逆襲のシシャ10

 キシトアとエティスはまたも船の上にいた。

 

「あ! キシトア様またお酒飲んでる!」


 口を尖らすエシファンに対し、キシトアは鼻で笑い応えた。


「乗客にサービスだというのでな。瓶ごといただいてきたのだ」


「最近ますますお飲みになる量が増えたんじゃありませんか? 身体に毒ですよ?」


「ようやく念願のエシファンへ行けるのだ。こんなめでたい時に飲まねばいつ飲むというのか」


「いつも飲んでいらっしゃるじゃないですか」


「過ぎ行く日々はいつだって特別である。同じ日は一日としてなく、めでたいのだ」


「知ってますそれ。ノー天気ってやつですね!」


「……」


 実に能天気な会話であるが二人の身は依然安全とは言い難かった。乗っている船はドーガの旅客船であり当然監視は継続中。おまけにムカームとの関係にもひびが入り外交上での懸念点も浮かび上がってきている。極めつけはエシファンへ降り立てば例え殺されたとしても文句は言えない事であろう。勝手知らぬ他国においては身の安全の保障など皆無に等しく危険度は急上昇。ドーガがキシトアを始末するのであれば恰好の地なのである。まさに虎穴。

 まぁ、ここでキシトアを殺すメリットはやはり薄く、ムカームとしても急いて事を荒立てる必要はないためおとなしくしていれば七割は安全であろうが。



「でもまぁ、ムカーム様の誤解が解けてよかったですねキシトア様」


「まったくだ。頭を下げねばならない羽目となったのは腹に据えかねるが、それもいた仕方なし。せっかく外海の更にその奥へ出られるのだ。全て水に流すとしよう」


「頭下げてたんですか、アレ」


「下げていただろう。清々しい程の謝意と誠意。それが伝わったからこその渡航許しである」


「呆れていただけのような……」


「うるさいぞ。結果良ければすべて良しだ」



 キシトアの言う事は全て主観に基づく感想であり客観的事実とは大きく異なる。しかし、それでもエシファンへ向かう事ができたのは大きな前進に違いない。それを成したキシトアの手腕は認められるべきであろう。




 何が起きたかといえば遡る事一日前。官邸でのでき事である。


「何卒我らにエシファンの大地を踏む許可をいただきたい!」


 完全に陶酔しているキシトアは声高らかに芝居じみたセリフを恥じらいもなく堂々と胸張って言い放った。こうなっては何処も彼処も彼の劇場となる。止められる人間などおらず、終焉は台本通り進みピリオドを迎えるか、自らの命が失われた時である。



「……そこまでして、エシファンへ行きたいのですか?」


「それはもう! 是が非でも!」


「結果として、我が国とリャンバの関係が悪化しても、ですか?」


「はて? それはどういう意味ですか?」


「私達個人の関係やキシトア殿の現在のお立場などはこの際問題ではありません。最も論じなければならないのは、リャンバの元国主が我がドーガの友好国……いや、属国であるエシファンへ入国するという点です」


「ほぉ……属国。と、言い切りましたか」


「つまらないやり取りは抜きと申し上げました」


「ではこちらも本音を申し上げましょう。確かに観光したいという理由もない事はない。しかし、それ以外にも当然、目的がある」


「それは? よろしければお聞かせ願いたい」


「ムカーム将軍はかつてエシファンを斜陽国家と述べておられました。その事、覚えておいでか?」


「ええ。そういった意味合いの言葉を使った事は記憶にございます」


「まさにそれです。かつての大国が今どのような状態となっているのか、それを観たい。明日は我が身です。後学のためにも得られる情報や知識は得たい」


「なるほそ。しかしそれならば、大陸にホルストといういい見本がございましょう」


「それはその通り。ですが、二つ目の目的。これを達成するためには、ホルストでは駄目なのです」


「お聞きしましょう」


「エシファンはかつて優れた科学力と技術力を有していたと聞いております。その一端に触れ、我が国の発展に役立てたい。工業技術は今後確実に国の力となる。どのような情報でも、今の内に仕入れておきたい」


「……つまり、みすみす他国の益になる事を、何の見返りもなしに見逃せと、そう仰るわけでございますか」


 友好を結んでいるとは思えないムカームの言葉であったが相手は現在一般人である。外遊の接待としてならばともかく、国策を論じるのであれば建前を並べる義務などない。言うべき事を述べず黙っているのは返ってその国に対する侮辱でもある。ムカームはキシトアだけではなく、その背後にあるリャンバという国を見据えた対応をしていた。


「無論、ドーガへのメリットもご用意いたします。現在、我々リャンバは空を飛ぶ機械の開発に成功し、試験も大詰めといったところなのでございますが、もしエシファンへの渡航許可をいただけましたらその技術、ドーガへお渡しいたします」


「空飛ぶ機械……ですか。なるほど。それが事実であれば、確かに手にしたいものだ」


「事実かどうかは、既にご存じなのではないですか?」


「さて、何の事やら」


「ムカーム将軍。つまらないやり取りは抜きと仰ったのはそちらの方でございましょう? とぼけるのはやめていただきたい」


「……そうですね。確かにそうだ。しかし、それをいただけるという保証はどこにございますか? あなたは現在国主でもなければ国の中枢にいるわけでもない。その立場で、どうやって私を信用させていただけるのですか?」


「……エティス」


「はい。Butter in einer Pfanne schmelzen, geriebenen Knoblauch hinzufügen und die Zwiebeln braten, wenn das Aroma herauskommt……」


 突如としてエティスが難解な言葉を発し始めると、ムカームは勿論、画面越しに見ている俺も怪訝な顔をしていただろう。


「……なんの真似ですか?」


「空を飛ぶ理論の暗証です。こちらを記載して有識者に見せれば、すぐに我が国と同じような機械が完成するでしょう」


「……分かりました。エシファンへの渡航許可を出しましょう。明日、船が出ますので、そちらに乗船できるよう手配いたします」


「ありがとうございます」


「ただし、エシファンでの身の安全は保障しかねます。その点だけ、ご留意いただけると」


「……分かりました」


 会談は合意、取引は無事終了し、両名は握手を交す。


 キシトアとムカームは笑いながら互いを見据えていた。それは友好の微笑みではなく、捕食者が牙を見せた時のような、鋭利な攻撃性が現れていた。

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