ほうき星のゆびきり
紫(ゆかり)
第1話 星空に溺れる
幼なじみの
先週も彼が女子に呼び出されているのを見かけた。そして今も、同じ女子に呼ばれて教室を出ていった。
あの、小学生の頃はよく同い年の女の子に泣かされていた幸宏が。耳元で虫が飛んでいる時に鳴る、ぶーんという音を聞いて女々しい悲鳴を上げていた、あの幸宏が。
腹が立つ。今までにないほど。
きっと彼を呼び出した女子は、本当のあいつを知らないだけだ。知っていたら絶対、あんなやつに惚れたりしない。気が小さくて、目つきが悪くて、ちょっと成績がいいだけの、あんな男になんて。
ぐらぐらと煮えたぎる怒りに身を任せていると、教室のドアが開いて、もう一人の幼なじみの
「この間貸してくれたCD聞いたよ、ありがとう。とってもよかった。特に、この曲がね」
里ちゃんとは絶対に同じクラスになりたかったのに、別のクラスになってしまった。本当に運がない。しかも幸宏と同じクラスだなんて、毎日の通学時のテンションもだだ下がりだ。
そんなことを考えていると、里ちゃんが可愛らしく首を傾けて、「どうしたの?」
「なんだか、元気ないよ。何かあったの?」
優しい。里ちゃんと幸宏とは幼稚園に入る前から交流があるけれど、今まで生きてきてこんなに優しい人とは里ちゃん以外会ったことがない。
しかも、女の子らしくて可愛い彼女は女子男子問わず人気があって、成績もトップクラスで、私の自慢の親友だ。高校に入る前に突然イメチェンだと言って切った短い髪も、よく似合っている。
「元気、ないわけじゃないんだけど、腹が立つことがあって」
「ああ、ゆきくんのこと?」
里ちゃんはやっと腑に落ちた、と言うように、手をぽんと叩いた。
「大丈夫だよ、心配しなくても。あれ、告白なんかじゃなくて、部活のマネージャーにミーティング忘れるなって言われてるだけだから。ゆきくん、忘れっぽいんだよね」
ああ、そうだったのか、と納得した後で、うん? と、目を見開く。
「ちょっと待って、心配なんじゃなくて、なんであいつがもててるのかと思ってむかついてただけなんだけど」
「そうなの? 妬いてるのかと思った」
里ちゃんが、あははと笑う。私はすぐさま身を乗り出し、
「妬く!? そんなわけないじゃん、私が、なんで!」
まくし立てると、里ちゃんは笑顔のままで、
「だって、なおちゃんゆきくんのこと」
「幼なじみだから! 全然そういう対象じゃないし!」
「中学三年生の頃にゆきくんが部長になった時には、もう意識してたよね」
冗談っぽく言う里ちゃんに、「してないし!」と返すと、彼女は「ごめんごめん」と苦笑する。
何言ってるんだろう、里ちゃん。私が、幸宏のこと? そんなわけない。あんな見掛け倒しなやつのこと、十年以上も前から知ってて、好きになるわけない。それは里ちゃんだって同じのはずなのに。
どうしてそんなこと言うの、と不機嫌さをアピールすると、里ちゃんは一瞬だけ、悲しそうな目で私のことを見た。でも、すぐにいつもどおりの楽しげな彼女に戻る。
「なおちゃん、今日、うち来ない?」
にこやかな目元、口角は上がって、彼女は愛おしげに笑う。
「なおちゃんの好きな、ビーフシチュー作ってあげる」
私はその澄んだ瞳に吸い込まれるように、うん、と頷く。
「じゃあ、一緒に帰ろ。この教室で待ち合わせね」
里ちゃんの両親は、彼女が生まれる前から私や幸宏の両親と仲が良くて、私たちは同じ病院で生まれたその日から、とっくに知り合いだった。
でも、彼女の両親は子育てに悩んで精神を病んでしまい、今はとても状態が落ち着いているものの、子供を育てられるような状態ではなく、二人とも激しい投薬をされて、今でも入院している。
里ちゃんを代わりに育てられる親戚を探したけれど、結局見つからなくて、私と幸宏の家族ができるだけのサポートをして、今彼女は、大きな一軒家に一人きりで住んでいる。
だから、里ちゃんはとても寂しい思いをしてきた。なんでも一人でできるようになって、手のこんだ料理もお手の物。掃除や洗濯も、毎日自分一人でこなしている。
里ちゃんは、寂しいだなんて一言も口に出さない、とても立派な子に育ってしまった。
幸宏は、よくそのことを「悲しいことだ」と言った。
「里は、誰も頼れる人がいなくて、自分でなんでもするしかなかったから、人のことを頼らなくてもできる子になったんだよ。いいことのように聞こえるよな」
悔しそうに唇を噛み締めて、幸宏は顔を歪ませる。
「全然、いいことなんかじゃないのに。奈央香、俺らだけは、あいつが頼れるような存在でいよう。約束だぞ」
数年前に交わしたあの約束を、私はまだよく覚えている。いつか忘れる日なんて、絶対にこない。
私たちだけは、里ちゃんのことを見捨てない。いつも一緒にいて、彼女が困ることがあったら、助けてあげる。そう誓った。
学校から里ちゃんの家に歩いて帰り、着いてすぐ、彼女は晩御飯の準備を始めた。
小学生の頃、里ちゃんが一人で苦労して作ったビーフシチュー。すごくおいしくて、何度もおかわりした。それから、里ちゃんはよく同じものを私に作ってくれる。
台所でせっせと野菜を切っている里ちゃんに、「何か手伝うことある?」と聞いてみる。彼女は額の汗を拭い、「じゃあ、切った玉ねぎ炒めてくれる?」と、いつものように笑った。
こういう時、自分が頼られていると感じると、安心する。幸宏との約束を守れている、と実感する。
二人で作ったビーフシチューは、あの頃よりもっとできがよくて、おいしいね、と言い合いながら食べた。
ごちそうさま、と言ってお皿を流しに持っていき、里ちゃんが洗って、私がお皿を拭く。
それらが全て済むと、里ちゃんは、ふうと息をつき、私のほうを向いた。
「じゃあ、私の部屋行こうか」
そう言って、私の手を引く里ちゃんについていく。部屋について、ベッドをぽんぽんと叩いた彼女をじいっと見つめる。
さっき手を引かれた時、逃げ出したいのか、進んで行きたいのか、分からなくなってしまった。でも、決まっている。彼女に誘われて、私がすること。
里ちゃんがにっこりと、私に笑いかける。
「服、脱いで」
彼女を見つめたまま、わずかに顎を引く。
私が彼女にしてあげられること。それがどんなことでも構わなかった。彼女の恋人になって、自分の身を差し出して、寂しさを慰める。それは私がしてあげて当然のことだと思えた。
「なおちゃん、とってもきれい」
彼女に抱きしめられる毎に、幸宏のことを考える。でも、次第にそんなことはどうでもよくなって、あまりの気持ちよさに、目を閉じる。
「なおちゃん、好き」
私も、と答えた時、自分が泣いていることに気がついた。でも、嘘なんかじゃない。
可愛くて、優しくて、私の自慢の里ちゃん。ずっとずっと、好きだった。大好きだった。
もっともっと、抱きしめて、口付けてほしい。私だけに。
「里ちゃん」
彼女の名を呼びながら、もう、ただの幼なじみには戻れないのだということが、私の心を蝕んでいた。
窓の向こうから、暗闇の中できらきらと輝く星が私たちを見ている、気がした。
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