第4話 神か悪魔か

「······殺意と想像力?それがこの白い世界で

完全犯罪をする条件だとでも言うのか?」

 

 先程から駿太は女の緩急の激しい迫力に、ただ守勢に回るしかなかった。だが、そこから意外にもこの事態の本質に迫る質問を口にした。


「そうよ駿太君。私はただ無作為に市井の人間を選んでいる訳じゃないの。貴方の様に強い殺意と豊かな想像力を持った人間。そんな人達を見つけて手助けをしているのよ」


「······手助けだって?通勤途上に人を強制拉致し、殺人行為を勧める事が?」


 駿太は必死にメッキだらけの正義を盾にして反論を試みる。気に入らない連中を頭の中でなぶり殺しにする。


 だがそれはあくまで想像の世界であり、現実世界ではそれは何の罪にはならない。刑法の上で自分は清廉潔白。駿太はそれを武器に自己弁護するしかなかった。


「これは救済措置よ駿太君。この乱れきった世の中で、悪人に虐げられる善人に残された唯一の報復手段。その行為を私は仕事として遂行しているの。それって、素敵な仕事だと思わない?」


 女はまた首を傾げて、紅い唇を僅かに開く

。その官能的とすら感じる表情に、駿太は一瞬息を飲んだ。


「······でもね駿太君。幾らやり甲斐のある仕事でも、いつか飽きてしまうわ。そんな時、上司は私に昇進する機会を与えてくれたの」


「······昇進?君が所属しているのは、死神が運営している会社か何かか?」


 駿太は乱暴な口調で嫌味を吐いた。だが、女はそんな台詞に微動だにしなかった。


「ふふ。死神の会社か。その表現面白いわね

。でもね駿太君。私ですら全てを把握している訳じゃないの。上司と言っても直接会った事は一度も無いの」


 女の困った様な口調に、駿太は更に混乱して行く。目の前の女が属している組織。その全容を知る機会が絶たれたかに見えた。


「深く考える必要は無いわ駿太君。いつの時代も。どんな場所でも。使う側と使われる側が存在する。私は貴方と同じよ駿太君。現場で汗を流し、ひたすら日々のノルマをこなして働く労働者。そうでしょう?」


 女は両手の細い指を頬に当て、悲しげにため息をつく。女に同意を求められても、駿太は一向に共感しなかった。


「······君のノルマって何なんだ?」


 毎日車に溢れんばかりの小包を車に詰め込み、それをひたすら配達する駿太にとって、この異世界の住人である女の仕事など想像もつかなかった。


「駿太君の様に、強い殺意と想像力を持つ人達を手助けしてその行為を完遂させる。課せられた人数まで、残り四人と言う所まで来たわ」


 行為の完遂。それは、想像の世界で殺人行為をさせると言う事に他ならなかった。駿太は冷たい汗から今度は背中に悪寒を感じ始めた。


 この黒い和服の女は、一体今まで何人の人間に殺人行為をさせて来たのか。


「繰り返す様だけど、誰でも言いって訳じゃないの。駿太君。貴方の様に真面目に生きている人間にしか私達は手を貸さないわ」


 妖しく妖艶な笑みから一転し、女は親しげに明るく笑う。たが駿太は、女の笑顔に一分の気の緩みも許さなかった。


「さあ駿太君。積年の恨みを晴らすまたと無い機会よ。憎い相手を殺って、精神の底に溜まった黒く淀んだ澱を捨て去りましょう」


 駿太と女は五メートル程の距離を挟んで向かい合っていた。だが駿太が気付いたとき、女は駿太の両手を握っていた。


 一体、どうやって一瞬で五メートルの距離を縮めたのか。駿太にはどう考えても理解出来なかった。


「······断る。完全犯罪になるとしも、本当に人を殺すなんて俺には出来ない」


 この訳が分からない世界に連行され、殺人行為を勧められた。その時から、駿太はただ一つ用意していた答えを口にした。


「······そう。残念ね。でもね駿太君。気が変わったらいつでも頭の中で想像の翼を広げるといいわ。そうすれば、また私はいつでも貴方の力になるから」


 女は失望した様子も見せず、気さくに笑って見せた。


「······俺の為にじゃ無く、ノルマの為だろ?


 この美しい女に翻弄され続けた駿太は、精一杯の皮肉を口にした。


「ふふ。意地悪ね駿太君。戻りたいのかどうか分からないけど、そろそろ元の世界に戻るといいわ」


 女が駿太から踵を返し、駿太に背中を見せながら歩き始める。駿太は女の美しい長髪に向けて一つだけ質問をした。


「······君の名前は?」


「さんかよ。散る華と書いて散華。儚げな名でしょう?私は気に入っているんだけど」


「······散華」


「じゃあまたね駿太君。お仕事頑張って」


 女のその言葉と同時に、駿太の景色が一変した。さっき迄駿太の視界には散華の背中が映っていた。


 たが、今の駿太が目にしているのは、見慣れた電車の車内の風景だった。ホームから電車の出発を知らせるアナウンスが聞こえた。


 駿太と数百人を載せた各駅停車が動き始めた。車内の窓から見える外の景色を見ながら

、駿太は散華の背中を思い出していた。

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