第20話 断罪の権利
帰り道の特急列車、寝台車両のベッドの上でクリスは目を閉じたまま周囲の物音に耳を立てながら黄昏ていた。少々重々しさもあるが、軽快な足取りでこちらへ向かって来る者がいると思い、目を開けてみれば首をもたげたメリッサがこちらを覗き込んでいる。
「食事にしよ」
物優しそうに誘う彼女に連れられたクリスは、食堂車に入って導かれるがままにカーテンのかかった相席に足を組んで座った。せっかくだからとメリッサがカーテンを開ければ、日も落ちそうな橙色の空を写した川がある。渡り鳥と思われる群れが一斉に飛び立ち、河原に生えている雑草も風に煽られてなびいていた。
「明日は嵐だってさ、場合によっては列車が一度停車するかも。報告書は書いたから最悪、停まった駅で電報でも…ねえ聞いてる?」
「ん、ああ…」
見事なまでに上の空だったクリスの様子を心配そうにメリッサは伺ったが、気の抜けた返事が返って来たのキッカケに彼の興味を引けそうな話に変える事を決めた。一度だけウェイターが注文の確認に来たが、「後にしてほしい」とメリッサがジェスチャーで伝える。特に嫌な顔をする事なく律儀なすまし顔で一礼をしてウェイターが去って行くと、メリッサは口を開いた。
「当てよっか。気にしてるんでしょ?あいつの言ってた事」
彼女のその言葉に反応したのか、窓の外に連なっている影の差し掛かっていた荒涼な山脈を眺めていたクリスが、僅かに首を動かした。上手く食いついたとメリッサは不意に笑みをこぼして話を続ける。
「平気よ。あんな奴の言う事なんか。そりゃまあ…ちゃんと協力をしなかったのは落ち度だけど、勝手にサーペントの寝床に突っ込んで行ったのはあいつだし、あなたが自分を責める道理なんて無いって。だからさ、元気出そう」
「そこじゃないんだ」
「へ?」
彼女の励ましから慰めや優しさが感じ取れたのは有難い事ではあったが、自身がボンヤリと悩んでいる部分とはズレているとクリスは指摘する。礼を言われるか、それとも反論されるかと身構えていた彼女は面食らったように声を出した。
「昔の話だが、俺には仇がいた。仕舞いには殺してやったんだよ。何発も何発も弾丸を撃ち込んで、アイツの顔が血で見えなくなるくらいにしてな」
唐突に過去の事を切り出したクリスに対して、気を抜いた状態であるにもかかわらず嫌な事を聞いてしまったとメリッサは感じた。そしてなるだけ想像をしないようにして彼の言い分を静かに聞き続ける。
「そんな俺がかつての自分と同じ立場にあって、同じ行動を取ったあの女に手錠をかけて牢屋に入れた。皮肉というか…俺なんかが正義の味方気取りで止めたりして良かったのかと、そんな事が頭をよぎったんだ。あいつの気が済むまで暴れさせてやるべきだったのか、少しだけ分からなくなった」
言葉が段々と細々としていくのが、メリッサからしても明らかだった。騎士団に入った魔術師界隈のエキスパートとしての面影は無く、パブで別れた恋人への未練を語っている中年男性のような哀愁と物悲しさが、どことなく彼の持つ物々しい雰囲気に混じっていた。
元の性分からして堅苦しい話をさほど好まないメリッサにとって、彼の話は反応に困るものであった。相談するのなら自分以外の誰かであって欲しかったと思いつつも、当たり障りの無いように答えを返すべきなのか物怖じせずに意見をぶつけてやるべきなのかを迷った。そして、踏ん切りがついてから彼に返答を語り出していく。
「もー…年下にしていい話じゃないよ?それ」
笑顔を見せて、冗談めいたように彼女はクリスをなじった。
「なんというかな。そうだ、何だったのか覚えてないけど人生論について語っている本があったんだよね。その本の中で言ってた。『過ぎ去った過去を悔い続けるな。その過去を糧に何をすべきかを考えろ』。カッコ良くない?」
「まあ、そうだな」
本の引用をしながら語る彼女に、クリスは適当な相槌を打つ。
「だから、深く考えなくて良いと思う。それが自分にとって正しいと思ったからやったんでしょ?それなら問題無いんじゃない?過去は過去、今の自分とは違うって割り切らなきゃ何も出来なくなる。ま、余程人としての道を踏み外さない場合に限るけど」
そう言うとメリッサは我慢できなくなったのか、ウェイターを呼び寄せてフィッシュアンドチップスが欲しいと頼んだ。
「…はい、これでおしまい!仕事以外で頭使うのって苦手だからやめてよ。ほら、早く頼まないと」
注文を承ったウェイターが一礼して立ち去ると、メリッサが手を叩いて話を切り上げる。微妙な気分ではあったが、毒にも薬にもならない答えではなかったのがせめてもの救いだとクリスは思いつつ、気分を違う事に逸らそうと彼女から渡されたメニューを手に取った。
「…ありがとな」
色んな意味も含めて礼をするクリスに対して、メリッサも察していたのか「どういたしまして」とだけ言って窓の外へ視線を戻した。
「ああ何度も済まない、マトンのカレーを一つくれ」
「お、意外と贅沢」
「初任給だ。悪いか?」
先程と同じウェイターを呼び止めてクリスはカレーを頼んだ。冷やかしてくるメリッサに自分の金で払うのだから良いだろうと言い返す。そして、和気藹々な雰囲気を楽しみつつも二人は列車の到着を心待ちにしていた。
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