第31話 そして勝者は
すっかりガラガラに枯れ果てた喉から、荒い呼吸が繰り返される。
「はー、はーっ、ったく……、無駄に強くなりやがって……」
「ふふ、きみにそう言って貰えるとは、恐悦、至極だよ」
軽口を叩くディルマュラだが、彼女も全身から汗を噴き出すように流し、呼吸も荒い。
去年のふたりの試合を知る者ほど、いまのふたりの状況に驚いているのではないだろうか。
開始前はほぼ互角とみられていたふたりの実力差は、ディルマュラの優性で試合は進んでいた。
要因は、これまでに行われた三試合。
とくにオリヴィアの試合を参考にディルマュラはライカの行動を封じ、ようとした。しかしまだ付き合いの浅いディルマュラでは完全には封じきれず、読み違えては攻撃を食らっていた。
それでもディルマュラが優勢であることに変わりはなく、開始直後に驚いていた観客たちもいまやふたりの互角の闘いに魅了されている。
「ありがとよ、オヒメサマ」
片鼻を指で押さえて鼻血の固まりを勢いよく飛ばし、乱暴に口角を上げるライカに、ディルマュラは少しの無念を滲ませて言う。
「でも少し残念なのは、きみの体力が万全ではないということだね」
「んなもん、ハンデだよ」
「そしてその報いをいま受けている、ということだね」
はは、と力なく笑って、
「あの人も言ってたよ。互いが万全の状態で拳を交えられる機会なんて、生涯にただいちどあればいい方だって、な」
「あの方らしい言葉だね」
「あの人も受け売りだって言ってたから、神殿の伝統みたいなもの、なんだろうけどな」
かもしれないね、と小さく笑って。
ふぅーっ、と大きく息を吐いて、吸って。
「まあいい。もう一回だ」
「ああ。この試合が終わったら、きみに伝えたいこともあるからね」
「なんだそりゃ。ここで言ってくれよ。モヤモヤする」
「じゃあそれもハンデだ」
にっ、と笑ってみせるディルマュラはそれでもそこはかとない上品さがあって。自分ではとてもあんな感じに振る舞うことはできないのはライカも自覚している。
「そういうの、やっぱずりぃよ」
「ぼくだってきみのようになりたいと思っているよ」
あ? とライカが睨みかけた瞬間、ディルマュラの右拳がライカの鼻先にあった。
回避は間に合わない、と判断してライカは顎を引いて額で拳を、
「がっ?!」
腹。
そう認識できたのはおそらく本命の右フックで頬を貫かれてからだった。
首がねじ切られそうな威力に、ライカの視線は実況席のイルミナに吸い寄せられる。
さっきは邪険にして悪かったな──内心で謝罪しつつ、ディルマュラを探す。
「ぼくはきみのライバルだ。いまそれを証明する!」
そういやそうだったな、と背後からの言葉に口角をあげるライカ。刹那、両脇から腕を通され、がっちりとホールドされてしまう。
「──巻!」
足下から巻き起こったそよ風は瞬く間にその凶暴性を増大させ竜巻へと成長し、中心にいるはずのふたりをも巻き込んで激しい縦回転を伴って天高く放り投げた。
「こんの!」
巻が発動された瞬間から目を回されるだろうことは予想していたライカは、放り投げられた瞬間にはもう反撃を試みる。
伸ばされた腕をどうにか折り曲げ、ディルマュラの手首を掴んで引き剥がそうと試みる。
「そうくると思ってたよ!」
するりとライカの脇から両手を抜いてそのまま肩口を掴み、仰向けにした、と思った刹那、腰を両足でさらに上空へと蹴り飛ばす。
「くぬっ」
吹き飛ばされながらもライカはどうにかからだを捻って両手に、
「させないっ!」
ディルマュラはライカがからだを捻り終えるのタイミングに合わせて「刃」の術を射出していた。
ライカは両手に集めていた精霊たちをしかし「刃」への防御には当てず、追撃に入っていたディルマュラの迎撃のための術へと昇華する。
「──縛!」
先の試合でシーナがやった、風のムチを「刃」をすり抜けるように幾本も放ち、ディルマュラを捉える。が、同時に「刃」の直撃を食らい、袈裟切りを受けたように斜めに出血する。
それでも風のムチはまったく威力を減衰させることなくディルマュラの四肢に絡みつき、からだを大の字に開かせる。
「っはぁっ! やっと掴まえた!」
「ふふ。そうかな?」
あ? と訝しんだライカの両サイドから「刃」が迫ってくる。だからどうしたとライカはふたつの「刃」を甘んじて受け、さらなる出血をしてしまう。
「ひひ、おりゃあぁっ!」
あの出血でも「縛」を解除しなかったのはさすがと言える。そのまま投網を引きつけるようにディルマュラをたぐり寄せ、彼女の額に頭突きを見舞う。ごぉん、と遙かな地上にも聞こえるほどの衝撃にも関わらず、ふたりは仰け反らずにつばぜり合いのように額をこすりつけ合う。
引き寄せたことで満足したのか、ライカは術を解き、乱暴な笑みで拳を振りかぶる。
「勝ったと思ったほうが負け。ぼくはそれを去年、痛いほど味わったんだ」
するりとライカの背後に回り、振りかぶった右拳、そして残った手足を絡め取り、精霊たちの後押しも使ってリングへと落下を開始する。
「せええっ!」
ここまでは去年と同じ。きっとライカは同じ対策を講じてくる。
だから。
「わあああああっ!」
まずは縦回転。
それでもライカは対応するだろう。
もう、自分がどうなっても構うものか。
もはや、術に昇華することも諦めた、むちゃくちゃな回転を加えてふたりはリングへと落ちてくる。
「あんの莫迦!」
地上、リングから見れば、ふたりがむちゃくちゃに混じり合った球体となって落ちてくるようにしか見えず、あれではディルマュラがリングに激突する可能性もある、とミューナは判断。
落下地点に滑り込んで、
「喝!」
くるぶしまであるローブの裾を鮮やかに翻しながら球体を蹴り上げた。
蹴り上げられた球体は中空でふたつに分かれ、人の形を取り戻してリングへ落下。事前にクレアが張り巡らせてあった空気のクッションに包まれてふたりは落下のダメージは受けなかった。
が、それまでの激しい回転と攻防のダメージからすぐに起き上がることはできなかった。
クレアはディルマュラの元へつかつかと歩み寄り、襟首を掴んで顔を引き寄せる。
「命を粗末にするなってさっき言ったの、もう忘れたの?」
「い、いえ。忘れてません」
「よろしい。二度とするな。以上」
ぱっと手を離す。受け身も取れずに顔面がリングへ落ちるがクレアは気にせず立ち上がり、ライカを振り返り、軽く手を振る。
それだけでライカについた三箇所の傷は塞がり、ゆっくりと顔を上げた。
「じゃま、するな……」
怨嗟に似たうめき声を無視してクレアは袂からマイクを取り出して息を吸い込む。
『えー、お客様へご説明します。いまのディルマュラ修練生の回転を伴った落下攻撃は無効。その直前の三発の「刃」による攻撃も看過できず、いま傷を塞ぐだけの処置を行いました。要は仕切り直しです。わたくしの弟子が不出来な試合をお見せしてしまい、誠に申し訳ありません』
すらすらと口上を述べ、深々と頭を下げる。
顔を上げ、マイクを袂にしまって、クレアは可能な限り大きな音が出るように手を叩く。
「ほらさっさと立つ! お客様がお待ちよ!」
冗談めかしたその言葉に、観客たちはどっと沸き立つ。
「うるせぇな、ったく……」
「わかって、ます……」
よろよろと立ち上がるふたりに観客たちから応援の歓声があがる。
「はい、じゃあもう一回。はじめ!」
荒い呼吸。まだ定まらない焦点。立つことすらままならない足。潰れた喉とふらつく足では精霊たちはろくに集まってくれず、ふたりはただ自分の体力を振り絞って互いに近づいていく。
観客たちもクレアも、そしてイルミナも固唾を呑んで見守り、やっと、ようやく、ふたりは拳の間合いに入る。
「ったく。お前とやると、いっっつも、こうだ」
「ふふ、すまない。次は、もっとまともな勝負ができるよう、心がけるよ」
期待してる、と乱暴に笑って拳を握る。
「じゃあ、いくぞ!」
「ああ。来い!」
互いの、渾身の思いを込めた一発が交錯する。
ずるり、と倒れ込んだのは、ライカだった。
「それまで! 勝者、ディルマュラ!」
爆発のような歓声が、神殿を、ファルスの街すべてを駆け巡った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます