猿人、大地に立つ1
かくしてニュームリラとオールドムリラの血みどろな紛争が始まった。
開戦当初こそオールドムリラの豪腕と野性的知見がイニシアチブを握り戦況は一方的にニュームリラの劣勢。見ていられないほどの格差を生んだ。
僻地に追い込まれたニュームリラはひもじい思いをする。主な食料は茎や蔓といった植物そのもの。あるいは虫。たまに実や花蜜が食べられればいい方で、基本的には喰えぬ物を喰うような生活であった。
だが、その極限の環境が、ニュームリラ達に加速度的成長を促したのであった。
喰うに喰えぬ現状を打破せんとニュームリラ達は試行錯誤を始める。なんとか手に入れた粗末ともいえないような食材をうまく摂取しようと石を使って挽いてみたり、皮を剥いだ木で伸ばしたり摺ったり、太陽光で熱を通したり水と混ぜ合わせて生地を作るようになるなどした。料理だ。原始の料理が、ここに作られたのだ。ニュームリラ達は極めて原始的だが料理を覚え、生活に取り入れたのだ。これは猿にもアミークスにも見られなかった文明的行為である。
そしてそこからが凄かった。ニュームリラは料理を作るために石や木材を次々と加工するようになる。鍋、皿、包丁、まな板、すりこ木。様々な食具が作成されていき、ある時に彼らは気付いたのだろう。これらが、命を奪う道具になるという事に。ここでニュームリラ達に、武器の概念が生まれた。
殺傷用の武器自体はアミークス達も開発に成功している。しかしそれは長く時間がかかった末にようやく辿り着いた知恵であり、また、獣の側面が強く残っていたためか基本的には爪や牙による狩が主であった。生き残るために得たものではなく、あくまで生活の補助。なくても問題ない知恵であった。
対してニュームリラ達は違う。それは生き残るために必要な知識であった。戦うためになくてはならない知識であった。繁栄するには、なくてならない知識であった。その知恵が、彼らを強く、貪欲に、凶悪にしていった。
棍棒や槍で武装したニュームリラ達は破竹の進撃を開始しオールドムリラ達を追い込んでいく。そして、戦いの中で彼らはさまざまな事を学んだ。集団戦の戦い方。待ち伏せ。挟撃。追撃。一点突破。波状攻撃。囮。トラップ。誘導……あらゆる手が慣行され、尽くオールドムリラ達を屠り、殺傷し、滅ぼしていったのだが、それは半ば実験の様相であった。如何に効率的かつ合理的に敵を死に至らしめられるか試しているように見えた。表現するのであれば残虐。凄惨なるサバイバルは新たな命と引き換えに、古き命を一つ失った。オールドムリラ達はとうとう最後の一匹まで狩り尽くされ、死んだ。
「これが業か……」
一部始終を見ていた俺は分かった風な口を聞いて黄昏れた。夢を託したニュームリラ達の所業は現代人に通ずるものがあり、儚く、失望めいた感情が込み上がってきた。元は同種。何もオールドムリラを滅ぼす事はあるまい。それを何故徹底的に叩き潰したのか。いつぞやに見た猿達のような情けはないのかと想いが巡る。
「生きる事が業というのであれば、生物はみんな背負ってしまいますねぇ」
バウバウがそんな事を言った。
「しかし、もっとあるだろう。慈悲とか、博愛とか、武士の情けみたいなものが」
「そんなものは後天的に発芽する高度な文明的思考ですよ……野生に生きる動物が知恵をつけたら、そりゃあ過剰なまでに何でもやります。今を生きるためですから」
「むぅ……」
反論は思い付かなかったが承服はできなかった。かつて野生動物が他種を保護したり慈しむようなムーブをしたという事例を知っているからである。しかし、それこそ限定的で例外的な事象であり、口にすれば返ってバウバウの論を肯定する事となるので黙っていた。
「しかし、オールドムリラを打倒した後どうするんだ。奴ら、滅ぶまで孤島で過ごすつもりだろうか」
結局無理やりに話題を変えて議論を避けた。倫理や道徳を語れるほど偉くもないし、固執する理由もないと気付いたのだ(あるいはそう思い込む事で胸に巣食った靄を払おうとしたのかもしれない)
「さぁ。ま、しばらく様子を見てみましょう。これだけ急激に知恵がついたんですから、自分達の足で新たな道を歩むかもしれません」
「そうだな。そうしよう」
結局のところ、俺はバウバウの意見に従いニュームリラの生活を眺める事にした。どうしたものかと考えあぐね、案煮詰まらず手をこまねいたのもあったが、何より下手に手を出し、猿の森のような惨事を恐れたのが大きな要因であった。命の重さというのは不思議なもので、側から見ていれば塵と等しく軽く感ぜられるのに、いざ自分が担うとなると鉄球のようにズシンと重い枷となるのだ。その重荷に耐えられぬ俺はただ、責から逃げるようにして成り行きに任せたのである。ムリラ達を争わせ、滅亡へと導いた事も忘れて。
数百年が経った。ニュームリラ達の成長は止まるところを知らず、短いスパンで形態も著しく変化し猿人と人間の中間のような姿となっており、いつの間にやら火さえも我が物としていた。彼らは武器を使いこなし狩りをし、農作物を育て、食具を使って料理を行い、楽器で音楽を奏で、筆で絵と文字を描き、木で家屋を建てるまでに至り、ついには造船し漁業をするまでになった。さすがに船のできは悪く遠くまで帆を張る事はできないが、千年に満たぬ時の経過でよくぞここまでと感嘆するくらいに急激な発達を遂げていた。この異常とも言える進化は閉塞されたムリランドの環境が要因となっているのか、はたまた、組み込まれたアミークスの遺伝子に発達性の因子が存在していたのか。馬鹿な俺には分からなかったが、現実としてニュームリラ達は限りなく人に近い生物となり、住んでいる孤島を支配していた。もはやニュームリラと呼ぶのも無理があるため、俺はこの新生物をアミストラルピテクスと名付ける。
アミストラルピテクスは更に数を増やしていったがそこに問題が発生した。数が増えすぎたのである。
ムリランドは手狭というわけでもなかったが決して広大とも言い難い面積。元よりムリラが自然的に前生物に退化すれば本土へ送還する予定の繁殖地だったのだから、定住地として機能不全を起こすのも仕方のない事だった。
「どうしたもんかね。このままじゃ飢えて死ぬぞ」
膨大な数となったアミストラルピテクスは争いこそしなかったが不穏な空気を出していた。内紛も時間の問題といった様子である。
「まずいんじゃないか」
「そうですねぇ。でも、対策は考えてるみたいですよ」
「なに」
バウバウが「ほら」と言って差した先には巨大な漕船ができあがっていた。帆さえないが、その完成度はさながらガレー船である。よもやここまでの技術を身につけたかと打ち震えたが、こんなオーパーツめいた物を本当に奴ら単独で作ったのかと疑問に思った。
ふとバウバウを見る。その表情には愉悦が満ちている。こいつ、もしや……
「いやぁ。楽しみですね。希望を胸に大海原に駆り出すだなんて、実に浪漫がありますねぇ」
「……」
「あぁ。嵐。時化。台風。あらゆる困難を乗り越え辿り着く新大陸。血が滾りますねぇ」
「……」
「まったく、航海というのは本当に最高ですねぇ」
「……お前、何かしたな?」
「……え?」
「置いただろ。船」
「……石田さん」
「なんだ」
「海、いいですねぇ……」
「……」
俺はそれ以上追求はしなかった。
いずれにせよ、アミストラルピテクスは新たなる道を歩み出すのだ。それを見守るのはまさしく神の役目である。が、せめて難破せぬよう、海流をいじるくらいはしてやろう。
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