七章:狂宴の始まり

第47話 予兆

「人身売買 ?」


 しばらく経ったある日、休日であるにも拘わらずマーシェに呼び出されたクリスは、相変わらず雑多で騒がしい研究室を訪れていた。ふとジョンをどのようにして攫ったのかと気になって彼女に尋ねた所、そのような答えが返ってきたのである。


「そう、随分と金に困って食い扶持を減らしたいなんて考えてる人は、このご時世にはかなりいるの。だから適当に条件に見合う人を選んでは、金をチラつかせて引き取ったのよ」


 そう言いながら様々な種類の資料と、クリスが提供した血液が入ってる試験管を持って彼女は現れた。


「あの女、どうりで逃げたわけだ…」

「今頃手に入れた金で幸せにやってるかもね。まあ、それはさておき…あなたの血液を調べさせてもらった。かなり面白い事になってるわよ。ところであなた、この手の資料は読める ?」

「馬鹿にしないでくれ」


 脳裏に浮かんだジョンの顔に同情を覚えたクリスだったが、マーシェはそそくさと話題を変えて、本題である血液検査の結果を渡してくる。


「あなた不死身の謎に少し迫れた気がしたわ」

「どういう事だ ?」

「あなたの体を構成している遺伝子の中に妙なものが混じっていた。私もはっきり言って初めて見たから、詳しく解説は出来ないけど…仮説を立てるとするなら、あなたの体の中では無限に細胞やエネルギーを生み出す仕組みが存在する。そして遺伝子の一部がその役割を担っているみたいなの。あなたの魔力が強かったのは、投与されたホープ因子がエネルギー生産に便乗した事で急激に増殖したからでしょうね…断言できるのは、あなたの遺伝子が現在確認されているどの生物とも違う構造を持っているって事だけ」 


 解明するどころか増々謎が深まっている気がしてならないが、彼女にとっては大きな前進であるらしかった。クリスは別れた後、彼女から言われた自身の体の秘密について出来る限りの範囲で考察をし続けていた。やはり引っかかるのは、どの生物とも違う構造の遺伝子が自身に宿っている事や、なぜそんなものが体に混ざっているのかという点であった。親さえいれば直接聞き出せたかもしれないのにと、自分の生い立ちを恨んでいた時、どこかからか木と木がぶつかり合う乾いた音が聞こえる。


 音のする方へ向かってみれば、訓練に使う運動場の端にて、ディックとイゾウが木刀で打ち合いを行っている真っただ中であった。胡坐をかいてそれを眺めるジョンがおり、彼の膝の上に座っているシェリルが小さく手を振った。顔は相変わらず無愛想であったが。


「今日は休みじゃなかったのか ?」


 疲れ果てて仰向けに寝っ転がるディックを尻目に、イゾウはクリスに聞いた。


「暇潰しだ。問題あるか ?というか何やってる ?」

「オオカミさんが稽古付けてくれてるんだよ。はあ…はあ…でも全然手加減してくれなくて」


 逆に聞き返したクリスに、寝っ転がったままディックが不満げに答える。イゾウはそれに対して呆れた様に首を振った。


「何が手加減だ。殺し合いになった時も同じことを言うのか ?ほら立て、続きをやるぞ」

「ええ~…」

「体で覚えろ。お前の欠点はすぐに競り合おうとする負けず嫌いな部分にある。確かにそれ自体は良い心構えだ。だが考えてみろ。俺とお前では体格も筋力も違う。そんな相手に鍔迫り合いを仕掛けて勝てる見込みがあるのか ?相手の力量を見極めて、戦術を変える事も時には必要だ。覚えておけ」


 意外と真面目に指導を行うイゾウと再び向き直って手合わせを行うディックを、クリスはジョンに寄りかかって暫く見ていた。


「…口添え、ちゃんとしてくれたんだ」

「ああ、約束は出来る限り守る。それがモットーでね」


 騒動に一区切りがついた後、ディックはクリスの紹介によって雑用から始めるという条件で騎士団への入団を許可された。一方で気が付けば、イゾウやクリスとこのような形で稽古を付けてもらうようになっており、かなりの手厚い待遇であった。


「ウェイブロッドで盗みばっかりやってた頃は、あいつぐらいしか慕ってくれる子がいなくてさ。どうにかして恩返しがしたかった」

「ようやく願いが叶ったか ?」

「…ちゃんと食っていけるかどうかが大事。まだこれから次第…まあ、ひとまずはありがと」


 いつもの冷たい表情が少しほぐれ、僅かに微笑みながらシェリルは礼を言った。ふとジョンを見れば、黒の斑点模様が目立っている蝶が頭上を飛んでいるらしく、ボンヤリと目で追いかけていた。


「ジョン、シェリルが膝に乗ってるんだ。ボーっとしすぎてひっくり返ったりするんじゃないぞ」

「…ハッ !キヲツケル !」


 我に返ったようにジョンが言うと、私は大丈夫だとシェリルは彼にフォローを入れた。その内ディックに組み手ででも教えてやるかなどと考えながら、クリスは騎士団本部を後にして街へと繰り出す。といっても特に理由があるわけではない。束の間の休息であった。


 街へ繰り出したものの、特にすることが無いと気が付けば『ドランカー』のあるレングート市の中央通りまでクリスは来ていた。ここから交差点をいくつか曲がった先でビールが飲めると思いついたクリスは、少々足早に進んで行こうとしが、どこからか聞こえる自分を呼ぶ声に足を止めた。


「おーい !やっぱりクリスか」


 デルシンだった。私生活で関わる事が殆どなかったせいか、私服姿が非常に新鮮である。白いシャツの上からベストを纏い、新品らしいシンプルな色のネクタイが目立っている。そしてその上からフロックコートを羽織っていた。とりあえず裸でなければ良いとシャツとズボンで済ませているクリスとは大違いである。


「確か今日はお前も休みだったな。どこか行くのか ?」

「する事も無いんで散策をしていた。これからビールでも飲むつもりだよ。そっちは ?」


 クリスが自分の予定を語り、デルシンに聞き返していると彼の背後からゆっくりと二人組の人影が近づいて来る。黄金色の髪をなびかせる非常に穏やかそうな表情の女性と、その娘らしい少女であった。


「パパー !」


 少女が大きな声で言いながらデルシンのもとへ駆け寄った。豪快な父親とは似ても似つかない程に純粋そうな瞳を持ち、人懐っこそうな仕草を見せている。


「ああ、悪かったな愛しのお姫様 !」

「もう、びっくりしたわ。急に動くものだから…こちらの方は ?」


 娘を撫でながら詫びを入れるデルシンだったが、気立てが良さそうな婦人はクリスの事に興味があったらしかった。


「おう、紹介するよ。うちの職場の頼れるエースだ」

「それほど大したものではない。クリス・ガーランドだ。よろしく」

「お話には聞いてました。リリー・マクレーンと申します。この子は娘のアンネ」

「こんにちは !」


 夫人と娘から挨拶をされ、握手で応じた後にクリスは家族で遊びにでも出かけたのろうと誰にでもわかる予測を立てる。


「見た所、家族水入らずってわけか。邪魔をすると悪いし、この辺で俺は行くとするよ」

「おう。そうだ、いつか俺の家にも遊びに来い。色々と聞いてみたい話もあるんだ」

「…ああ、機会があればな」


 軽く挨拶と約束を交わしてクリスはマクレーン一家を見送る。少し寂しさを感じながら『ドランカー』へ向かうクリスだったが、街の至る所で工事が進められている事に気が行って仕方が無かった。研究開発部門が何かを進めているということらしいが、どうも詳細を教えてくれない。


「何をする気なのかね…」


 工事を行っている者達の服装などから、どうせ騎士団の関係者だろうと考えたクリスは、小言を呟きながら路地へと入っていく。やがて目印の看板が見えてくると、足早に店内へ滑り込んだ。


「おお、ガーランドさん !いらっしゃい」


 平日だというのに、店内はちょっとした賑わいを見せている。愛用している模様の掠れてしまった懐中時計に目をやると、既に昼時であった。


「エールビール、それとソーセージにポテトを盛って欲しい」

「はいよ」


 いつものカウンターについて椅子を軋ませながら、クリスは腹に溜まりそうなものを適当に頼む。トムもそれに快く応じて、間もなくスキレットで調理を開始した。胡椒の香りが鼻に入った頃、スキレットから皿に写されたソーセージと炒められたジャガイモが湯気を立ててカウンターに置かれる。ビールはグラスに注がれていた。


「ところでガーランドさん、新聞見ましたか ?」


 食事が佳境に入った頃、トムがグラスを拭きながら聞いて来た。


「どうしたんだ ?」

「見てくださいよ、これ…あの詐欺罪で刑務所に収監されていた資産家のエイブラハム・オーウェンが仮釈放ですってよ。それだけじゃない、名のある強盗や殺人犯がこぞって同じように大金叩いて釈放されてるんです、ここ数週間の間に。実は…巷の噂じゃ何か起こるんじゃないかって皆不安になってるんです」


 なぜかヒソヒソ話で語り掛けるトムに、クリスも思わず聞き耳を立ててしまった。


「こいつらがグルになって何かをするって事か ?」

「可能性はあるでしょう ?」

「まあ、案外あるかもな…」

「それだけじゃないですよ。こないだだって――」


 明確な根拠はないものの、確かに引っかかる内容ではあった。クリスはトムの陰謀論めいた話を聞いている内に、ジョンの輸送中に襲撃してきた男が言った「祭りが始まる」という言葉を不意に思い出す。のんびりとした休日から一転、奇妙な胸騒ぎを感じながら、クリスは苦味の利いたビールを口に運び続けた。

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