猫の器 -(裏)-
そくほう
ケースA-1 蛇の巣
「ッ!? い、いてぇっ!!!」
足に強い痛みを覚え、俺はガッと飛び起きた。
見てみると──左足の、膝から下が欠損しており、自分が横たわっていた床は一面が血塗れになっていた。床に触れていた服の背面は肩まで血で汚れ、にちゃりとした感触が不快感に拍車をかける。
額に脂汗がジワリと浮かぶ。なんだこれは……何が起きた?それに、ここは一体……向こうに見える出口と思わしき大穴からは、雲一つない青空がのぞいている。高山の洞窟か……?
俺が混乱している中、不意に背後から声がかけられた。
「起きちまったかい」
「お、おい、アンタ!何が──」
振り返った俺は──、オールバックに纏められた赤い髪のポニーテール、それに加えてキツめな目つき……例えるなら、眼鏡をかければザマスと口走りそうな女性の──ただの布切れが巻かれただけの胸と腰……その豊満なボディに目を奪われ、言葉を詰まらせた。……が、目線を僅かに下げた俺は、直ぐにその違和感に気が付いた。
「ら、
「ほぉ、落ちこぼれのくせに物分かりがいいじゃないか」
その下半身には人間の足はなく、そこには代わりに白い蛇腹と、赤い鱗で覆われた、蛇の胴体が続いていたのだ。イキナリ馬鹿にされたような気がしたが、それよりも目の前の非現実的な光景に、鼓動が跳ねあがるのを感じた。
脳が遮断しているのだろうか、あまり痛みは感じなくなっていたが、何の処置のされていない左足から、流れ出す血が加速した気がして、俺は両手で足を圧迫した。
──ひとまず、落ち着くべきだろう。幸い、会話はできている。恐らく彼女は危険分子ではないと考えよう。可能な限り情報を引き出し、現状を把握すべきだ。俺は目を閉じ、スゥーーー、ハァーーーーー…と深呼吸をして、冷静に、優先順位を考えた。まずは、この足を何とかせねばならない。
「なぁ、足を……止血したいんだが、何か、縛る物はないか……?」
「残念だけど、ないねぇ」
いや、俺は縛れるものがそこにあることを知っている。初対面の女性に対して失礼な気はしたが、こちらは文字通り死活問題なのだ。ごくりと生唾を飲み、意を決して、言葉を続けた。
「……その、胸にだな、巻いている……その布を、貸してほしい」
「ん?……あぁ、フフッ、ナルホドなるほど。失礼、それは気が付かなかった。私の胸が見たかったとはね。……でも悪いね、コレは貸せないよ」
俺の決死の懇願にキョトンとしたかと思うと、彼女は意地悪く笑いながらそう答えた。……ダメだ。見るからに、羞恥心というわけではなさそうだし、仮にそうだとしても、普通は人命を優先するものだろう。俺の頭は、一気に嫌な予感で埋め尽くされた。
「ちなみに言っとくが、アタイはお前らをここへ運び込んだだけだ。そのケガに関しちゃ、何も関与してないからね」
などと言われたが、ニヤニヤ笑いながら吐かれた言葉には全く信ぴょう性を感じられない。少なくとも友好的な相手ではないだろう。これ以上の問答は無意味だと判断した俺は、グッと回ってうつ伏せになり、出口に向かって僅かに傾斜になっている坂を、赤い線を引きながら這い上がった。
……わずかな距離だったが、ようやく到達した大穴から見えた光景は、水平線までどこまでも続く青空だった。上を見上げれば巨大な枝と葉が茂り、そしてはるか下を覗けば──
信じがたいことに、そこには雲が浮かんでいた。つまり、この洞窟は途方もなく大きな樹のウロで、それは雲を突き抜けて生えているということになる。それはあまりのも現実離れした結論だった。
フッと血の気が引き、ふらりと倒れ落ちそうになった俺を、赤い鱗の尻尾がくるりと支えて引き戻した。音もなく移動する彼女に、意外にも優しく巻き上げられた俺は、元居た血塗れの床に、そっと置きなおされた。
「もう満足したかい?」
……何一つ、理解も満足もできていない。血を失いすぎたのか、頭もフラついてきた。何も答えられず、上の空な状態の俺を見て、彼女は何事か思案した後、イタズラを思いついた子供のような顔でこう続けた。
「アタイはいま、割と満足している。……折角の機会だ、アタイの質問に正解できたら、足の止血ぐらいはしてやろうじゃないか」
それは最後の光だった。俺は血で汚れた手で頬をパンと叩いて、気力を振り絞った。彼女は少し離れた場所でぐるりとトグロを巻くと、幾分か高くなった視点から俺を見下ろしつつ、こう続けた。
「アタイの目的を当ててみな」
──走馬灯。それは、死の間際に、その状況を打破すべく、脳が超加速を行い、過去の経験から『何か』を引き出そうとする為に起こる現象だと言われている。今が、その時だ。
全てを思い出せ。そして、注意深く観察しろ。彼女は、ケガをした俺をわざわざここへ運んだ。だが、介抱するつもりはないらしい。……いや、待てよ?『お前ら』を運び込んだと言わなかったか?……俺以外に、誰か居たか?
……落とした目線の先には、血塗れの床。もし、俺がこれだけの出血をしていたなら、とっくに失血で死んでいるのではないかと思える量だ。だが、俺はまだ生きている。となると誰かが居たのだろう。だが、死体などは見当たらない。……が、彼女は、熊でも野犬でもない。
──俺は、ピースが嵌ることを期待しながらも、ピースが嵌らないことを願いつつ、落としていた視線を彼女のほうへ向けた。……彼女の下半身、とぐろを巻いたその蛇の胴体。眼を背けたくなる、そのおぞましい異形の体に目を凝らせば。……そこには僅かに膨らんでいる部分が、確かに認められたのだった。……導き出された結論は残酷だったが、俺に逡巡している余裕はなかった。
「俺のことも、食べるつもりなのか」
俺の回答を聞いた彼女はニヤリと笑って、
「いいねぇ」
とだけ呟くと、胸に巻いていた布をおもむろに外した。
──俺は突如
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