逆襲のシシャ12
ワザッタは軍を抜けてコニコ、ドーガ、エシファンの三国を股に掛ける自動車企業『CDEモーターズ』の代表となり、同時にドーガから派遣された親善大使の役割を担っていた。
といってもその実情は各国の情報を集める諜報員的な使命と経済面で楔打つ役割を担っており、要はムカーム子飼いのスパイなのであった。当然企業方針などはムカームの意見が最優先されるため代表の座にいるといっても傀儡でしかなく、しかもそれは周知の事実であってワザッタ個人に対する影響力はそれほど高くないのだが、バックにムカームがいるというのもまた暗黙かつ公然の事実として認識されている事から、人々はワザッタではなくムカームを畏れ、ワザッタに形式上の礼節を尽くしているのであった。だが逆に言えば、ワザッタの応対はムカームの応対であり、ドーガの応対と言っても過言ではない。レストランで客席から従業員まで一様に驚いたのはそういうわけだ。
とはいえワザッタが無能であり、まるっきり木偶だったかというとそうでもない。ワザッタはCDEの利益の一部を慈善事業に充て、学校や公共施設建設に尽力し、貧富の差をなくそうと福祉活動にも援助していた。これはワザッタの独断でありムカームには事後報告で伝えられた。特に叱られる事はなかったが、その時ワザッタの心拍数は百六十を超えており、冗談ではなく死ぬ寸前まで追い込まれている。それだけ肝を冷やしても世間からは偽善だのイメージ作りなどと陰口を叩かれていたが、彼の為人を知る者は決して蔑みはせず、決まってこう言うのだった。
「ワザッタ社長は馬鹿だがそれ故に私心がない。よって計略などできるはずもなく、その行為は全て本心からか何者かの意思によるものである」
そのワザッタがランチミーティングをしている最中にやってきたのがキシトアであった。この時キシトアが幸福であったのはワザッタ以外にも出席していた何人かがキシトアの顔を知っていた事であろう。もしワザッタだけがキシトアであると認識していたのであれば、誰もが彼の言葉に耳を貸す事はなかった。信頼はされているが信用はされていない。それがワザッタの今の立ち位置である。
「そんなわけで今は社長業と外交を担当しております。いやしかし、こんなところでリャンバの国主様にお目にかかれるとは……」
「俺はもう国主ではない。よって緊張する事もないぞ」
「噂は本当でございましたか……私はてっきり飛ばし記事かと思っていたのですが……」
大陸に諜報員を送り込み迅速な情報収集力を誇るムカームがキシトアの去就を知らないわけがなく、裏ではかなり早い段階でドーガ上層に共有されていたのであるが、ワザッタには伝えられておらず大分経った後にまったくの別方向から伝聞で認識したのであった。ワザッタに情報が伝わっていなかったのはムカームが意図した事なのか、それとも単に忘れていただけなのか定かではない。
「国民があれやこれやとうるさくてな。嫌になって全部投げ出したのだ」
「それはまた豪放ですね」
「無責任と言ってくれて構わんよ」
「いえいえそんな……ところで、そちらのお嬢様は?」
ワザッタは話をそらすためにほったらかしになっていたエティスに話を振ったが、それはそれで悪手であった。
「申し遅れました。私、リャンバの秘書室に所属しております。エティス・ティースでございます。この度は国民に罵倒を浴びせられ拗ねてしまったキシトア様の保護者として帯同しております。以後、お見知りおきを」
「だんだん口上に俺への敬いがなくなってきているぞエティス」
「気のせいではないでしょうか」
エティスとキシトアのやり取りに愛想笑いを浮かべるワザッタの冷汗は尋常ではなかった。如何に国主の座を退いたといえキシトアは大物中の大物である。そんな相手に皮肉と嫌味が入り混じった無礼千万な口を叩くエティスが信じられないのだろう。
「と、ところで、キシトア様はエシファンでどうお過ごしなさるおつもりですか? 確かに近頃は観光業に力を入れておりますが、その多くは庶民向けのものでして、やんごとなき方をお迎えするような店などはこの赤壁くらいなものでございますが……」
「別に今の俺は庶民なのだから仰々しいもてなしなどいらんのだが、確かに勝手を知らんのは少々困る。なにかいいアテがあればいいのだが……」
悩んでいるようには見えなかったが、キシトアは大いに心配だと言わんばかりの過剰な仕草でそう口にしていたところへ、先ほどの給仕が料理を持ってやって来た。
「お待たせいたしました。一流料理人が三流の素材でお作りました、白身魚の香草蒸しに海老と貝の黄金スープ。岩塩のみの焼きそば。それと薬酒と白酒でございます。焼きそばとお酒は奇跡的に一流の食材が余っておりましたのでご満足いただけると思いますが、その他に関しては当店のポリシーに反したものとなっております。その点をご留意いただき、存分にお召し上がりください」
「あぁ。そこへ置いておいてくれ」
「……ハヤクカエレボケナス」
「今なんと言った?」
「どうぞごゆっくり。と、申し上げました」
「嘘だな。絶対俺を侮辱したただろう」
「当レストランは最高のおもてなしを良しとしております。そのような事は絶対にございません」
給仕が白々しい嘘を吐いて去っていくと、キシトアは酒を一口飲み、魚を摘まみながら「ふむ」と唸った。
「このように現地の人間の言葉も分からんのだ。実に困ったものだよ」
「はぁ……しかしまぁ、リューイでしたらホルスト語の表記もございますし、それほど困る事はないかと」
「いや、せっかくだから他の場所も見たい。なにかいい策はないだろうか……」
そんな事を言いながらも恐らくキシトアの胸は決まっており、また、ワザッタも薄々勘づいているように見えた。ムカームと対峙している時とは打って変わって大根な演技である。
「社長。ここは一つ、キシトア様にエシファンをご案内したらいかがでしょうか」
キシトアの茶番にワザッタの部下の一人が悪乗りを始める。すると、他の部下達もこぞって「それがいい」と合いの手を打ち、ついにはエティスまでもが「それは素晴らしいです」などとのたまうのであった。
「い、いや、しかし、それはいくら何でも……あ、そうだ! 仕事! 仕事が忙しくって私はどうにも暇がなく……」
「問題ありません。社長がおられなくとも我が社は回ります」
「そ、そうだけれども……あ、大使! 大使としての活動が!」
「そちらも問題ありません。今月のスケジュールはほぼ白紙。学校挨拶や現地視察などは全て三か月後となっております」
「なんだワザッタとやら。貴様、俺が嫌いなのか?」
「め、滅相もございません! 誠心誠意、お付き合いさせていただきたく存じます!」
「そうか。それはよかった。では、早速今日から頼むぞ」
「きょ、今日から!?」
「なんだ駄目なのか?」
「い、いえ! 問題ございません! 喜んでお供させていただきます!」
こうして、ワザッタの受難が再び始まったのであった。
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