第028話 〈怪蟲飛蜘蛛〉の討伐 3

「そっちへ逃げたぞ! 敵は瀕死だ! 殺せ!」



 エデンの森の中。コータスの町とを隔てる壁付近で、調査クエストにあたっていた数名の冒険者が、手傷を負った飛蜘蛛と遭遇し、それを取り囲むように陣を張っていた。


 冒険者の一人が、足元も覚束ない飛蜘蛛の姿を見て、ぺろりと舌なめずりをした。


(こいつが突然エデンの奥から出てきた時にはビビったが、今にも倒れそうじゃねぇか。くくく。どこのどいつがやったのか知らねぇが、手柄は全部俺のもん――)


 バシュ、と飛蜘蛛が突如視界からいなくなると、冒険者は慌てて周囲を見渡した。


(き、消えた!? 馬鹿な! ……ん?)


 男は頭上に不穏な気配を感じ、恐る恐る上を見上げると、そこには飛蜘蛛の鋭利に尖った足先がすぐ目の前まで迫っていた。


「い、いつの間に――」


 ズンッ、と飛蜘蛛の足先が振り下ろされるその刹那、エデンの奥から一本の剣が飛んできて、足の軌道がわずかに逸れた。


 足先は男の太ももにずっぷりと突き刺さったが、飛蜘蛛は慌てた様子でそれを引き抜き、恐怖に染まった瞳を剣が飛んできた方に向けた。


 そして、自分をここまで追い込んだ幸太郎とチグサの姿を確認すると、慌てた様子でその場から離脱した。


 幸太郎は、太ももに大怪我を負った冒険者に寄り添うと、


「《無限複製》、〈全快薬〉!」


 痛みに悶える男の首を支え、〈全快薬〉を飲ませる。


 その様子を、門の上に陣取った飛蜘蛛は興味深そうに眺めたあと、のっそりと門の向こうへ姿を消した。


 チグサが叫ぶ。


「幸太郎殿! 飛蜘蛛が門を越えたぞ!」


 負傷した男に〈全快薬〉を飲ませ終わった幸太郎は、門に向かって走りながら、


「《空間製図》、転写!」


 門の壁沿いに、木で作られた梯子の製図が浮かび上がる。


「《精密創造》で梯子をクラフト!」


 背負ったリュックから、次々と素材が出現すると、それはたちまち梯子の姿に変わっていった。


 作ったばかりの梯子に飛び移ると、そのまま一気に門の上までのぼりきった。


 そして眼下に広がった光景を見た幸太郎は、その様子に愕然とした。


 冒険者ギルドの職員や作業員たちが、みんな血まみれになって地面をのたうち回っていたからだ。


 再び梯子をクラフトし、コータスの町の中に入った幸太郎は、倒れているマギアを抱え起こした。


「大丈夫ですか!」


「う、うぅ……」


 マギアは片腕を怪我してはいるが、それ以外に目立った外傷は見受けられなかった。


「よかった……。傷は浅い……。安心してください。今すぐ助けます」


 遅れてやってきたチグサは、周囲に倒れている人たちを見て眉をひそめた。


「おかしい……。見ろ、幸太郎殿……」


 促され、幸太郎も倒れている人たちに視線を向けると、チグサが確信したように一言付け加えた。


「ここにいる全員、重傷を負ってはいるが、誰一人殺されていない……」


「まさか……」


「あぁ。奴め、幸太郎殿が重傷者の治療をするところを見て、時間稼ぎに使えると踏んだのだろう」


「ちっ……。あくまであいつの目的はリシュアが持ってる蜜玉ってことか……」


 幸太郎は右手を前方に突き出すと、


「《無限複製》、〈全快薬〉!」


 すると、右手から次々と〈全快薬〉が生み出され、それはあっという間に山のように積みあがった。


「チグサは他の冒険者と協力して、この〈全快薬〉を使って怪我人の治療にあたってくれ! 俺は飛蜘蛛を追う!」


「一瞬でこの量を作れるとは……あいかわらずすごい能力だな……。しかし、治療にあたるのは問題ないが、幸太郎殿はどうする? 奴は負傷しているとはいえ、まだかなり足が速い。普通に追いかけていたら後手に回ってしまうぞ」


「……俺に一つ、考えがある」


「考え?」



◇ ◇  ◇



 エデンの森から、コータスの町をはさんだところにある、『ウォーム・カーネーション』のギルド施設内。


 リシュアは鉢植えの中央にスコップを差し込むと、土を掘り返して埋まっていた種を取り出し、それをじっくりと眺めた。


(これも毒で駄目になってる……。新しい《土壌浄化薬》ならもしかして、と思ったんだけど……)


 リシュアは残念そうにため息をつくと、持っていた種をガラス皿の上に移動させ、ふと窓の外に目をやった。


(幸太郎さんたち、大丈夫かな……)


 その時、バキバキと何やら不気味な音がこちらに近づいてきているのに気がついた。


(なんだろう、この音……?)


 窓のすぐ近くまで移動して、音がする方向に目を凝らす。


「……え?」


 息を呑んだリシュアの視界の奥には、見たこともない巨大な蜘蛛のモンスター、〈怪蟲飛蜘蛛かいちゅうとびぐも〉が、もうすぐそこまで迫って来ていた。


 その姿は傷だらけで、よろよろと足元もおぼつかない様子だった。


 リシュアは咄嗟に、窓からこちらが見えないように姿を隠し、今にも大声を出してしまいそうな自分の口を両手で押さえた。


(な、なに、あれ……。モンスター? で、でも、どうしてこんなところに……。とにかく逃げなくちゃ……)


 リシュアは静かに窓から離れると、そのまま逆側の扉から外に出ようとした。


 だが、蜘蛛がいた方向から、「きゃあああ!」という叫び声が聞こえ、すかさず踵を返し、窓から外の様子をうかがった。


 するとそこには、蜘蛛のモンスターの他に、ポーとマチルダという二人のギルドメンバーの姿があった。


(まずい! マチルダはまだ足の怪我が回復してないから逃げられない!)


 リシュアは慌てて棚の戸を開けると、中に入っていた小瓶を一つ選び、


(目つぶしの薬……。でも、直接相手にぶつけないと効果はない……。だったら――)


 リシュアは窓から外に飛び出すと、


「こっちよ! ほら! こっちに来なさい!」


 小瓶を手の中に隠し持ち、声を張ってモンスターの注意を引きながら、ポーとマチルダがいる方向とは逆側に走り始めた。


 リシュアが自分たちを守るために囮になろうとしていることに気づいたマチルダは、


「だめだ! リシュア!」


 ポーとマチルダに接近していた飛蜘蛛は、リシュアの呼びかけに注意を引かれ、足を止めた。


 そして、リシュアの首にぶら下がっている翡翠色の蜜玉を見つけると、興奮したように眼の色を変えた。


「ドライアドノ――ミツギョク!」


 ポーとマチルダから意識を逸らすことに成功したリシュアは、内心でほくそ笑んだ。


(よし! このまま奴の注意を引き付けて、できるだけ二人から遠ざけてから、この薬で目つぶしをして逃げれば――)


 バシュ、と地面を蹴る音がすると、次の瞬間、遠くにいたはずの飛蜘蛛が眼前に迫っていたので、リシュアは思わず足を止めてしまった。


「ミツギョク……。ミィツケタ……」


 たどたどしい口調でこちらを睨みつける飛蜘蛛に、恐怖で思考力を奪われたリシュアは、とっさに手に持っていた小瓶を地面に落っことしてしまった。


 飛蜘蛛の足先が、グググ、と上へ持ち上げられる。


 たじろぐリシュアの口から、微かに声が漏れる。


「あ…………あ…………」


 そして、飛蜘蛛の足先が、リシュアの胸元目掛けて一直線に振り下ろされる、その刹那。


 キンッ、と鉄が断ち切られるような音が響き、飛蜘蛛の足が綺麗に切断されていた。


「ギィィィィイイイイイイ!」


 飛蜘蛛の悲痛な叫びと、切断面から噴き出した体液がそこら中に降り注ぐ。


 そしてその真っ只中。


 飛蜘蛛とリシュアの間に割って入るように剣を振り切っている、幸太郎の姿があった。


 リシュアは、何が起きたのかをその目でしっかりと見ていた。


 幸太郎が突然空から降ってきて、飛蜘蛛の足に向かって剣を振り下ろしたのを、たしかに見ていた。


「こ、幸太郎……さん?」


 幸太郎は、青ざめた顔をしながらも、それでも笑顔でリシュアを見つめた。


「怪我はないか?」


「え……あ、はい……」


「そうか。それはよかった」


「あの……幸太郎さんは……どうして、ここに?」


「そんなの決まってるだろ――」


 幸太郎は言う。


「――リシュアを助けに来たんだよ」



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