第46話 優劣

「――つまり、これ以上肉体強化薬の濃度を上げてしまえば、獣化が進んでしまうから希釈をしているってわけなんだ」

「なら毒性を抑えられる中和剤と組み合わせるっていうのは ?例えばガルーダの舌をすり潰した粉とか。確か毒の進行を遅らせる事が出来たはず。それ以外にも似たような効果が発揮できる植物や魔物の臓物も知ってる」


 想定以上にマーシェは新しい職場に馴染んでいた。牢屋から出して以降、数日ほど間を開けて様子を見に来たクリス達は、騎士団の使う装備に関する討論をビリーと繰り広げる彼女を目撃する。


「来てからずっとあの調子だ。ビリーの野郎も似た趣味持ってる女と話せるのが嬉しいんだろうよ。見てみろ、デレデレになってやがる。他の研究員共も同じ有様だぜ ?女気の無い場所だったとはいえ、もう少し下心を隠せねえのかあいつら」


 呆気に取られるクリスの背後から、昼食を済ませたらしいポールが研究室に戻って来ながら言った。彼は絵に描いたような職人気質な風で喋って工房に戻りながら、装備の点検や設計図のチェックを行い始める。


「あら、来たのね」


 こちらに気づいたらしいマーシェは、ビリーに別れを告げた後で煙を吹き出す機材や、使い込まれて染みや汚れだらけの設備の合間を縫いながら近づいて来る。近くの工房にいるポールにも声をかけたが無愛想に返された事を不満げにしている様子であった。


「取り調べの続きをしたくて来た。にしても、随分と人気者なんだな」


 彼女を遠巻きにチラチラ見る研究員達に視線を送りながらクリスは言った。どうやら他の職員達と同じ、耐熱素材で作られたエプロンや白いシャツを纏っているが、袖は捲っており、汗をかいたのか少々湿っているのが傍から見ても分かる。そしてこういう言い方をするのもどうかとは思えるが、服の上からでさえもスタイルの良さに彼らは魅かれたのだろう。


「ふふん、プロフェッショナル達には私の実力ってのが分かってるらしいわ。お目が高い」

「ホントにそれだけが理由だと良いけど…」


 自信ありげな彼女に対して、メリッサは彼女に送られる周囲の視線がどうもいけ好かないように言った。恐らくではあるが、彼女の様な色目を使うタイプが気に入らないのだろう。


「怖い顔しないで。もう同じ職場の同僚よ ?まあ雇われだけど」

「…つくづく実力主義ってのも厄介ね」


 マーシェはどうも彼女と同じ土俵に立つ気は無いらしく、穏便に行こうと言ってのけるが、やはりメリッサは上層部の判断に納得がいかないらしかった。そろそろこの辺りで止めておいた方が良さそうだと判断したクリスは、メリッサより一歩前に出て話を切り出す。


「雑談はここまで。そろそろ本題に入ろう…お前にキメラの開発を指示していたのがシャドウ・スローンってのは分かった。その組織を取り仕切っているのは誰だ ?どうすれば会える ?」

「ギャッツ・ニコール・ドラグノフ…それがシャドウ・スローンのボスの名前よ。まあ、あなた達じゃ知らないでしょうね。正直会い方は分かってない。いつも向こうが呼び出すし、私は彼の生活については何も知らないもの。キメラを作るのも戦争ビジネスのため…兵器ってのは当たればデカい稼ぎになるからって言ってたわ。私が好き勝手したせいで頓挫しちゃったんだろうけど」


 クリスからの疑問に彼女はどうにか答えようとしたが、肝心な情報についてはやはり出てこなかった。どうやら思っていたよりも用心深い男らしい。キメラの開発が中止になった事については、マーシェにとっても良い報せではなかったらしく、少ししょぼくれていた。自分が原因だという点が気になったが。


「好き勝手っていうのは勝手に試作品のキメラを解き放ったからか ?だが、研究の成果は残ってるだろう…いずれにせよ、それを利用される恐れはあるな」

「まあ、あいつからすればそんな考えに行き着くんでしょうね」


 なぜ彼女が原因で開発が打ち切られたのかをクリスが推理し、今後起きる危険性について指摘しているとマーシェはギャッツもそう考えているだろうと言った。




 ――――その後は特に目新しい情報も無く、お開きとなってしまった。仕事を切り上げたメリッサに連れられて『ドランカー』へと訪れる羽目になったクリスは、ひたすらに酒を片手に彼女の愚痴に付き合わされ続けた。


「あの女ホント気に入らない。何で団長も他の連中も何も言わないのよ…」

「ま、まあ…あいつでダメだったら他の連中はどうなるんだって話になるだろう…シェリルは確か前科があるし、俺だって――」

「反省してるんなら良いじゃない !でも、あいつは絶対にそんな事する様な奴じゃない。どうせ隙を見ては男ども唆して犯罪に走るに決まってるわよ !見たでしょ ?あの色目使い。自分の母親行方不明にされて、化け物にした女が同じ敷地内にいるなんて、こんなんじゃジョンも浮かばれないわよ !ああ嫌になる…っは~トム、もう一杯頂戴 !」

「飲みすぎだ…それとジョンが死んだみたいな言い方はやめろ。アイツなりに元気にやってるんだから…」


 完全に酒が回っていた。マーシェの事を毛嫌いしているという本音をクリスにぶつけながら、メリッサは空にしたジョッキをトムに突き付けて再度ビールの催促をした。


「そろそろこの辺でやめといた方が――」

「何よぉ ?金を払わないって言ってるわけじゃないんだから良いじゃないのお」


 トムにも流石に注意をされたが酒を止める気は無い様子だった。言動や仕草といい面倒くさいタイプの酔い方である。


「はあ、そんなに怒る事か ?問題が起きたらその時に何とかすれば良いだけだろ」

「あらあ、とうとうクリスもあの女にイチコロにされちゃった感じかー。増々味方がいなくなっちゃうなー」

「あの…そういうわけじゃない。お前の怒り方は何というか、̪私怨が籠ってるようで気になったんだ」

「だって…昔っから嫌いだったんだもの…ああいうセクシーさ…とか女の武器、みたいなのをアピールするような人って」


 クリスから流石に言いすぎではないかと指摘されたメリッサは、急に落ち込んだようにカウンターに肘をついて言った。怒ったり落ち込んだり、忙しい奴だと思いつつも、どこか陰のある彼女の雰囲気にクリスは疑問を感じずにはいられなかった。


「どうしてだ ?」

「…たぶん、家族の事、思い出しちゃうのかも…」


 彼女から家族について語られ始めようとした時、仄かな酔いが一気に醒め、僅かな時間だけ体が硬直したのをクリスは感じた。


「…俺のせいなのか ?」

「アハハ、違う違う…なんだろう。強いて言うなら、劣等感…かな ?昔からドレスとか化粧とか大嫌いでさ。暇さえあれば武器を見たり、外で遊んだりする方が好きだったの。いっつも怒られてて…私の姉はその点、家族にも気に入られてた。私より勉強も出来たし、美人だったから。おまけに世渡り上手…結婚したいって人もいっぱいいた」


 彼女はカウンターにもたれて、彼女の子供時代を語り始めた。しかし、それと同時に複雑な感情を持っていた事を知って、クリスは少し目を丸くする。


「物心ついた頃から父さんも母さんも、姉さんの事ばかり気にかけるようになってさ…私の事は心底どうでもよさげだった。家族が殺された日は、確かにショックだったけど…ようやくみんなが自分に注目してくれたって、心の中で喜んでる自分がいたの…勿論、最低だとは思ってる」


 ひとしきり思い出話が終わったのか、言い終えた後にメリッサはジョッキの残りを一気に喉に流し込んだ。


「でも、ああいう風に女性として自信を持って動ける人を見てるとさ、なんというか…改めて昔の自分を「お前はダメな奴なんだ」って否定されてるみたいで、嫌になっちゃうのかも。妬んでるのかな、たぶん」


 メリッサは少し暗い調子で身の上話を語り終え、クリスはそれを黙って聞き続けていたが、ようやく口を開いた。


「今は結構楽しくやれてるんじゃないのか ?」

「…かもね。騎士団の皆も良くしてくれてるし、私みたいな生き方をするのも良いんじゃないかって言ってくれた。何だかんだで落ち着いてるわね…クリスはさ、どう思う ?」

「え ?」

「私みたいな女の人…嫌いだったりするかなって」


 クリスが現在はどうなのかを尋ねると、今のとこは問題無さそうだと項垂れたまま彼女は答える。少し落ち着いて来たのか、声のトーンも少し明るい気さえした。さらに彼女から女性の好みについて聞かれたクリスは少し黙ったが、やがて言葉を選びつつ返答を開始する。


「正直、考えたことが無い」


 非常に無難な答えだと、クリスは心の中で自嘲した。


「へえ」

「信頼が出来ればそれで良い。その点さえ約束されていれば、誰がどんな生き方をしてきたかに拘りはない…よほど度が過ぎてなければ」

「成程ね~…って違うわよ、そうじゃなくて恋愛とかについて」


 クリスから人付き合いにおける信条を語られ、納得しかけたらしいメリッサだったが、すぐにそういう事が聞きたいわけではないと質問の詳細を付け足した。


「…ノーコメントで」

「ケチ、もういいわよ。トム !景気づけにおかわり頂戴。」

「ま、またですか !?」


 プライベートに踏み込むのは禁止だと黙秘を貫くクリスに文句を垂れながら、メリッサは少し笑った。そして困惑するトムに再び酒の催促を始める。まだ付き合わされるのかとクリスは呆れながらも、終わりの見えない飲み合いに巻き込まれ続けていった。




 ――――その後、悪酔いによって碌に歩けない彼女を介抱しながら、クリスは騎士団本部に辿り着いた。既に人気も無く、寂しさを感じる暗がりの中を歩いて寮へ向かう。幸い鍵は開いていた。千鳥足で項垂れる彼女に業を煮やしたクリスは、彼女を引き摺る様にして建物に入り、軋む階段を昇って彼女が微かに呟く部屋の番号を目指す。


「鍵は ?」

「ん…」


 ドアを開けたいと申し出ると、彼女は探し辛そうにポケットを弄ってそれを取り出した。どうやら現在の状況を良く分かってないらしい。そのままドアを押して中へ入り、目に付いたベッドの上に彼女を抱きかかえてから静かに乗せた。明日が非番で助かったと思いながら部屋を出ようとした時、クリスは不安に思ったのか一度だけ彼女を見た。布団に包まれて心地良いのか、既に寝息を立てている。


「じゃあな」


 一言だけ残して立ち去ったクリスは、自室に戻った際に時計に目をやる。既に深夜の三時を回っていた。今日は自分もこのまま寝てしまうかと、上着やらをハンガーに掛けてそのまま床に就く。後日、彼女の部屋から出ていく自分の姿が何者かによって目撃されていた事を知り、あちこちに釈明をする羽目になってしまうとはまだ知る由も無かった。

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