第75話 なめんなよ

 今度はこちらからと殴りかかっていったクリスだったが、パンチや蹴りさえもいなされてしまい、その都度殴り返される。ギャッツがただ馬鹿力だけに頼っている男では無い事は、その慣れているらしい体捌きによって分からされた。


「…抵抗できるだけの意地が残っていたんですね」


 てっきり最初のダウンでクリスが諦めるものかと思っていたアンディは、張り合おうとしてくる彼の姿に関心を示した。ここから先、何度殺された段階で音を上げるのかを想像していると、二人の殴り合いに早くも動きがあった。


 打撃の応酬の最中、隙をついたクリスがようやく腹に拳を撃ち込んだ。しかしギャッツは微動だにせず、一瞬だけ困惑を見せたクリスの顔面へフックを打ち込んでテーブルへ叩きつける。クリスがぶつかった衝撃でテーブルが引っくり返され、クロスやら蝋燭台やらが滅茶苦茶に舞い上がった後に床へ散らばった。


「パンチの打ち方が分かったかな ?ガーランド君」


 小馬鹿にした様子でギャッツは、散乱した物の中に埋もれているクリスへ近づいていく。ただのフックでさえこの威力なのかと、クリスは人生で数えるほどしか味わった事のないであろう久々の絶望感に苛まれた。直後、追撃が来たことに気づき、間一髪の所で瞬間移動を発動した。


「ほう、それが噂に聞く"闇"か」


 床に入ったヒビから拳を引き上げながらギャッツは言う。たかがパンチで大理石の床さえも砕きそうになるなど、自分以外にそんな芸当が出来る者がいた事にも驚きだが、こちらの情報があらかた筒抜けになっている事も厄介であった。


「科学や魔術師達の知識を以てしても、未だ解明のされていない力…気になる物ではあるが、俺にとっては何の問題も無い」


 ギャッツがそう言ったが、クリスは特に言い返したりはしなかった。というより、そんな余裕は無かった。距離を取りながら様子を窺い、瞬間移動で背後へ回り込むことを決めたクリスはすぐさま実行へ移す。この一夜における乱用によって、体力的にもキツイものがあったが悠長なことを言っている場合ではない。一呼吸だけ置いてから、クリスは遂に瞬間移動を発動して回り込んだ。


「間抜けめ」


 刹那、そんな声が聞こえたかと思った直後にギャッツが振り向いた。恐ろしいすばやさであり、飛び蹴りを食らわそうとしていたクリスの腹めがけて拳が入る。一言で例えるならそれはまさしく砲弾であった。再び体の中で強烈な鈍痛が走り、気が付けば部屋の奥の壁に叩きつけられていた。息も出来なくなっており、横隔膜を破壊され、内蔵の数か所が潰されたのが分かった。


「スピードに頼る奴は決まって背後を取ろうとする。不意打ちをしたいがためにワンパターンな方法しか取らない…何故だか分かるか ?心の奥底、本人さえ自覚が無いであろう潜在的な意識の中で油断しているからだ。自分の動きに追い付ける筈はない…そうした自負や前提によって今の貴様のように無様を晒す。最も、どの方向からかかって来ようと負ける気はせんがね」


 ギャッツは未熟者めと説教をかましながら再び迫って来る。その頃、吹き飛ばされて床で這いつくばっているクリスを、アンディは膝を組みながら椅子に座って見ていた。一瞬、こちらを恨めしそうに見てきたクリスにウインクを送る。彼なりの応援であったが、やはり考える事はギャッツの持つ化け物じみた身体能力だった。有象無象が相手であれば一騎当千とも言える力量を持つクリスでさえ、完膚なきまでにぶちのめされるしかない。規格外な力であった。


 滅茶苦茶になったダイニングルームを歩いている時、ギャッツがアンディを見てから笑ってみせる。マスクに隠れて口元は分からなかったが、その目つきや仕草ですぐに分かった。これほどまでに強い者が自分を求め、傍らに置いてくれているという事実がアンディに更なる興奮と優越感を与える。強い者には従わなければならないという五体へ徹底的に植え付けられた思想と、それに反発して束縛されたくないという本心がせめぎ合う事で彼の性根は形成されていた。ギャッツはまさしく、そんな自分を満たしてくれる数少ない存在だったのである。


 こちらへ手を振り返してくれたアンディに頷いてから、ギャッツは今まさに立ち上がろうとするクリスの頭を掴んで無理やり引き上げた。


「降るか、続けるか…選べ」


 ギャッツが静かに尋ねてきた。返答次第でこれから自分の顔がどうなってしまうのか、わし掴みにしている指の力と締め付けられるような頭痛によってクリスは理解する。しかし、その程度で騎士団の仲間達を裏切れる程の薄情さは流石に無かった。


「…くたばれ脳筋ゲイ野郎」


 発言から間髪入れることなく、クリスは頭部を何度も壁に叩きつけられた。顔面が壁にめり込むたび、亀裂の大きさと壁に作られた陥没の深さは増していく。そのまま動かなくなったクリスの体を放り、背を向けたギャッツだったが不意に先程とは比べ物にならない殺気を感じ取った。


「へえ…」


 アンディが感嘆の声を漏らす。視線の先には懲りずに立ち上がってギャッツを睨むクリスの姿があった。


「追撃はどうした ?それとも怖いのか ?」


 そう言ってクリスは邪悪な笑みを浮かべる。それが挑発である事は誰の目にも明らかだった。ギャッツは青筋を立てながら駆け出し、全力で勢いをつけた拳を彼の顔面に放った。凄まじい破裂音のようなものが響き、クリスが衝撃で後ろへ後退してしまったのか、靴の摩擦による焦げが床についていた。


「あんたを過少評価しすぎていた…すまなかったな。こっちもようやく…気持ちが追い付いて来た」


 両手でギャッツの拳を掴む事で攻撃を受け止めたクリスは、そう言いながら彼を見る。ここからが本番だと悟ったギャッツは、やはり自分の目に狂いは無かった事を心の中で歓喜した。

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