随筆イガイガドン
北川エイジ
1
いまオレの目の前には体長三○センチの精霊がいる。アミアという名の若い女の精霊。長いブロンドの髪を後ろで束ね、纏うのはちょうどハーレーに跨がる峰不二子のような黒のライダースーツだ。
とはいえその体はスレンダーの一言に尽きる。一応飾りのような半透明の羽根が背中にあり美貌と相まって精霊の概念に恥じない容姿ではあった。
ダイニングのテーブルの上で逆さにしたマグカップに腰を降ろす彼女はなんでも本来は〈走り屋の精〉らしい。
精霊の種類は無数にあって選ばれし女優や映画監督、画家、音楽家といったクリエイター界隈を担当することが多く主には精神的ケアを目的とする交流が任務なのだと。走り屋は精霊委員会が決めたカテゴリーのひとつで世界的にもポピュラーなのだそうだ。
それは構わないがいまのオレは大きく重いバイクを手放した原付バイクの走り屋である。なぜオレのところに来るのかいまひとつピンとこない。
そもそもオレは精神的ケアを必要としていない。あちらの基準やルールがよくわからない。
そこのところは彼女の上司が先月挨拶に来た際に解説をしてくれたのだが結局は微妙な話に終始した。アミアは天界の直轄組織であるエンジェルズの末端構成員でもあり現在のところ脱獄囚捜索の任務を与えられていると。上司フレデリックはそう言うのだ。
「我々は悪魔族の大物を捜していて大量の人員が必要なのだ」
彼はエンジェルで体格は人間と同等であり、肉付きがよく迫力のある畳まれた黒い羽根以外は我々と見た目は変わらない。尖ったエナメルの靴と黒のスーツを着こなすダンディな佇まい。その一方で見たところオレと同じ五○代と思われる彼の態度と口ぶりは横柄だった。
「そいつは天界から悪魔側に寝返った裏切り者で転生を繰り返して現在に至っている。元がエンジェルだけに厄介でな。こちらの思考傾向や戦略を読むことに長けていて扱いにくい」
「具体的にどういった被害があるのですか?」
初対面なのでオレは敬語を使った。
「彼には特殊能力があってな。イガイガドンという邪悪な波動を使う。知的生命体の精神に作用する波動だ。これを自分の趣味、生き甲斐で使うからタチがわるい」
「波動?」
「脳に送る念波だ。受けた者は他人の誹謗中傷が快楽となる。進行すると中毒症状が顕れる。それなしには生きていけない状態に陥る」
「人の本質に作用するわけですか」
「増幅させるんだな。そして関わる者は次々に感染してゆく。誹謗中傷は争いを生み憎悪の連鎖を生み人々を分断させる。いまや天界さえ影響を受ける有り様だ。……で去年捕らえて監獄に入れてたのよ。第168代ルシファーを。
が、忽然と彼は消えた。上層部は下界を逃亡先とみて世界中に調査員を派遣しているが、いまのところルシフの野郎は尻尾を掴ませない」
「ふむ……で、なぜに私の所へ?」
「言えることは我々は拠点を必要としている、ということだね。協力してくれたまえ。細かいことは追い追いアミアから聞くがいいさ」
微妙でしょ? それにしても天界ねえ……吉祥寺で暮らすいち庶民のオレの所に来られてもねえ。
アミアが言った。
「ジブリ美術館閉まってました」
「君なら入れるだろ」
「そういう問題じゃなくて人間に混じって鑑賞する行為に味わいがあるんですよ」
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