第89話 愛の鞭

「…そろそろ失礼する。”ウォーカー”達は引き取らせてもらうぞ」

「ええ、それでは御機嫌よう」


 ネロは怪物達を引き連れてから、男へ別れの挨拶を済ませる。そして一度だけアンディを見てほくそ笑んだ後に、自ら出現させた黒い靄の中へ消えていった。


「さて、アンディ !自己紹介をしようか !私の名前はテッド・ハイドニク。これからよろしくな」


 男は揚々と靴を地面に擦らせながら歩き、アンディの前にしゃがみこんで名前を知らせた。彼が合図を出すと、部下達は拘束されたままだったアンディを起き上がらせ、男の前に跪かせる。只ならぬ異様さに呑まれつつあったが、ここまでは想定内であった。手筈通りに追跡をしてくれているならば、応援の者達が確実に辿り着いてくれる。自分に出来る事は、出来る限りそれを悟られないようにするだけだとアンディは思考を巡らせていた。


「ここは一体…?」


 できる限り情報を聞き出すためにアンディは問いかけた。案の定、隠し持っていた装備も全て取り上げられており、少しだけ締め付けらているような感覚が和らいでいる。


「我がブラザーフッドに加わる新たな仲間達へ教育をしてあげる大切な場所さ。せっかくだ !紹介しよう…最近入ったばかりの子でね。さあ、キース !挨拶をするんだ」

「あっ…こ、こんにちは…」


 テッドはこの場所で何が行われているのかを簡潔に伝えてから、奥に繋がれている一人の少年の元へアンディを連れた。彼に指名された少年は顔を引きつらせ、しどろもどろに挨拶をし出す。


「こらこら、元気が無いぞ ?挨拶は人格を映し出す鏡 !ちゃんと大きな声を出さないと」

「は、えっと…すいませ――」


 オドオドとする少年に対して、テッドはまるで学校の教師か何かの様にわざとらしい表情と声で彼に注意をする。だが少年の姿からして、そのような状態に陥っている理由は一目瞭然だった。彼は衰弱していたのである。顔や体中に打撲が出来ており、恐らく食事もまともに与えられていないのか、少し痩せこけてる上に顔色も変わっていた。口からも血を流したとみられる形跡がある。精神的にも肉体的にも追い詰められているのだろう。


 その時、返事が遅れた少年に向かってテッドはあろうことか顔面に拳を叩きつけた。怒っているわけでも、ましてや笑顔を浮かべて楽しんでいるわけでも無く、まるで仕事の一環とでも言うかのような真顔であった。


「だめじゃないか !謝る時も挨拶と同じだと言っただろう ?」

「げほっ…ごめんなさい !ごめんなさい… !」

「…うん !分かってくれれば良いんだ !もう同じ様な失敗はしちゃいけないよ ?」


 穏やかな口調でテッドに叱られた少年は、泣きながら謝罪を繰り返した。彼の反応に満足げな様子のテッドは、近づいて頭を撫でて抱きしめながら励ましを送る。周りで同じように捉えられている他の者達は反応も見せずに俯いていた。それだけの気力すらも無いのか、現実から目を背けたかったのか…或いは下手に目が合う事で標的にされるのを嫌がったのかもしれない。


「よーし、アンディ !騎士団の仲間が恋しいだろうが、私も自分の仕事を精一杯やらせてもらおう。もしかすれば、君をこちら側に引き込めるかもしれないしな」


 気を取り直したテッドはアンディに向かって何やら不穏な事をのたまい始める。なぜ自分の事について色々と知っているのか知りたかったが、今はそれどころではなかった。身の危険が自分に迫っている。


 自身に顔を近づけて語り続けるテッドの顔は、相も変わらず活気のあるものだったが、それ故に言動と剥離しているように思えて仕方が無かった。十人十色という言葉がある様に、違う感性を持つ人間など幾らでもいるのは分かっているアンディだったが、それにしてもこの男は明らかに何か根本的な要素がズレていると感じていた。




 ――――その頃、驚異的な脚力とスタミナによって逃走を続ける怪物を追いかけていたクリス達だったが、道中でブラザーフッドの一団に襲われてしまう。これを何とか退けた一行だったが、肝心の標的を見逃してしまった。


「クソッ…血を頼りに探していくしかないな…」


 倒した敵を八つ当たり気味に蹴飛ばしたクリスは、託された小瓶を見つめながら呟く。遠くへ逃げていた馬を笛で呼び直し、怪物達の捜索を開始しようとした時であった。異変に気付いた一人の魔術師が背後を振り返って何か言っていた。それと同時に爆発音が遥か後方で響く。


「煙が上がってる… !」

「それだけじゃない !燃えてるんだ !密林全体が !」


 先程まで自分達のいた方角の上空へ立ち上る煙と、望遠鏡で背後の燃え盛る密林を確認した魔術師は口々に叫んだ。


「何があったんだ?」

「どうするクリス。このままじゃ…」


 状況を頭の中で必死に整理しながらクリスは言った。レグルもどちらを優先すべきか迷っているらしく、後方を見つめるクリスへ助言を仰ぐ。これから向かう場所に何が待っているか分からない以上、戦力は確保しておきたい。かといって火災を全員で調べに言っては余計に時間を食ってしまう。


「レグル、一緒に来てくれるか ?」

「勿論だ」

「よし、お前達は火災を調べるんだ !」


 手分けをする事で話にケリをつけたクリスは、魔術師達からの返事を聞いた後に馬を走らせる。


「俺の小瓶を渡しておく。それがあれば俺達のいる場所へ辿り着けるはずだ」


 レグルは一人に自分が持っていた血液入りの小瓶を渡してからクリスの後を追いかける。そして残りの魔術師達は不安によるざわめきを押し殺しながら必死に密林へと戻って行った。


 彼らと別れて捜索を続けるクリスとレグルだったが、一向にそれらしい影は見当たらない。そうこうしている内に、やがて海が良く見える崖へと辿り着いてしまう。密林を出てから既に数時間は経過していた。


「ったく…どこまで行ったんだ ?クリス、血液の様子はどうなってる ?」


 流石に不審な物が何一つ見当たらない事に苛立ちを隠せないレグルがクリスへ尋ねる。しかし、当のクリスは困惑している様子で小瓶を見つめていた。


「…そんなバカな」


 小瓶の中にある血液が動く方向を見ていたクリスは思わず言った。というのも、血液が張り付いている方向は小瓶の底だったのである。いくら左右にゆすってみようが血液は微動だにしないまま底に引っ付いていた。逆さまにすれば反対側の方向へ落ちて来るものの、やはり左右へのゆすぶりには全く反応が無い事から下方向を向いている事は間違いなかった。


「下を示している…この真下だ」

「真下って…ここは崖だぞ!?地中にいるとでも言う気か!?」


 クリスから飛び出た発言にレグルは目を丸くして反論し、小瓶をもぎ取ってから確認する。だが結果は同じであった。


「洞窟か何かがあるんじゃないか ?もしかすれば――」

「この辺の土地には詳しくない…それを差し引いても、浜辺すらないんだぜ ?どこに洞窟なんかあるっていうんだ」


 別の可能性を考えてみるも、土地勘の無さから二人は行き詰っていた。どうしたものかと唸っていた時、馬を降りてからクリスは崖の端に立って周囲を見てみる。


「レグル。火の魔法を使えるか ?」

「え ?当り前だろ。俺を誰だと思ってやがる」

「あの辺りの岩場を照らしてくれ。確かめたい事があるんだ」


 クリスからの要望を不思議に思いながら、レグルはライターから火種を調達して操作を始める。巨大な火の玉を作った後に、それを岩場の方へと飛ばしてから爆発させる事無く浮遊させ続ける。面倒な操作ではあるが、彼にとっては朝飯前の仕事であった。


「やっぱりだ…それに賭けるしかない」


 ビンゴだと言わんばかりにクリスは望遠鏡で岩場を眺めながら呟く。レグルは何をそんなに喜んでいるのだと不思議に思っていた。


「背の高い岩に跡が見えた…本当なら水位はもっと高い筈なんだ」

「それがどうしたんだ ?」

「以前に聞いたことがある。海辺にある洞窟は稀に潮の満ち加減で入り口が隠れてしまう物があるんだと。つまり…」

「潮が引くのを待てば何かが見つかるかもしれないって事か… !」


 クリスがかつて聞いた話を基にして、時間が経過すれば手掛かりを見つけられるかもしれないと示唆する。それに対してレグルは納得した様に驚いた。問題は現在が引き潮なのか、それとも満ち潮でありこれからピークを迎えるのかである。しかし、ここまでくれば待ってみるしかないと二人は念のために周囲の探索をしつつ、アンディの無事を祈りながら潮が引くのを待ち続けた。




 ――――クリスとレグルが二人で走り出した頃にまで時は遡る。”お仕置き部屋”と称される数多の物騒な器具に囲まれた部屋で、アンディは押さえつけられたまま巨大な水桶に首を突っ込まれ、彼は必死に鎖でつながれた腕で藻掻き続けていた。目を見開き、口から泡を吐き続けていた彼だったが、それすらもしなくなった瞬間を見計らってからテッドは顔を引き上げる。


「ゴホッ…オェ…ハァ…ハァ…」

「素晴らしい…君は素晴らしい逸材だ。特にその目 !決して闘志や殺意を緩ませない…その精神。ブラザーフッドに来れば間違いなく成り上がれただろう」


 水責めにし続けても尚敵意を向けてくるアンディに、テッドは感嘆とした声で彼を褒めたたえる。しかし、このままでは足りないと思ったのか部下に命じて、アンディを縛る鎖を天井に引っ掛けた後に彼を宙づりにする。それからはしばらくの間、腹や顔を殴られ続けた。どうやら出血しない加減という物を分かっているらしく、適度に急所を狙って行きながら体を痛めつける。血を流させることが、操血闘術の発動条件である事を知っているらしい。


「君の根性には驚くばかり…しかし、それ故に私はまだ君の限界を見る事が出来ていないという訳だ。それでは困るのだよ。どこまでするのが大丈夫なのか、大丈夫じゃないのか…その基準は人によって変わる。それを知っておかなければ個人に合わせた教育は出来ない」


 痣だらけになったアンディを尻目に語りながら準備を進めるテッドは、近くの焚火に突き刺してあった鉄棒を取り出した。良い予感がしなかったアンディは抵抗するために体を動かそうとするが、無情にも部下達によって抑えられてしまう。


「強い戦士とは痛みと恐怖を知っているものだ…だからこそ私は、君にこの試練を耐え抜き、内側にある苦痛への恐怖へ立ち向かって、”戦士”になって貰いたいんだ !大丈夫、君なら絶対に出来るさ !」


 ヒリヒリとした熱さが近づいて来るにつれ、皮膚が感じるのは焼き付く様な痛みだった。テッドは真剣な表情でアンディの可能性を信じていると励まし、その悪意の無さにアンディがムカ付いた直後、橙色に焼けた鉄棒を胸元に押し付けてくる。


「うああああああああああああああ!!」


 身が焼かれる瞬間、アンディの汚らしい絶叫が洞窟中に響き渡った。

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