第13話 黄泉比良坂――ヨモツヒラサカ――

 紫色アメシストの瞳の女性に導かれた場所は、見上げるだけでも首が痛くなるような、都会の高層ビルだった。


 その女性の後について乗り込んだエレベーターが、滑らかに上へと登る。


 ストレートの黒髪が、凄く綺麗な女の人。

「あの、あなたのお名前は? 」

 私の問いかけに、振り向かずに女性の紫水晶アメシストがこちらを見る。


 高貴で、気高い、紫の瞳。


 私はその瞳を見て、軽く頷く。

「……シホです」

 そう言って、シホは目線をエレベーターのパネルへ戻した。

「ありがとうございます」

 静かに笑って、私も黙る。

 目を瞑って、優しいミキママを思い出す。


 名前もあって、個性もある。

 ミキママも、シホさんも、

 自分の好きなように生きているだけ。

 それならなおさら、あけの神を

 止めなくちゃ。


 私にとって、今出来ること、とは。


 エレベーターの扉が開くと、見覚えのある男性が、笑って私に手を差しのべていた。

 私は操作パネルの前の女性を見ると、そのひとは頷いて、進むように私をうながす。

 すれ違う瞬間シホさんをちら、と見ると会釈をして答えてくれた。


 その男性の手をとって、私は最上階に足を踏み入れる。更々さらさらと水の流れる音が心地よく耳に届く。

 それもそのはずで、部屋の扉を開けるとたくさんの水が、部屋の中に作られた滝へと循環していた。


「すごく綺麗」

 感動の、ため息。

 空気も心なしか清々しい。

 思わず目を見開いて、感嘆の声が漏れる。

 その声を聞き付けたのか、ばっと隣の部屋から少女が飛び出す。


 一瞬だけ、静寂が訪れて私達は互いの顔を凝視する。


 それから私をきつくにらみ付けた。

「……なんでやなぎがここにいるのよ!」

 ハイブランドのモスグリーンのワンピースに身を包んださくら が、梛木なぎに連れられた双子の顔を見て足を鳴らして激昂げっこうする。

 いつもなら肩をすぼめて怯えていた怒鳴り声も、今の私には懐かしむ程度のものでしかなかった。


 大丈夫。

 私、今落ち着いてるわ。

 それより、ずいぶん高そうなものを着ているなぁ。


 思わずその場で自分の体を見下ろす。

 私はミツハちゃんが用意してくれたGUの白シャツにスカート姿。

 何て対照的なのかしら?

 あまりの差に、思わず笑いがもれる


   『あなた』と『わたし


 鏡に映したような、同じ顔のはずなのに。

 いつの間にか、私達はこんなにも離れてしまったのね。


 変なの。

 生まれてからずっと、一緒だったのに。


「自らおとずれて来たのだ。歓迎するよ、柳。これで、事になる」

 私の横で、答える男性の顔を仰ぎ見る。

 この間出逢ったばかりなのに、やっぱりずっと昔から知ってる気がする。


 懐かしい顔と声と。

 この手の温もり。


 私は、梛木なぎさんに向き直り、ここへ来た目的を告げる。

「私、あなた達にお願いに来たんです」

「は。お願い? 柳のクセにナニいってんのよ。いつからそんなに偉くなったわけ!?」

 すかさず反論する桜は腕を組み、冷たく言い放つ。その顔は私と似ても似つかない。

 最後に別れたときは、あんなに綺麗な笑顔だったのに。


 あぁ、勇気を出さなくちゃ。

 手のひらに汗をかいてる。

 キンチョウとキョウフで体が震える。

 でも、カケル君達が来る前に。


「もう、やめよう。これで最後に」

 そう言いかけた私を制して、梛木さんは桜に向き直った。

「そう言うわけだ、だから死んでもらえないか? 桜……いや、

 柔らかい笑顔で、桜の方へ歩みゆく梛木さんの、左手に握られた鋭い光が目にはいる。


 呆然ぼうぜんと立ち尽くす桜の前で、切っ先に込めた殺意が振り下ろされた。



「……お前はどこまでも優しい、イザナミ」

 困ったようにくうで止めた手を降ろして、尻餅をついた桜を背にかばう私に触れる。


 頭が真っ白。

 思わず体が動いていて、桜の前に立っていた。

 息が苦しい。

 まるで呼吸を忘れたみたい。


 肩で息をする私を見て、右手は頬に添えられたまま、指の腹で優しく撫でられる。

「子供達に向けるその優しさを、なぜワタシにも分けてくれない? 」

 寂しそうなその眼差しに、私も目が離せない。

 きっとこの人は、ずっとずっと、立ち止まったままなのだわ。

 それじゃあ、ダメなの。


 寸前で回避された自分の死に、私は腰を抜かしそうになりながらも、今の思いを訴えた。

 左右に広げた腕の震えが止まらない。

「私は柳です! これからも柳です! だからもう、これで終わりにしてください!! 」


 どうか、どうかこれ以上。

 里の人達を追い詰めないで!



 私の必死の訴えを聞き、梛木さんは大して興味のない手ぶりで小刀を持ち遊び、『心外だ』と言わんばかりの表情で語り出した。


 黄泉平坂ヨモツヒラサカで別れたあの日

 君は言っていた。

『毎日千人、殺します』

 だからワタシも答えたのだ。

ワタシは千五百の産屋を建てよう』と。



 梛木さんが窓の近くへ移動して、右手をスーツのポケットに突っ込む。

 私は腕を降ろして、ホッと胸を撫で下ろす。

 桜はいまだに、呆然とその場に座り込んでいた。


 窓の外は薄明かるい闇だった。

 夜でも、ビルの所々に明かりがともる。

 この国は、眠らない。

 それだけ命がうごめいているのだ。


「少々、地上はやかましい」

 そう言って振り返り、私を真正面から見つめ返す。

「そうは思わないか? イザナミ。君のいないこの世界で、増えすぎた人の世で。ワタシは何のために生きる?」

 私は言葉に詰まってしまい、その場でスカートを握りしめ、立ち尽くす。

「お前の居ない高天ヶ原タカマガハラも、何とわびしくつまらぬ事か」

 そう言った梛木なぎさんは、空いた右手を見下ろしながら、伏し目がちに、つぶやき続ける。

「なぜ我が子らがさち享受きょうじゅしているのに、ワタシは孤独を耐えねばならぬ? 」


 この人の、悲しみが溢れてくる。

 それは、私も持っていたもの。

 私もいつも、考えていたもの。


 思わず、涙が頬を伝っていた。

 わかってしまったんだもの。

 私は、この人を否定できない。

 その悲しみを一人で抱えるには、

 この世界では、つらすぎる。



 目の前でたたず梛木なぎさんは、

 私の涙をただ、ただ見つめて。

 噛み締めるように、語りかける。

「だから、もう一度作り直すのだよ」

 そう言って、私の元へ歩み寄ってきて抱き締める。

 目を見開いて、私はそのまま固まってしまった。

「君が我が子ヒルコと手をとって、ワタシから逃げ続けていたのも全て許そう」

 後から桜の息をのむ音が聞こえる。

 双子の姉の、初めて聞いた恐怖をふくんだその声に、

 振り返ろうともがくけど、とらえる腕はびくともしない。


「嫌、嫌ああぁぁ!!!」

 バシャバシャと、水の跳ねる音。

 桜の悲鳴。


 風を切る、かすかな音と、

 不意に途切れる、桜の声。

 

 私の背中に、冷たい感触。

 私の胸に、誰かが宿やどる。


 死ぬ時って、こんな風に

 全てが薄くなっていくのかしら?

 光も、音も、霧の中の遥か彼方へ。



 その霧にのまれる最後の瞬間。

 とても綺麗な女の人が、何かを言っているのが見えた。




 がっくりと膝から崩れる柳の体を支えながら、梛木なぎと呼ばれたあけの神は、幸せそうな表情を浮かべての手をとった。

 「さあ、もう一度始めよう。君と、私が初めて降り立った時のような静けさを求めて」





 
















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