数10年前、誰かのエッセイだか忘れましたが、「ロボットアニメは子どもばっかりに戦わせる。大人は何してるんだ」というロジックに、ずいぶんと反感を持ったことを思い出しました。
まあ、子ども相手のアニメ商売だから、というのが正解ですが、その後よくよく考えてみると、別に現実でも起きうる状況だなあ、ということに気付いたものです。
新体操とか、フィギュアとか、将棋とか。
作者からの返信
スーパーロボットは、科学による神でもあると同時に少年の理想や正義を世界に対して抗わせしむる為の力でもある、みたいな文脈もありますからね。世界に抗う為の力を、世界に抗う為の力が欲しいという心を、頭ごなしに否定するのは良くない事でもあります。
勿論リアルロボットとかそれだけではない要素のほうが大な物語も色々あって単純はないですが。
子供が大人顔負けに戦える状況というのはスポーツ等の世界でもありますけど、戦地では逆に子供が戦わされるという状況もあるわけですし。
この作品世界では、大義を命より重んじるゾゾイエンという種族と向き合う事になった主人公を通じて、「大人は何してるんだ」と表裏一体の「子供は引っ込んでろ」への反逆や大義等に関する様々な要素の両面性を描写した上で、その上でバランスの取れた戦う子供と理想についての物語を描く、みたいな感じになる、と考えています。長編にした場合は。とはいえこの短編の段階でも、そういうテーマはある程度きちんと出しているつもりではありますが。
ユエナラベルって……いくつくらいなんだろう? って、思ってしまいました💦
作者からの返信
種族としては、長命な種族だろうと考えています。「外見年齢では」と描写してますし。
種族間宇宙戦争に横殴りかけて喧嘩両成敗できるロボット兵器を作れる技術を持っていた種族に生み出された訳ですから、肉体的スペックは高い筈。まあ寿命は長くても戦えば死ぬ事も勿論あるでしょう。宇宙戦艦を壊すようなロボットの力の応酬ですから。
ともあれ、短命だから大義に生きている、のでは、大義に命を賭ける事の純度が下がります。
本来長命な種族があえて大義にその長い筈の命を擲つからこそ大義に殉じる事が純粋性と美を得る=主人公に影響を与えうる、と思うのです。
すげえおもしろそうです!!
作者からの返信
ありがとうございます!!