第015話 『エデン』についての情報収集

 馬車に揺られてしばらくすると、ようやく目的地にたどり着き、地面へ降り立った。


 ロロは俺が背負っているリュックの上で寝息を立て、幸せそうにだらだらと涎を垂らしている。


 こいつ、よくあの振動の中で眠れるな……。


 先に馬車を降りたリシュアが、こちらを振り返り、


「お疲れ様です、幸太郎さん。ここが、私たち『ウォーム・カーネーション』の拠点です」


 リシュアが手で指示した前方には、今にも朽ち果てそうな掘っ立て小屋があった。


 木の板を組み合わせただけの、つぎはぎだらけの外壁。屋根に使用されているトタンは、ところどころ錆びて穴が開いている。


 その小屋の前にはこぢんまりとした畑が広がっているが、生えているのはどれも枯草ばかりで、周囲を取り囲んでいる木々も、そのほとんどが枯れて朽ちていた。


「わぁー……。素敵なおうちですねぇー……」


「オンボロですいません……。実は、以前まで私たちは、エデンと呼ばれる森の中に拠点を構えていたんですが、エデンで問題が発生し、しかたなくここへ移り住むことになったんです……」


「問題?」


「立ち話もなんですから、どうぞ中へ」



     ◇  ◇  ◇



 掘っ立て小屋の中に入ると、中はまるで学校の科学室のような様相だった。


 ガラス戸で仕切られた棚に、薬品が入った小瓶やらビーカーやらが敷き詰められていて、部屋の隅に積みあがった木箱からは薬草が顔を覗かせている。


 けれど、どれも状態がよいとは言えない。棚のガラス戸にはヒビが入っているし、木箱に詰められた薬草は先っぽがほんのりと茶色く変色してしまっている。


 広さだけはそこそこあり、俺たちはその一角にある机に腰かけた。


 ちょうどとなりの棚に黄土色をした薬品がいくつも並べて置いてあり、なんとなく手に取ってみた。



〈[B級]土壌浄化薬〉

 土に散布することで、そこから毒を取り除くことができる。



 毒? どういうことだ?


 そのまま〈土壌浄化薬〉の入った小瓶を眺めていると、となりに座ったチグサが小声で忠告した。

「そこら辺の薬品には触れない方がいいぞ。手がかぶれたりするからな」


「マジか……」


 慌てて薬品を元の場所に戻し、小瓶に触れた指先をごしごしと服で拭った。


 対面にリシュアが座り、他のメンバーが俺たちの前にお茶を置いてくれた。


 お茶に口をつけると、香りがしっかりしていて案外おいしかった。


 いいお茶が手に入ったな。あとで複製してロロにも飲ませてやろう。


 ふと、さっき怪我をした者が一人もここへ運び込まれていないのに気がついた。


「あれ? 怪我人はどこへやったんだ?」


「彼女たちはみな、となりにある宿舎に移しました。……ま、そちらもここと同様、オンボロですけどね」


 リシュアはお茶を一口すすると、「さて」と居住まいを正した。


「では、本題に入りましょうか」


 本題とは、つまりエデンのことだ。


 リシュアは続ける。


「さっきも言った通り、私たち『ウォーム・カーネーション』は、元々エデンに住んでいたんです」

「問題が発生して住めなくなって、ここへ移ってきたって言ってたけど、何があったんだ?」


 リシュアは間髪入れずに答えた。


「毒のせいです」


「毒?」


「はい。エデンの中心にある湖の辺りから、土を伝って毒が広がり、木や草は枯れていき、さらにはそこに住んでいた温厚な種族のモンスターたちが一斉に凶暴化し、人間を襲い始めたのです」


「それも毒のせいだと?」


「そうとしか考えられません」


「毒が発生した原因ははっきりしているのか?」


「……わかりません。これまでに二度、エデンを調査するために町でクエストが発注されましたが、一度目の調査では、クエストに携わった冒険者の約三割が命を落とし、二度目の調査では全滅を喫しました。……〈土壌浄化薬〉で土の毒を中和しようとしても、効果はなし。別の土地から健康な土を持ってきてプランターに入れても、翌日には毒に侵食されてしまいます。未だに毒の発生原因すら掴めず、今は許可なくエデンに立ち入ることさえ禁止されているんです」


「『ウォーム・カーネーション』のメンバーも犠牲に……?」


 リシュアは静かに首を横に振った。


「いえ、幸運にもそれはありませんでした。私たちはエデンの中で薬草の栽培を行っていたので、かなり早い時期に毒の被害を被ったのです。そのおかげで、毒でモンスターが凶暴化する前に、エデンの拠点を捨て、ここへ移っていたんです。……とは言っても、今はここの土も毒に侵されてしまい、まともに薬草を育てることはできなくなってしまいましたが……」


 となりで話を聞いていたチグサが口をはさむ。


「だが、ギルドを維持するには金がいる。調合に必要な薬草を自分たちで栽培できないとなれば、危険を冒してでも採取に行かなくてはならない。今日も、〈激高する鎧猪(アングリー・アーマーボア)〉の縄張り付近まで薬草を採取しに行く他なく、結果としてあの惨事を招いてしまったわけだ」


 リシュアは心配そうにため息をつきながら、


「……それにしても、ドライアド様は無事なんでしょうか?」


「ドライアド様?」


「エデンを守護している精霊王のことです。……ドライアド様は人間に対して友好的で、エデンに危険なモンスターが近づかないようにしてくださっているんです。エデンのとなりにある町、『コータス』では、ドライアド様を信仰する人もたくさんいます」


 精霊王って神様みたいな扱いもされるのか……。


 うちのロロとは大違いだな……。


 今もリュックの上でいびきかいてるし……。


「けど、土地を守護してくれてるドライアドがいるのに、どうしてエデンは毒に侵されたんだ?」


「わかりませんが、もしかすればドライアド様の身にに何かあったのかもしれません……」


 ドライアドの守護が消えたせいで、土地が毒に侵され始めたのか、それとも毒のせいでドライアドが弱り、土地が守護できなくなったのか。


 後者だとすれば、少なくともドライアドの守護を打ち破るほど強大な何かが原因ということになるな。


 ……にしても、エデンが毒に侵されていたんじゃ拠点には使えないぞ……。


 ここは新たに《天啓》で別の拠点候補地を見つけた方が安全なんだろうけど……。


「なぁ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


「なんでしょう?」


「エデンを調査した冒険者たちは、みんな毒で死んだのか?」


「いえ、違います。一度目、二度目の調査隊は共に、その半数以上の死体が、全身の血液を抜かれていました」


「血液を抜かれていた?」


「はい。原因は不明ですが、おそらくはモンスターの仕業かと。ドライアド様もきっと、そのモンスターに深手を負わされたのでしょう」


 この辺り一帯の土地を毒で侵し、冒険者を殺してまだ生き続けているモンスター。


 これは相当強力なモンスターってことだよな。


 だったら、倒せばまた魔核が手に入るんじゃないか?


『被害から鑑みれば、A級以上の魔核をドロップする可能性は高いと思われます』


 魔核が手に入ればクラフトの幅が広がる……。


 そのモンスターさえ倒してしまえば、エデンにある拠点予定地を手に入れることもできるかもしれない……。


 それに、困ってるリシュアたちをこのまま放っておくのもなんだしな……。


『警告します。幸太郎様の下心を感知しました』


 し、失礼なっ!


 改めてリシュアに視線を戻すと、白いローブからこぼれんばかりの大きな胸や、保護欲をそそる垂れ目、しっかりした口調ながらどこかきょとんとした表情がミスマッチで、それはそれは可愛らしく見えないこともなかったが、俺には断じて下心など存在しなかった。


 ほんとだよ?


「よし。決めた。俺はエデンに行って、そのモンスターを討伐する」


 チグサがぎょっと目を見開いて、


「な、何を言ってるんだ、幸太郎殿! 気はたしかか!?」


 それにリシュアも同調した。


「そうですよ、幸太郎さん! エデンは危険だから、今は立ち入り禁止になってるって言ったじゃないですか! ……それに、もしもエデンに入れたとしても、幸太郎さんに何かあったら……」


「いやいや、俺はただ、そのモンスターの素材が欲しいだけだから、気にしないでくれ」


「そう言われても……」


「実は今だって、さっき倒した猪の素材がどうなったのか気になってしかたがないくらいなんだ……。やっぱりあとで戻って採集しようかな……」


「えっ? あ、あれはもう、事後処理のクエストを発注するように指示を出してしまいました……。素材は成功報酬として支払われることになっているので……」


「……あぁ、そうなんだ……」


 せっかくの素材が……。


「す、すいません! 幸太郎さんも戦闘に参加したのだから、当然確認するべきでした! 幸太郎さんの取り分はこちらでしっかり用意しますので!」


「いや、そこまでしてもらわなくて大丈夫だって! こっちはエデンの情報が聞けただけで十分だから!」


「で、ですが……」


 リシュアが困った顔をしていると、チグサがドンと自分の胸を叩いた。


「幸太郎殿がそこまで言うなら、エデンの攻略に行く際、私もお供することにしよう」


 リシュアはさらに困ったように眉をひそめた。


「な、何言ってるのよチグサ……。そもそも、あなたは『ウォーム・カーネーション』のメンバーじゃないし、そんな危険なことはさせられないわよ……」


「つれないことを言うな。リシュアには、行き倒れていたところを助けてもらった借りがある」


 行き倒れてたのかよ……。


 リシュアはあたふたと、


「そ、そんなの、三ヶ月もクエストを手伝ってくれてチャラになってるわよ……」


「いいや、命の借りはそんなことで返したことにはなるまい。……それに、私もエデンをどうにかせねばとずっと思っていた。幸太郎殿が行こうが行くまいが、私は一人でもエデンに行くぞ」


「チグサ……」


 リシュアは少し考え込む素振りを見せたあと、俺とチグサの表情をうかがい、諦めたようにため息をついた。


「わかったわ……。これ以上止めて勝手に動かれても困るし……。けど、エデンの攻略に行くと言うのなら、まずは冒険者ギルドの方へ顔を出してちょうだい」


「む? 何故だ?」


「実は今、冒険者ギルドで、三度目のエデンの調査クエストが貼り出されているのよ」


「そうなのか? 初耳だ」


「一度目と二度目の結果が散々だったからね。誰もクエストを受注したがらないの。……それでも、あなたたち二人だけでエデンの攻略に行くよりもずっとマシなはずよ」


「ふむ。たしかに」


「それと、これだけは約束してちょうだい。危なくなったら、すぐに帰ってくるって」


「うむ。約束しよう」


 リシュアがこちらに視線を向けたので、俺も小さく頷いた。


「わかった。俺も死ぬのはごめんだしな」


 特に跡形もなく消し飛ばされるのは二度とごめんだ。


 チグサが、「ところで」と俺に問いかける。


「幸太郎殿は、冒険者ランクはどのくらいなんだ?」


「冒険者ランク? そんなのないけど?」


「……え?」


「……え?」



 俺、ただの無職ですけど、それが何か?



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