プラネット・ギア5

 中谷君が帰ってしまったため途中から一人土産をぶら下げて帰路を辿る。街灯は光を漂わせ夜の一部を黄色に染めており、何度目にしても見慣れない光景が広がっている。なんでもこの世界の街灯は疑似太陽光といって低燃費高出力かつ微細な調整が可能な技術らしく、浴びても身体にストレスを感じさせない作りとなっているらしい。暗闇の中に木漏れ日のような温かさが点々と浮かんでいる様子は未来的であったが、どうにも現実感がなく夢現な気分になる。不思議なもので、科学の粋を集めて作られた害のない光よりも、直視すればしばらく目蓋に焼き付けを起こすような強烈な発光を起こすLEDの方がしっくりとくるような気がする。不合理なノスタルジーは失笑を呼ぶに丁度よかったが、あまりにくだらない懐古に繋がりそうなので思考を止めた。懐かしみ思い出される過去はいつだって現実とは程遠い絵の具で着色され美化されるものだ。そんな偽りの名画に想いをはせるよりも、一刻も早く帰宅してゲームをやるのが先決である。そのためにはさっさと食事を摂って風呂に入り学習机に座ってすっかり習慣となってしまった予習復習をしなければならない。実に難儀だ。

 こうした規則正しく真っ当な生活を送るというのは存外大変なもので、特に自由な時間が作れないというのが悩みの種であった。しかしそれも普通に生きるためには必要な事だし、何より皆やっている事。いったいどうして、誰に教えられればこんな生活を子供の内からできるようになるのか知らないが、世の学生というのはまったく大変な目に遭っているのだなと身をもって痛感する。そこらの適当に生きている社会人よりも余程苦労しているんじゃないかとさえ思うのは、俺が人並みの社会生活を送ってこなかったせいかもしれない。


 帰宅して部屋に入ると自然に電気が着いた。俺が入った瞬間に明るくなったという事は、今は誰もいないという事である。テルースに接続してみるとメッセージが一件。「本日飲み会で遅くなる」とのメッセージが母より届いている。最近多いが、誰か気に入った男でも見つけたのだろうか。内臓が心配だが、女はいつまで経っても女と聞くし、目ぼしい人物がいるのであれば皺が増える前に捕まえておいた方がいいだろう。でないと老後が大変だ。色々な意味で。

 老い。考えてもみなかったが、俺もいつかは歳を取り、老人になっていくのだろう。今この時、若い時分はその内にある無限ともいえるエネルギーに身を任せて好き勝手に生きていける。暴飲暴食をしても翌日にはすっかりと消化されているし、一日二日の徹夜など物ともしない。隣町くらいなら電車に乗らずとも歩けるし、エレベーターやエスカレーターに頼らず階段でビルを上り下りする事もそれほど苦ではない。この若さという力が、ある意味人間としての賞味期限が切れてなくなる際、俺はいったい何を思うのか。既にない十代二十代の幻にしがみつきみっともなく取り繕うような真似はしたくないが、そんな恥ともいえるような心境というのは失われる時にしか分からないだろう。歳を取らなければ、若さへの渇望と焦燥は他人事のままだ。故に未来の俺自身の事は今の俺には予想もつかない。望むべくは、真人間として相応な人格を有していてほしいという事だが、俺がそんな風になっている様子など想像がつかず、未来予想図は暗礁に乗り上げる。そもそもいったいどちらの未来を想像すればいいのか。今ここにいる俺か、それとも……





「お悩みですか? 石田さん」





 誰もいないはずなのに声が聞こえる。いや違う。そう感じているだけだ。実際には声など聞こえていない。だが確かに、誰かが俺の名を呼び、問いかける声が響いている。それも、俺の部屋から。こんな面妖な仕業、奴にしかできはしないだろう。俺は犯人が誰であるか確信し、自室への廊下を辿って生体認証のある部屋のドアを潜った。




「お久しぶりですね石田さん。お元気ですか?」




 声の主が部屋の中で静かに蠢く、人間の根源的恐怖に訴えかけるその名状しがたい形状には勿論見覚えがあった。俺をこの異星に連れてきたアシスタントキャラクターのデフォルト形態である。


「あぁ、元気だったよ。お前の顔をみるまでは」


「それは災難でございますね。ですが、お報せに来ただけなのでご安心を」


「報せ?」


 お報せ。

 不幸な意味が孕んでいるのは察する事ができ、また、それが何であるかも何となく予想がついた。


「はい。異星が滅びます」


「……」


 そして予想は的中。僕はしばらく立ち尽くし考える。もしかしたら何も考えていなかったかもしれないが、考えているような気になっていた。頭の中を目まぐるしく巡る記憶と思考。しかしどれ一つとして取り留めなく、拙い。形となって思い出されるものはなく、ただ、分解されたデータだけが駆け巡っていく。



 これまで見てきた歴史がなくなる。



 漠然としてであるが、それは大変重大な事であると俺は受け止めた。一方、心のどこかで終わりを期待していた節もあったような気がする。長く観ていた作品に、ずっとプレイしていたゲームに、何十年も続いていた漫画に、ようやくピリオドが打たれる、その直前のような喪失感と焦燥感と達成感が入り混じった感情が俺の中で生まれ、心を惑わせていた。


「それは、そうか」


 そんなよく分からない事を口走るとアシスタントがくつくつと笑ったような気がしたので視線を上げて見てみたが、顔がどこにあるのかすら分からなかった。もしかしたら本当に笑っていたかもしれないが、そんな事はどうでもよかった。それよりも、異星が終わる。それを考えると……

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