうことを恐れていた。同情から誰かが一人でもそう思えば、人間は仲間意識に引きずられてしまう。その場の雰囲気で自分も残ると言ってしまいかねない。むやみに命を散らしてほしくない。この戦いばかりは他人の身の安全までは守れない。
「命令だ! 少佐として命令する。全員直ちにラウナバードへ移動だ。これは命令だ!」
けれどチェーホフはラティア以上に声を張り上げた。
「聞け、ラティア」
有無を言わせない年長者の重い声だった。ごつい大きな手がラティアの小さな両肩をむずとつかんだ。
「戦うお前を誰かがサポートしなければならん。武器弾薬の補充、故障箇所の応急処置。そうした後方支援を積み重ねることで勝利に近づく。戦争は派手なドンパチの裏で、絶対にそれを支える裏方が必要なんだ」
ラティアは懸命に首を振り、なぜ分かってくれないとばかり大きく手を振り払った。
「要らない! そんなものは要らない! 私一人でできる! 人間では無理なんです。人間がここにいちゃいけない。私に任せて……」
「聞け、ラティア。人には心が必要だ。共に戦う、支える心が有ると無しではまるで違う。お前はただの人型兵器ではない。人間じゃないか」
人間。その言葉を聞いて、ラティアの動きがピタリと止まった。
「……そんな、そんなことを今言わないで……」
チェーホフが頭を下げた。
「ラティア! すまなかった!」
ラティアは驚き、チェーホフをぼう然として見上げている。
「あの日、人間の能力を超えた人間の姿をした超兵器のお前たちを恐れ、嫌った。ブルーベースの誰もがお前たちを恐怖と捉えた。だがこの絶望的な状況でも、ベルトーチカへきてくれたのはフェムルトの中でも、お前ただ一人だけだった。お前だけが共に戦おうと、俺たちを救おうとしてやってきた。俺は自分のしてきたことが恥ずかしい!」
「ええと、それは……無理です。仕方なかったんです。私たちは、事実そうなんだし」
「俺は今、心底そう思っている。仲間として、お前とともに戦いたいんだ」
ラティアはただただぼう然としていた。ラティア、ジャンヌ、レイア。ずっと三人だけだった。三人で励まし合ったのは敵に対してだけではなかった。インストールされ人でなくなっても、人として受け入れてもらいたいと。人を守ろうとして、人として認められたくて。
望外だった。大兵力の敵が攻めてくる。何とかしようと、そればかり考えていた。ところが今、ふいにラティアの望みがかなえられた。それに気付いて、心がいっぱいにあふれかえりそうになって、溶けてしまいそうになった。
「ただし、お前の言うことももっともだ。必要最低限の四人だけを募った。俺たち五人だけはここにとどまり、他は首都ラウナバード防衛に廻る。これでどうだ?」
覚悟を決めた四人がチェーホフに続き前へ出た。
「お願いです、お願いですからチェーホフさんも……」
「もう言うな。決めたことだ。お前は後方支援の俺たちを一切気にするな。気にすれば勝利は遠のく。だが、たとえ俺たちにもしものことがあっても、お前の勝利は俺たちの勝利だ。俺たちがラウナバードやフェムルトに安心をもたらすことができるなら、生死は二の次だ。そこに命をかけたことに、ここまで生きてきた意義を見いだす。長く生きることが人生じゃない。人間はどう生きたかが、重要だ。そうだろう?」
ラティアの小さな身体が震えていた。
「お前もそう考えるから、ボロボロな身体でもここへ来たんだろう? お前も俺たちも……なあ、同じなんだよ」
チェーホフが笑ってラティアの前に手をさしのべる。
ラティアはうつむきながら、その大きな手を両手でおし抱くように握手した。
死ぬ気でここに残ってくれる。
仲間として。
それが心に響いて、涙をぐっとこらえた。
「ありがとうございますチェーホフさん……でも……」
ラティアは毅然として顔を上げた。
「でも。それでも私は敵に勝って、なお生きたいと思います。自分はいただいた命を抱き、慈しみ、輝かしめることに全力を尽くします。命を手放したくはないと思います。それが人間なんだと思うから、私は行きます。行って帰ってきます。必ず」
皆の目が大きく見開いた。ラティアの決意に圧倒されていた。
「だからチェーホフさんも決して諦めないでください。死ぬなどと思わないでください」
「そうか……いや、そうだったな。お前の言う通りだ」
そしてラティアは、軍人としての口調に改まった。
「補給が必要なときは私の方でここまで後退する。皆は絶対前へ出ず、私の後方支援に徹するように」
首都ラウナバードへ撤退する人の中に、ボギーの顔もあった。エンジニアでもない彼が自分のためにと、ここへ残りかねないかと心配したが。ボギーは思いとどまってくれたようだった。
けれど複雑な色をした表情を浮かべている。態度がどこか変わっていた。
一体チェーホフになんと吹き込まれたことか。
でも、今はどうでも良いと思う。
彼が助かるなら。
あとは、いつかどうにか、話をすれば良い。話してもどうにもならないかもしれないけど。
ボギーがラティアのマントを手に持って来た。
「あ、そのマントはもういい。邪魔になるから、持ってて」
ボギーはうなずいてマントを小脇に抱えた。すると、空いた両手をラティアの顔の方へ伸ばしてきた。何をする気かとラティアが後ろへ下がりかけた。構わずボギーは追って、ラティアのほほを両手づかみした。そのまま目尻に指を添えて、くっと下へ引いた。
「目がつり上がってる。肩に力が入りすぎ」
ボギーが手を離したあとの目元を、ラティアが慌てて両手で触れていた。ボギーが笑った。
「ここベルトーチカにはラティアがいる。そしてラウナバードには俺がいるからな」
「……なによそれ?」
「誰かさんの受け売りだ。少しは気が楽になるだろ?」
ラティアは冷たくならないよう優しく、ぎこちないながらも笑って、うんとうなずいた。
「絶対、生きてラウナバードへ行くから。また会いましょう!」
「おう。絶対来いよ! 待ってるからな!」
今は私情を挟んでいられない非常のとき。多くを語り合っていられない。
ラティアが何と言おうが、今生の別れになるだろう。けれどそれを絶対顔に出すなと、ボギーはチェーホフに固く言い聞かされていた。
ラティアが見送る仲間に敬礼をする。
基地全員が一斉に敬礼を返す。
「ラティア指令、ジェットスライダー発進!」
ラティアは前方をカッと見据えた。
南へ。敵の迫りくる正面へ。
ジェットスライダーが雪煙を巻き上げ、直進した。
「負けるな、ラティア」
ボギーは、その姿が見えなくなるまでラティアのマントを両手に振り続け見送っていた。
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