第2話 妄想が現実になる日

 曙駿太は平凡な人生を歩んで来た。彼自身にとって幸運だった事は、幼少の頃から分をわきまえていた点だ。


 自分には勉強も運動も秀でた才能は無く、周囲の中心になる様な魅力も、コミュニケーション力も備わっていなかった。


 これに早くから気付いた駿太は、決して高望みする事無く、自分のスペックに相応する物しか選ばなかった。


 高校も自分の学力に見合った所を選択し、経済的に恵まれていない家庭の事情を熟知していた駿太は、早々に進学を諦め就職を選んだ。


 就職先は最大手の運送会社だった。これには駿太は自分自身驚いていた。面接の際には上手く自己アピールが出来なかったので、間違いなく落とされると思っていたからだ。


 配達の仕事は時間に追われ、体力的にきつかったが、上司と机を突き合わせ一日中デスクワークをする仕事よりは気が楽だった。


 基本的に配達中は外で一人。それは、人付き合いの苦手な駿太にとって有り難い環境だった。


 一日時間に追われる仕事は、驚く程日々の時間を食い潰して行った。十八歳で就職してから、瞬く間に十ニ年が経過した。


 社宅に住まい、物欲にも乏しい駿太は慎ましい生活を送っていた。この生活にもし熱中出来る趣味が加わったら。


 休日はその趣味に興じ、メリハリのある日々になっただろう。


 もし多くの友人が身近に存在したら。他人の長所や短所を受け入れる懐の深さが備わり、人間的にも奥行きのある人格が形成されるだろう。


 もし恋人がいたら。辛い仕事も嫌な事も。

恋人との心が踊る時間の為の耐え、精神的にタフになれる事だろう。


 だが、趣味も友人も恋人も。駿太には存在しなかった。趣味や友人や恋人を作る気力も持たなかった。


 友人も恋人も、得る価値より煩わしさの方が勝った。休日はただ疲れた身体を休める事に使い、この終わらない同じ日々をため息と共にやり過ごしていた。


 本来、他者と共有し分かち合う言葉のやり取りを放棄した駿太は、その行き場を失ったエネルギーが自己の内側に流れるようになった。


 それは独善的な考えであり、自己中心的な物事の判断基準となった。部屋で横になりながら聞く、テレビで流れて来る犯罪のニュース。


 駿太は残酷な犯罪の犯人の映像を見る度に

、頭の中でその犯人を即死刑にしていた。駿太は昔から考えていた。


 この世は迷惑をかけた者の勝ち。犯罪を犯した者の人権を守られ、被害者はただ泣き寝入りだと。


 何故何の罪も無い被害者の命を奪った加害者の人権が守られるのか。殺された被害者の人権は何処のゴミ箱に捨てられたのか。


 だが、この世に溢れる無限の矛盾の一端を真剣に熟考しても無益だった。ならばせめて

。自分の頭の中では。想像の中では自分の正義を執行しようと駿太は考えた。


 駿太は空想する。この国にある、全ての刑務所にずば抜けて致死率の高い毒ガスを散布する。


 それで犯罪者は一瞬でこの国から一掃される。そして凶悪犯罪の犯人は手足を鎖で縛り付け、被害者の遺族に好きな方法で報復させる。


 自身の手で加害者を手にかける事を躊躇するなら、それを代理で行うシステムを作る。

街でゴロツキのように無抵抗な人を脅かす輩は、問答無用で背中にボーガンを射ち込む。


 駿太は黒く淀んだ愉悦の元で、そんな想像を頭の中でする様になった。それは段々とエスカレートして行き、駿太の想像の中では、人命はひとひらの葉よりも軽くなっていた

。 


「どうしたの駿太君?早くそこの四人を始末なさいよ。何時もの貴方のやり方でね」


 甘い吐息の様な声で、駿太は意識を現実に戻した。否。これは本当に現実なのか。駿太は未だに信じられなかった。


 自分は通勤途中に電車に乗り込んだ筈だった。それが何故か、一面白い世界に立っている。


 そして黒髪に黒い和服の美しい女が、躊躇する駿太をそそのかすように促していた。

駿太は混乱しながらも、これは現実だと認識するようになって来た。


 何故なら、この世界は自分がいつも想像していた世界だからだ。駿太は自身の目で見かける傍若無人な連中を、いつも想像の中で椅子に縛り付け制裁を加えていた。


 この見慣れた世界が、駿太に現実味を与えていた。どうやら自分は想像の世界の中に迷い込んだ。


 駿太はそう結論付けた。では一体何が原因でそうなったのか?駿太は目の前に立ち、先程からクッキーを頬張るこの女しか考えられなかった。


「······君が俺をこの世界に連れて来たのか?君は一体何者だ?」


 駿太は慎重に言葉を選び、笑みを絶やさない美しい女に問いかけた。


「そうねえ。半分当たりだ半分外れよ。この世界は駿太君。貴方無しでは存在しないし誰も来れないわ。私は貴方を想像の世界に来る事を少しだけ手伝っただけ」


 一体何個目だろうか。女はビニール袋からクッキーをまた取り出し、美味しそうに食べる。


 駿太は頬に汗を流し、女を無言で見つめ続ける。すると、女は何かに気付いたような表情になった。


「ああ。私が何者かって?そうねえ。死神。悪魔。疫病神。そんな所かしら?好きな名称で呼ぶといいわ」


 女は指についた小麦粉の粉を舐めながら、怪しい視線を駿太に送った。駿太は疑問が一行に晴れなかったが、とにかくこの世界から現実に戻る事だけを考えていた。


 そう。何時もの様に、気に食わない連中をなぶり殺しにすればいい。駿太はそう結論付けた。


「······一つ確認して置きたい。あの四人を始末すれば、俺は電車に戻れるのか?」


 駿太の問いに、女は首を傾け妖艶な表情を作る。


「そうよ。察しがいいわね。早く四人を殺って元の世界に戻りましょう?折角、勤続十ニ年遅刻無しの記録を途絶えさせない為にもね」


 女は真紅の紅がひかれた唇から舌の先を覗かせた。その妖艶さに、駿太の呼吸は一瞬止まりそうになった。


 駿太はパイプ椅子に座る者に向かって歩き出した。真偽の程は測り兼ねるが、とにかく現実の世界に戻れる方法を知った駿太に迷いは無かった。


 さっさと四人を始末する。頭の中の想像で

何度となくこなしてきた作業であり、駿太にとってそれは容易な事だった。


 駿太は四つ椅子の内、一番右端の椅子の前に立った。その椅子に縛り付けられていたのは男だった。


 怯えた表情で男は駿太を見上げている。その男は駿太と同世代に見えた。


「······?コイツは?」


 駿太は椅子に座る男の顔を見て、十五年前の自分の記憶を掘り起こした。自分の目の前で椅子に縛られていた男は、駿太の見知っていた顔だった。


「······お前。勝田か?」


 駿太は無意識の内に言葉を発していた。椅子に座り名を呼ばれた男は、その駿太の声に反応する。


「何で俺の名前を知ってんだ?お前誰だ?ここは一体何処なんだよ?」


 駿太が勝田と呼んだ男は、今まで溜め込んで来た不安と不満が一挙に溢れ出た様子だった。 


『······コイツ。俺の事を忘れてんのか?』


 駿太は勝田を見下ろしながら、心の奥底に鈍い痛みと怒りが沸き起こって来た。勝田と駿太は、中学での同級生だった。


 家が貧しい駿太は、それを材料に勝田達のグループの標的にされた。それは、イジメと言うには軽い物だった。


 集団で暴行される訳でも無く。物を盗られる訳でも無かった。ただ言葉の暴力を浴びせられるだけだった。


 それでも言われた側の駿太は、その心無い言葉が胸の中に深く食い込み、今でも鮮明に痛みとなって残っていた。


 気弱な駿太にやり返す勇気など無く、ただ黙って耐えるしか方法は無かった。その勝田が、今自分の目の前で無力な姿を晒していた


「······この野郎。あれ程の言葉を俺に吐いておいて、その相手を忘れてんのか?」


 駿太の全身を、黒く濁った怒りが覆って行く。中学生の当時、駿太は自分の心を傷付けた相手への報復など考えなかった。


 それは、駿太がまだ純真な心を持っていたからだった。だが、歳月は人を変える。中学から十数年経過し、駿太が悟ったのは、この世の無慈悲な階級の存在だった。


 人は無意識の内に周囲に序列をつけ差別する。こちらが下手でいると、相手は際限無くつけ上がってくる。


 それが、駿太が唯一確信したこの世の真理だった。気付くと、駿太の右手には木刀が握られていた。


 駿太は驚かなかった。ここは自分の想像の世界であり、何もかもが自分の思い通りになる。


「死ねよ。お前」


 駿太は木刀を振り上げた。それを見上げる勝田の顔が恐怖にひきつる。先ずは顔面に木刀を叩き込み、その後に身体を痛ぶると駿太は決めた。


 恨みがある相手に、駿太は少しの逡巡も無かった。正に木刀を振り下ろす瞬間、その声は聞こえた。


「駿太君。一つだけ伝達事項があるわ。この世界で始末した相手は、現実世界でも死ぬから宜しくね」


 女の声に瞬間の腕は停止した。それは、想像が現実になる事を示唆していた。

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