宵の明星

織香

第1話 カケル

 ――――バキン、ゴリ、ボリ―――

 高層ビルの最上階ワン・フロア


 この部屋フロアの主人が、優雅に足を組み換える。本皮で出来たソファへ体を沈みこませて、肘掛けを使いあごに手をかけ物思いにふけっていた。

 ここからは、部屋フロア全体と、大きな窓から下界が見える。

 あふれる富を贅沢に使い、この部屋フロアの中央に滝を作らせた。

 ITが支配する世界で会長にまでのしあがった彼には、こんな事など他愛たあいも無い事。

 面白く無いものを見るように、外を見下げてため息をついた。

 

 ずいぶん昔とは違う世界に育ったが、流れる水だけは相も変わらず美しい。


 水は良い。不浄なものを洗い流す。

 洗い流せば全ては綺麗なままである。


 その時大きく、モノを砕く音が部屋に響き渡り、視線だけをに向けた。

 その美女は水を真っ赤に染めて、を食らっている。

 その穢れさえ清めてくれるのが、水であり、滝である。

 このフロアの持ち主は、その光景をただ見ていた。


 は 、元秘書だったものだが何、代わりはいくらでもいる。

 それだけ、ヒトは栄えてきたのだから。

「残さずに喰え。早く回復しろ」

 その男の冷たい声に、美女はゆっくり振り向いた。

 その瞳も紅く染まり、またゆるやかに流れる髪も紅かった。

「今日は疲れたのよ。沢山力を使ったんですもの」

 血が滴る唇を妖艶ようえんに歪ませて、彼女

    ――鉱人こうじん――

 はまた、人肉を食らい始めた。


 この者達は世界を分けるために産まれた命の末裔。からこそ、ワタシが使役する事も出来た。


 彼はただ冷たく、燃ゆる美女を見つめていた。彼にとってはこの女も道具にすぎない。


 本当に大切で、愛した片割れは今はこの手の中にはいない。


 だからこそ探すための道具が、彼には必要だったのだ。

 それに、さっき始末した人間ものが、ずっと探し求めていた情報を持っていたのも、今の彼を急き立てる理由でもあった。


 あの日に別れてからずっとずっと探し求めていた、愛しいお前。


 彼は自分の両手を見下ろした。

 今は空っぽで、何もない。

 その指をゆっくりと、握りしめた。

「……もうすぐだ。もうすぐで、お前をこの手に抱くことができる」


 遥か昔に、世界のかわりに失ったお前。

 黒髪美しく、輝く笑顔が懐かしく浮かぶ。

 彼は愛しい者を手に入れるために、この世界に再び降り立った、神だった。


    


やなぎ!こっちだ!」

 その声に、その速さに、人々は思わず振り返る。

 驚く人々の間をすり抜けて。

 人通りの激しい道をひたすら走り続けた。

「ま、待って! もう、走れない……! 」

 その少年は私の手を引いてどんどんスピードを上げていく。

 金髪に染めてある髪の毛が風になびいて、夕日に反射して、綺麗。


 もうすぐ、夜が来る。


「お父さん、お母さん。……さくらっ!」

 風を切る頬が冷たくて。

 私は知らないうちに、泣いていた。

 悲しくて、訳がわからなくて。


 何で私を殺そうとしたの?

 何でこの子は私を助けるの?

 私の頭の中が、夜になるに連れて混乱の白に満たされる。

 もう、何も考えられない。





 朝のリビングで、私が自分のお弁当を詰めている間に双子の姉の桜が、勝手に私の鞄を漁っていた。

「ねー! 柳ぃ、こないだ買ったペンちょーだい!」

 私はお弁当を詰める手を止めて、笑って私の筆箱を取り上げる彼女の手を止める。

「やめてよ! 桜この間買ったばかりでしょ!? 」

 そんな私を見下ろして、桜は薄ら笑いを浮かべて私の方へ筆箱を投げた。

「あれはぁ、もう使い終わったの。私、頭良いからさぁ。たくさん勉強するのに必要なの! 」

 桜のその手には、自分の少ないお小遣いで買っていた文房具が、握られていた。

「確かに桜の高校は進学校だけど、お母さんたちに買ってもらえるでしょ? 私はバイトすら許してくれてないんだから、お願い。それ以上は私から取らないでよ」


 頭もスタイルも、私なんかよりずっと良い。

 昔から、私の自慢の姉だった。

 だから、両親の愛情がお姉ちゃんに捧げられても、私は何も言えないのに。


「柳、いい加減にしなさい。桜は勉強なんだからしょうがないでしょう!? 文句言うならあなたもテストで良い点とりなさい! 」

 ため息をついてから、お母さんの一喝が部屋に響く。

 桜を庇うように、お母さんがたちはばかる。

 その後ろに隠れながら桜はニヤニヤ笑って、私のペンを自分のペンにしてしまった。

 いつも。

 いつでも。

 いつでもそう。

 私は言いたいことを、飲み込むだけ。


『桜』と『柳』


 大切にされるのは、いつもいつも、

 美しく咲く、薄桃色の花の子だけ。



 こうして。

 変わらない日々がずっと続くと思ってた。






 玄関を開けたとたん、お母さんの優しい声が聞こえて来た。

 リビングの入り口からお母さんが上半身を出して笑顔で手招きしていた。

「お帰り、柳。ちょっとこっちに来なさい」

 高校から帰ってきて、両親が揃ってる所なんて、初めて見る光景だった。

 不審に思いながらも、うながされるまま、やけににこにこと笑うお母さんの後に続く。


 ……ああ、またなのね。


 リビングには知らない男性と、その隣に座る桜の姿。

 物凄く、お似合いだった。

「……こんにちは」

 私は頭を下げて、リビングの入り口に立ち止まっていた。


 一卵性の双子なのに桜の方がずっと綺麗でずっと可愛い。それに比べて私なんて、頭も見た目も中の中。

 ずっと桜の影に隠れてきたから、桜がどんなに異性から好意を寄せられるか知っていたし、……私も心の奥底では、それが自慢であったりもしたの。

 だからこの光景が当たり前だと思っていたから、この二人の親密な様子を見ても別に不思議じゃなかった。


 だから、また桜の彼氏自慢かなと思った。

 でも、その男性は私と桜を交互に見て穏やかに笑って言う。

ワタシはどちらでもかまわない。ひとつになってしまえば同じことだ」

 落ち着いた声に、高そうなスーツ。

 雰囲気と相まって、その人を貴い何かと思わせる。


 あったことはないはずなのに。

 どこか、懐かしいような声の響き。

 その穏やかな笑顔が、

 私の心の奥底に突き刺さる。


 私の動揺をよそに、その人の言葉を聞いた桜は満面の、輝く様な笑みを浮かべた。

「じゃあ、私でいいよね! お父さん、お母さん!」

 桜はその男性の腕に抱き付く。

 笑顔がいつも以上に綺麗だった。

 私から見ても、思わずうっとりと見つめてしまう。

 自分と同じ顔なのに、どうして桜はこんなにも綺麗なんだろう?


 何が何だかわからずに、そのまま入り口に立っていると、台所から両親が出てくる。

 両親は頷くと、それぞれの手に刃物を持って私に向き合った。

 二人は笑顔で私に話しかける。

「ごめんね、柳。痛いのは一瞬だから」

「元々一つだったんだ。元に戻るだけだよ」

 私は息を飲む。

 両親の顔に、声に、それぞれの狂気を見た。


 「やめ……! 」

 私は必死で家の中を逃げ回っていた。

 桜はそれを見て、花の様に笑っていた。

 その笑顔が、私の脳裏から離れない。

 私に刃を振り下ろす両親の姿は、いつもと何処どこかちがう。

 いつものお母さん達じゃない……!


 その時に助けてくれたのが、この少年だったのだ。


   

  

 人混みから、ビルの谷間の陰へと入る。

 秋の薄い空の空気が、だいだいから藍色へと景色は姿を変えてゆく。


「……まいたな。もう大丈夫だぜ、柳」

 ぜぃはぁ言いながら、少年は頭一つ小さい柳を抱きすくめて、建物の陰に背を預けた。


 何処にでもいそうな少年、ではなかった。

 抱きすくめられてわかったけれど、ユニクロのストライプシャツの下はよく鍛えられた体をしている、と思う。

 私は男の子と付き合ったことは無いから、わからないけれど。

 その通りには沢山のヒトが行き交っていたが、誰も自分たちに興味が無いようだった。


 普通の、いつもの生活がそこにある。

 月が頭上に輝き、闇が濃くなる。

 彼は空を見上げてささやいた。


「こっからはの領域だからな」

 そう言って、私を見下ろしてニコっと笑う。

 その笑顔を見て、ほっとして足から力が抜けていく。

 でも、その少年がしっかりと私の腕を引き上げてくれた。

「お母さん達や桜は……? 」

 家に残してきた家族が心配だった。

 例え私に刃を向けていた事実が、曲げられない真実だとしても。

 せっぱ詰まった私の顔が、よっぽどひどかったのだろうか。ぶはっと息を吐いて、彼は笑った。

 とても、優しい笑顔だった。

「安心してねん♪柳ん家にぶっこんだのはただの煙玉ケムリダマ。人間相手に殺傷能力あるやつは使わねぇし、使えねぇ」

「何で……なんで……? お母さん達が、変だったの! 何か、普通じゃなかったの! 」

 また、涙で目が曇る。

 知らない子の、前なのに。

 不安で、不安で、たまらない。

 叫びたくて、しょうがない!

「いきなりだもんな。混乱するよな。泣いてていいよ、今だけな」

 優しく撫でてくる彼の手が、私の不安を和らげた。

 私の不安をぬぐった後で、彼はきっぱりと言い放つ。

「でも落ち着いたら、また移動だ。鉱人こうじんが出てくる前にオレラの本拠地ナワバリに行かなくちゃな」

 私はポカンと彼を見上げる。

 金髪だけど、その瞳は真っ黒だった。


 綺麗な黒曜石みたい。

 まるで、夜を詰め込んだ様。


 あまりにも、彼の目が綺麗だったから。

 ポツリポツリと問いかけていた。

「コウジンって何? 君は誰? どうして私の名前を知ってるの? 」

 う~ん、と少年が私を腕の中に閉じ込めたまま上を向いて唸る。

 「そーだよなー。オレヤベー奴みたいだよなー。……あのな、表通りにいる奴等、見える? 」

 彼の声に、私も視線をそちらに向けた。

 みんな下を向き、忙しそうに足を動かしている。

 よく見てみ、とカケル君が側でささやく。


「……あ」


 時々、周りを見渡すヒトがいた。

 赤や黄色や緑、青。

 そのヒトの瞳が、光っていた。

「あれが、鉱人こうじん。オレラとちょっと違うヒト」

 思わずカケル君を見上げる。

 人を安心させる笑顔。


 まただわ。

 この感覚。

 懐かしくて、胸が締め付けられる。


「オレはカケル。柳の事をずっと見守ってたんだぜ? あ、変な意味じゃなくてね」


 私の運命が回り始めた。


「オレね、よいの一族なの」


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