二章:招かれざる者

第9話 調子に乗るな

「しかし…あんなに怒られるとはな」


 任務から帰還した後、クリスに待っていたのは仕立屋による質問責めと説教であった。こってりと絞られたその時の様子をクリスは思い返しながら、共に馬車に乗っているグレッグに話しかけた。


「が、外套に使っている素材は、希少な種類の竜の皮を加工して作っているんだ。き、危険な存在で中々手に入らない代物だからね…」


 本を読んでいたグレッグはクリスに説明をしながら、しおりを挟んで本を閉じる。御者に伝えていた地区に到着すると、二人は馬車を降りた。グレッグは自身の得物である折り畳み式の大鎌を背中に背負って御者に対価を支払う。その様子を眺めつつもクリスは淀んだ色の空を見て雨が来ないかと不安になりつつ、街に探りを入れるように辺りを見回す。


「よ、よし…それじゃあギルドに行こうか」

「分かった…なあ、そういえばギルドってのは何だ?」


 小切手を渡し終わったグレッグが急ぎ足で自分のもとへ来て、目的地へ行こうと催促する。クリスはそれに頷いて歩き出したが、ふと聞きなれない単語があった事を思い出して落ち着きのない青年に尋ねてみた。


「ぼ、僕達でいうギルドってのは、冒険家や傭兵たちに仕事を仲介するための組合みたいなものだよ。こ、この街のギルドの大半はエイジス騎士団の管轄にあるから、こうやって様子を見に行ったりするんだ」

「ほお…しかし緊張してるのか?」


 ギルドについての説明に関心を寄せていたクリスだったが、やがてグレッグの時折どもる話し方が少々気になった。


「そ、そうじゃないよ?元からこういう癖があるし、あなたと一緒に仕事に行くのが初めてなものだから舞い上がっちゃって」

「…何でだ?」

「元々、僕は大学で民俗学を研究してた。魔術師の知識や文化、行動が人間社会に与えて来た影響について調べたかったんだけど、魔術師については分からない事が多いから難航してて…そんな時に騎士団からスカウトを受けたのが始まりだった。ここなら魔術師に関する情報を色々手に入れられるかもしれないから」


 クリスから緊張を指摘されたグレッグは、彼と並んで歩きながら自分の経歴を語り始めた。


「そ、そんな時にあなたが騎士団に入ってきてくれたんだ。出来れば今後はい、色んな事を聞いてみたいから…なるべく粗相が無いようになんて思って」

「そんなに気負わなくて良いさ。俺の知ってる範囲で良ければ教えてやる」


 随分変わった青年だとクリスは不思議に思った。魔術師を研究対象にするのはまだしも、それだけのために騎士団に入るというのはどう考えてもやり過ぎである。見かけによらずかなりの胆力である事が窺えた。自分のやりたい事を話す彼の顔は妙に生き生きとしており、これらで分かる情熱だけでも彼に裏があるという疑惑を払拭する十分な理由になった。故にクリスはせめてもの親切心から彼に協力を申し出た。


「へへ…ありがとう」


 グレッグがお礼を言った直後、通りかかった店の前でビールを入れた瓶が詰められている箱を老人が落とした。辺りに割れた瓶が散乱し、独特なホップの香りが充満する。黄金色の液体が歩道に染み渡るのを見て狼狽える老人とクリスは目が合ってしまった。


「ギルドはすぐ先だな?後で追いかけるから向かっててくれ」

「わ、分かった」


 予定の時間に遅れるのも悪いと思った事から、クリスはグレッグだけを向かわせて老人に歩み寄る。通行人たちは迷惑そうな顔をするばかりで誰も助けようとはしなかった。


「手伝おう」

「おお…すまんな。あんた騎士か?見ない顔だが」

「俺は新入りだよ」


 割れた瓶を拾い集め、細かい破片の掃除をしながらクリスが老人と話をしている時、店から厳つい小太りの男が小走りで現れた。


「爺さん!荷物の積み下ろしがあるなら俺に言ってくれりゃ良かったのに!」


 額に汗を滲ませている男は心配そうに老人に言うと、労わる様に彼の腰を擦る。


「すまんのお…張り切ってみたが、寄る年波には勝てんようだ」

「無茶せずに中の仕事をしてくれ。あんたもありがとうな」


 老人を店に戻した後、男はクリスに向かって礼を言った。


「俺はトムってんだ。そしてここは俺と爺さんの店。騎士団の人も良く使うからあんたもいつか来てくれよ」


 トムは自己紹介をしながら少々色褪せた看板を指差す。『ドランカー』と洒落た文体で書かれており、その隣には頬を赤らめた男がジョッキを持って笑っている絵が添えられている。


「ああ、時間があれば寄らせてもらう」


 別れを告げてからクリスは再び歩き出したが、グレッグから場所を聞いておくのを忘れていた事を思い出して足を止めた。そして慌ててトムの元へ戻り、この辺りで一番デカいギルドはどこにあるんだと尋ねる羽目になってしまったのである。


 一方、グレッグは目的地であったギルドへと辿り着くと、スイングドアを静かに押して中へ入る。武器を携えた屈強な猛者達でごった返し、掲示板を見て依頼を吟味する者もいれば、仕事など知った事では無いと飲んだくれている者までいる。


「あれが騎士?あんな根暗でもなれるなんて、人手不足なのか?」

「ご主人様~聞こえちゃいますよ~」

「可哀そうだからやめてあげましょうよ?事実であったとしても」


 どこかのテーブルからそんな声が聞こえた。近くのテーブルを見てみると、場に不相応な姿をしている女性達と戯れながら酒を飲んでいる黒髪の青年がこちらを見ながら何かを言っていた。


「別に聞こえても良いだろ」

「権力を持ってる相手にも恐れないなんて流石です…!」


 彼らはそんな事を話していたが、下手に反応すれば事を荒立てる可能性もあるとグレッグは考え、敢えてそのまま歩いて行った。心なしか、奥からクスクスと声が聞こえたのに胸がざわつく。


「グレッグの旦那、こっちですよ」

「お疲れさん、いつもので良い?」


 このギルドを切り盛りしているトーラン夫妻がカウンターへ座る様に言った。武器を立て掛けて席へ着くと、夫人はジョッキに入れたコーラをグレッグの目の前に置いてくれた。


「あそこに座っているのは?」


 あまり気分が宜しくないという風にグレッグは二人に尋ねる。


「最近、他所からやってきたらしいです。しかしこの街の事は馬鹿にするわ、これ見よがしに女を侍らすわ、あんまりこのギルドでも良く思われてないんですよ…なまじ実力もあるから、注意をした奴は因縁付けられて全員病院行き。だ~れも口出し出来ないでいるんです」

「とか言って本当は羨ましいなんて思ってるんでしょ?このスケベ」

「アビー…そ、そんなことないぜ!?」


 事情を説明する店主に対して、夫人がすかさず彼の女好きを非難する。店主が慌てて「女は好きだがそれ以上にお前を愛してる」などと、言い訳になっているのか分からない文句を並べながら落ち着かせようとするのを見て、グレッグは少し気分が晴れるのを感じた。


「しっかし、ホントしけてるわよね。ここ」

「国一番の大きさって言ってもこの程度か~」


 束の間の和やかな気分に水を差すようにして、青年の取り巻きの女達が口々に言い始めた。


「お前達、その辺にしとけ…まあ正しいだけどな。お金は置いておくから勝手に取っ手くれ!」


 そうやって明らかに見下すような言動と共に店を去ろうとした直後、スイングドアが勢いよく開いてそこから現れた体格のいい男に青年はぶつかってしまった。


「ああ、すまなかったな」


 尻もちをついた青年にクリスは一言だけ詫びを入れて手を差し出すが、なぜかはたかれてしまった。仕方なく奥のカウンター席にいたグレッグに軽く手を振った。しかし周囲からは、コケてしまった青年を馬鹿にするかのように小さな笑い声がそこかしこから聞こえ始める。恥ずかしさを隠したかった青年は、立ち上がってから八つ当たり代わりに先程まで自分達が使っていたテーブルを殴って粉砕した。テーブルの支柱がへし折れ、上に乗せていた硬貨が音を立てて散らばった。周囲は静まり返ったが、クリスは特に気にすることも無く悠々とカウンターへ歩いて行こうとする。


「ちょっとあなた!」


 取り巻きの女の一人がクリスの目の前に回り込む。他の者達も逃げられないようにするためかクリスの背後に待機した。


「どうした」

「彼にこんな事をしてただで済むと思ってるの?」


 尋ねたクリスに対して、妙に憤慨している女は、騎士団だろうと容赦しないなどと言いながら銃を目の前に突き付けた。後ろからは他の取り巻き達から命乞いの催促や、口汚い罵声が聞こえてくる。青年はやれやれと溜息をつくが特に仲裁をしたり、手助けに入ったりという様子はなかった。


「…ハハ」

「な、何よ?」

「鈍い奴だ。俺が何の対策をしてないとでも思うか?自分の左手を見てみろ」


 自信ありげに言うクリスの言葉通り、彼女は空いている自分の左手に目をやったが特に何も無かった。直後、クリスは拳銃を持っている腕を掴むと、そのまま足払いで転倒させた。倒れた彼女の腕から拳銃をもぎ取ると、見るからに安物であるそれを付近に放る。遠目で見ていたグレッグも慌てて仲裁に入ろうとしたが、夫妻は彼を掴んで「責任は取るし、面白そうだからちょっと見ていたい」と彼を止めた。


「おい、待てよ」


 何も言わずに取り巻きの女の横を通ろうとした時、青年が強めの声量で言った。


「ホントはこんな事したくないんだけどさ~うちの子に手を出しといてダンマリってのは酷いよね」


 気が付けばライフル銃を携えてこちらへ歩いてくる青年の姿があった。取り巻き達は、自分達の行いを棚に上げて恍惚とした表情で彼を見ている。こんな扱いやすい性格だからこんな男に付いて行くのかと、少しばかりクリスは余計な事を考えてしまった。


「抵抗しない脅し相手が欲しいのか…案山子にでも話しかけてろ」

「誠意って言葉知らないの?力づくで教えてあげても良いけど…」


 馬鹿にしてばかりで一向に謝罪をする気配が無いクリスに対して、青年は悪態をついた。そして銃の先で床を小突いて見せ、せせら笑いながらクリスを見る。


「今だったら、やることやったら許してあげるよ?」


 取り巻き達は発情でもしてるかのように惚れ惚れし、彼に熱い視線を送りながら称賛までしていた。どうやらあの頭の弱そうな雌犬達には、この青年が巨悪に立ち向かう正義の使者として見えているらしい。剣も腰に携行しているようだったが、それでも銃を使っているのは、人間であれば問答無用で殺せると思っているからだろう。クリスは一周回って憐れに思っていた。


「なるほどな、良い靴だ。買ってくれたパパとママに感謝しておけ」

「馬鹿にしてんのおっさん?跪いて謝れって事だよ」

「さっき言っただろ『すまなかったな』って。馬鹿女に関しては先に銃を向けたそいつの責任だ。そうか…お詫びにお菓子が欲しいのか?好きそうだもんな、お前」


 先に仕掛けておいて謝れもクソも無いだろうとクリスは思いつつ、目の前の青年を盛大に揶揄う。苛立ちを隠そうともしない辺りは、やはり青年はまだ子供であった。図星だったのかは分からないが、怒った青年が引き金を引きそうになった瞬間、咄嗟に銃身を掴んで上に向けさせた。天井に弾丸が当たると、二階席で飲んでいた者達はそれに驚いてグラスの中身を零しそうになる。


「これで正当防衛だ」


 クリスがそう言った直後、彼の左拳が青年の顔面を捉える。殴られた衝撃で青年は銃を手放してしまい、後ろへ転げた。ライフル銃自体はなかなか高級品らしかったが、クリスは雑に捨てながら立ち上がろうとする青年に近づいていく。青年は次に剣を鞘から引き抜いて構えてみせた。


「お次はチャンバラごっこか」


 クリスがそう言うや否や、剣を振り回して青年は挑んでくるがハッキリ言えば取るに足らなかった。改めてメリッサのサーベル捌きは非常に洗練された物であったと感心しつつも、クリスは躱すたびに腹や足にカウンターを放っていった。青年は思いの外タフであったが、流石に途中からは反撃も出来なくなっていた。腕の腱をクリスに殴られ、痺れてしまったあまりに青年は頼みの綱であった武器を床に落としてしまう。そして何も出来なくなった青年に向かって、トドメにクリスが跳び後ろ回し蹴りを当てた。


 吹っ飛ばされた青年はそのままテーブルや椅子を引っくり返して地面に倒れ伏したが、クリスはすかさず近づいて青年の顔を掴むと、その顔を自分の方へ向けさせた。


「…喧嘩を売りたいのなら次から相手を選べ」


 恐怖か怪我が原因で気を失ったらしい青年を突き放すと”ご主人様”の心配もせずに震えている取り巻きの女たちの元へ詰め寄った。


「あいつを連れて出ていけ…また懲りずに来るなら、次はこの程度じゃ済まさんぞ」


 そう言ったクリスの気迫は、彼女達に次の来訪でどうなってしまうのかを容易に想像させた。

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