非生産系コミュニティー

左臼

第1章 非生産系コミュニティーが出来るまで

第1話 出所祝い?! 【陰キャ】少女との数奇な出会い

 強制生産施設きょうせいせいさんしせつの柵を越えるのは、相模さがみ優正ゆうせいにとっては、5年ぶりのことだった。

 ひたすらに退屈で誰もやりたがらないような生産行為を強要される日々は、本日この時を持って終わりを告げた。

 15歳から20歳に至るまでの貴重な青春時代は失われて、2035年だった西暦は2040年まで絶え間なく流れ続けて、172cmしかなかった身長は182cmになってしまったわけだが、これから先の長い人生にとっては些細な損失に違いない。とでも思っておかないと、絶望に胸がやられそうになる。


「何はともあれ、自由だ」


 柵の中にはなかった開放的な空気を肺に取り入れることで、それを強く実感する。

 現代の監獄とも言える強制生産施設の建っている場所は、入所者たちの逃亡を困難にするために、人里を少しだけ離れた丘を登った崖っぷちだった。

 そんな立地条件のために、自然が色濃く残っているというのも、『生きてる』を思い出すのに一役買っていたのかもしれない。


「そういえば、星崎ほしざきみちるの『星明ほしあかりの真実しんじつ』にもこんな場面があったよな?」


 星崎みちるというのは、人気沸騰中のミステリー作家の超新星であり、『星明かりの真実』というのは、彼女の代表作の1つである。

 強制生産施設では、消費的活動を行うことがほぼ認められておらず、結果として娯楽というものがほとんど存在しなかった。

 ただそれではあんまりだということで、1月ひとつきにつき子供の駄賃ほどの消費的活動の権利が与えられていた。

 優正は、主にそれを書籍データを手に入れるためにあてていた。

 現物のない書籍データなら他の入所者に巻き上げられるような心配がいらず、彼らから離れた場所で時間を潰すのに都合がよく、繰り返し読むことで手持ち無沙汰を防ぐことができたからであった。

 そんな5年の歳月の間の、唯一の楽しみの中でも、『星明かりの真実』はお気に入りの一冊であった。


 『星明かりの真実』は、前半で、主人公が無実の罪で捕らえられ、強制生産施設にぶちこまれる。

 後半は、それから数年後に出所した主人公が、自分の正しさを証明するために奔走した結果……というストーリーラインになっている。

 その中盤にある出所の場面。

 主人公が、先程の優正のように『何はともあれ、自由だ』と、やっと獲得した自由を噛みしめるように呟くのが、なんとも情緒があっていいのだ。

 どうやら、何度も読み返していた結果、頭に残りすぎていて思わず脳の引き出しが、その言葉を優正に選ばせてしまっていたらしい。


「ああー、あえー」


 感傷に浸っていたのもあって、目の前で小さな少女がモジモジしながら、うめき声のようなよく分からない発声をしているのに気付くのに遅れてしまった。

 急に出現した奇妙な生き物に、優正は思わず、不機嫌そうな顔をとってしまう。


「何だ? 何か用があるのか?」


「ぴょっ!? ……ぃえー、あー、そんなことはないですけれどもー、そのー」


 怒られたように感じたのか、少女は萎縮して「あのー、あのぉ……」と繰り返すbot化してしまう。

 それに付き合うような義理もないので、優正はその場を去って、施設職員に出所前に教わった寝床を与えてくれるテント村に向かおうとした。


「ちょ、ちょっと待ってくださいっ! お、おは、おはっ…………」


「一体、さっきからなんなんだ? 何か言いたいことがあるなら、早く言ってくれ!」


 思わず強い口調になる。

 少女は精神的に追い込まれたせいか、瞳を潤ませながら、「ふぅふぅふっふっふっふっ」と過呼吸気味になる。


「あーもう。仕方ねえな。怯えさせてしまって済まないな」


 チッと、短く舌打ちしながら、優正は少女の発作が収まるのを待ってやる。


「……すみません。少し落ち着きました」


 少女は胸に手を置きながら、「はあはあ」と未だに戻りきらない呼吸を整える。

 毛量の多いショートヘアは、振り乱したせいで少し散らかってしまっている。


「あのー、間違ってたらごめんなさいなんですけど、先程の『何はともあれ、自由だ』って、もしかして、みちる先生の星明かりの真実ですか?」


 みちる先生? と一瞬分からなかったものの、すぐに星崎みちるのことだということに気づく。

 誰にも聞かれていなかったと思っていた独り言が1人の少女の耳に入っていたことに、少し恥じ入りつつも、優正は頭をかきながら言葉を選ぶ。


「聞かれていたのか、恥ずかしいな。場面が重なったから、思わず口を出たんだ」


「ですかぁ。名場面ですよねやっぱり。

 そこから、自分を陥れた社会の闇の真実に迫っていこうと決意するまでの心情描写が最高なんですよね。主人公のリアルな偽らない少し砕けた文章で書かれている、必ず真実を解き明かさなければなければいけない。そうでないとこのまま悪は世の中にのさぼったまま次なる犠牲者が出てしまう。という正義感と。それでも不用意に近づいてしまえば、今度こそ自分は跡形もなく消されてしまうのではないかという不安。その2つの感情の間での葛藤の描写が鬼気迫るもので、わたしも思わず主人公に心を重ねながら、ドキドキとページを進めていました」


 急に早口になった少女に慌て、過去の友人曰く世界の全てに唾を吐いてそうなほどに不機嫌そうに見える顔に表情筋が歪んでいく。

 生まれつきの目付きの悪さと相まって、他者にはチンピラ感のある圧を与えてしまうらしい。


「ひっ……。ごめんなさい、わたしばかり話をしてしまって」


「あー、いやいいんだ。別に怒ってるとかではないから。他人とまともにコミュニケーションを取るのが久しぶりすぎて、どうやっていいか分からなくて困っているだけなんだ。なんだその、君は星崎みちるのことが好きなんだな?」


「はい、みちる先生の本は、わたしの人生のバイブルです。だから、先生の見ている世界を少しでも共有できればと、住んでいるところから一番近い強制生産施設にまで、訪れてみたんです」


 なるほど。そんな聖地巡礼を行うほどのファンならば、ちょうど同じようなシチュエーションに立たされている男が、作品と同じセリフを言ったならば、興味を惹かれるのは仕方のないことだと、優正は納得をする。


「そうだな。ここで出会えたというのも何かの縁だ。もし良かったら、星明かりの真実についての話をしないか? いくつかのシーンについて、こんなところまで出向くまでの大ファンの視点での解釈とかを聞かせてほしい」


「えっ!? いいんですかっ!!?? 話しましょう。話させてくださいっ!!」


 ということで、優正が強制生産施設から出所して初めにやることが、星崎みちるファン同士の語らいになってしまった。

 まあ、これはこれで悪くない。


 


 少女の名前は仲川なかがわ照茉莉てまりというらしい。

 優正は「てまり」と呼ぶことにした。てまりは優正のことを、「相模さがみさん」と呼んでくれる。


 てまりは(まあ見るからにそんな気はしていたが)、生産性が生まれつきのコミュ障と身体能力の無さで絶望的に低いらしく、娯楽に使える金銭的余裕も昔からなかったらしい。今も出所直後で無一文の優正が1時間ほど農作業手伝いをすれば追い越してしまいそうなほどしか手持ちがないだとか。

 そんな貧乏な彼女がハマった娯楽が、初期投資が少なくて比較的長時間楽しめる読書だったそうだ。

 その中でも、彼女の感性に最も刺激を与えたのが星崎みちるという作家との出会いだったという。


「ビビッと来たんです」


 てまりはそう語る。

 一瞬で、その作品に惹きつけられて、気付けば星崎みちる自身のことを調べていたと。

 そこでてまりは再度驚くことになる。

 なぜなら、現在15歳のてまりに対して、星崎みちるは18歳とさほど変わらない年齢であったから。

 そこからはもうすっかり、そのカリスマ性にどっぷりハマって、ついには聖地巡礼なんてことまでやってしまっていたと。

 そんな情報を彼女の辿々しかったり、興奮でやたら早口になったりするアップダウンの激しい会話の中で拾っていく。


 その後は、星明かりの真実について、互いに印象に残った場面なんかを語り合いながら時間を過ごした。

 正直な話、早めに今後の生活の安心を得るためにテント村に向かいたいと、話し始める前までは思っていたのだが、一通りの話が終わってみると、てまりとはかなり意見が一致していて、楽しい星崎みちる作品論議の時間を送ることができた。

 気付けば、出所時にはまだ東方向にあった太陽がすっかり、南向きに上りきっていた。

 話に夢中になっていたてまりのお腹から可愛らしい「くぅ~」という音が聞こえてきたのが、話を区切るためのベルになった。


「おっ、お恥ずかしい限りです……」


 そう言って顔を赤らめるてまり。


「いや、生理現象だし、別に恥ずかしがることでもないだろ。実際、オレの方もかなり腹が減ってて、どっちが先に鳴るかのチキンレースだったぞ」


 とにかく、腹が減っては議論はできないので、話の続きを少しだけしながら丘を下って、ふもとで別れようということになる。

 そう決めて、長く緩やかな階段の道を、ゆっくりと下っていく最中のことであった。

 猛スピードでズンズンと登ってきていた、少しだけ腹の出た中年の男性と、てまりがすれ違いざまに衝突する。


っ」


「おいっ! 気をつけろっ!」


「ひっ……すみません」


 怒鳴られたてまりが萎縮する。

 その様子を見ていた優正は、てまりに対して「大丈夫か?」と手を差し伸ばしつつ、文句の1つでも言ってやろうかと、頭の中で出すべき言葉を練り上げ始める。

 そう思っていたそのとき、


 ――はらり、と1枚のメモが男性のポケットから溢れて、地面に落ちる。


「あっ」


 一瞬だけ、メモに書かれた文字の羅列が目に飛び込んできた後、内容を読み取る間を与えないほどの素早さで、男性がそれを拾い上げた後、謝ることもせずにそそくさと丘を登っていってしまう。

 取り残される優正とてまり。

 2人して顔を見合わせた後、優正の方から、


「大丈夫だったか? 災難だったな」


 と、手を差し伸べる。


「平気です。もう痛くありません」


 てまりは、にへらと笑みを浮かべて、自分には何も問題ないとアピール。

 優正は、文句を言いそびれた男性の消えていった丘の上に思いを馳せ、少しだけ煮え切らない思いを抱えながらも、下り始めようとするてまりの方を優先する。


 てまりとはその後、ふもとまで共に降りていった後、互いの向かう先が違うということで別れた。

 優正は、これからの住居を確保するためのテント村に向かう最中に少しだけ、思いを巡らせる。

 男性がぶつかった際に落としたメモのことについてである。

 何かのリストや覚書のようであったが、その中に書かれていた文字もきちんと読む間もなく視界から消えたので、何が書かれていたのか分からない。

 何が書かれていたのだろうか?

 そう、10数秒だけ考えた後、まあ自分に関係があるようなことではないだろうと、思考を打ち切りにする。

 それより、今は食うものに寝るところだと、次に意識を切り替える。


 そのメモを見てしまったことによって、この日本全体を揺るがすような騒動に巻き込まれることになろうとは、このときはつゆ知らずに。

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