第011話 旅立ちの日

「よし。とりあえずこんなもんか」


 部屋の中いっぱいに、直径五メートルの魔法陣をぎっしりと床に描いて、その上には思いつく限りの材料を木箱に詰め込み、魔法陣からはみ出さないように設置した。


「これで当面は《精密創造》の時間短縮ができるな。……にしても、魔法陣一つ作るのに五分も時間がかかるのは考え物だな……」


『お言葉ですが、魔法陣の作成をたった五分で行えるというのは、この世界では驚異的な速さです』


「そうなのか?」


『はい。おそらく、魔導書を書き記した『オリガ・ノイマン』なる人物は、かなり優秀な魔術師だったのでしょう』


「優秀ねぇ……。 けど、魔導書を蛇の頭の中に隠したのもたぶんそいつだろ? 俺はもう少しで殺されてたし、あんまり好きにはなれないな」


 木箱の上に座り、ぱたぱたと足を振っているロロに視線を向ける。


「なぁ、ロロ。ロロは、どうしてあの蛇に食べられたんだ?」


「え~と……? ……覚えてない」


「だったら、どのくらい蛇の腹の中にいたんだ?」


「ずっと……。ロロ、ずっと蛇のお腹の中にいた」


「ずっと……」


 図書館にあった隠し通路の埃の量からすると、それなりに時間は経過してるはずだ……。


 十年とか、二十年……。あるいはもっと長く……。


 その間、ロロはずっとひとりぼっちで閉じ込められてたのか……。


「幸太郎? どうかしたの? 泣きそうな顔してるよ? どこか痛いの?」


 ウダウダと暗い思考に陥っていた俺の顔を、ロロが心配そうに見つめている。


「……大丈夫。ちょっと考え事してただけだから」


「ほんとに?」


「あぁ」


 ロロの頭にポンと手をのせて、


「よし! とりあえず今日のところは町で一泊だ!」


 拳を突き上げて高らかに宣言すると、ロロは目をキラキラさせて、


「わーいっ! お泊りだー!」


「そうだ! お泊りだ! そしてそれから拠点を作る場所探しに入る!」


「おぉー!」


 頭の中で、メーティスの声が響く。


『てっきりここを拠点にするものだと思っていましたが、違うんですか?』


「こんな暗くてじめじめした場所で暮らすなんてごめんだ……。《天啓》! ここから最も近くにある、日当たりがよくて、安全で、拠点を構えるのにふさわしい場所を示せ!」


 胸の前に矢印が表示され、その表面に『歩いて十日』と書かれている。


「『歩いて十日』って、距離のことか……。ある程度離れてるとこんな表記になるのか……。まぁ、わかりやすくていいけど……」



     ◇  ◇  ◇



 翌日の朝。宿屋一階の喫茶店。


「いただきまーす!」


 ロロが大きな口を開けて、おいしそうにパンを頬張っている。


「うまいか?」


「うんっ! とってもおいしいっ!」


「干し肉とどっちがうまい?」


「こっち!」


「そうかそうか。スープもあるからお食べ」


「わーいっ!」


 コーンスープが注がれている皿の縁を指で触れ、パンをもう片方の手で鷲掴みにした。


 これでコーンスープとパンが複製できるようになったはずだ。これからはこれを主食にするか。


 パンを一口食べてみると、硬くてなかなか噛みちぎれず、ようやく咀嚼できたと思えば、今度は乳臭いバターの味が口の中に広がった。


 コーンスープの方も、負けず劣らず酷い味だ。


 どうやらこの世界の料理は、前の世界のものよりかなり味が落ちるらしい。


 こういう時は……。


「すいませーん、ちょっといいですかぁ?」


 厨房の奥に向かって声をかけると、「なんだ?」とコック姿の男が姿を現した。


「このスープがとてもおいしかったので、ぜひお礼が言いたくて」


「何? 俺のスープがうまかったって? そんなこと言われたの初めてだぞ……」


 だろうな。


「いえいえ、とてもおいしかったです。ほら、うちの子もこんなに喜んでいます」


「おいしーっ!」


 コックは照れくさそうに「そうかい? そりゃあ、よかった」と頭をかいている。


「こんなにおいしいスープをありがとう」


 そう言って手を差し出すと、コックはまんざらでもない顔をして手を握り返し、厨房に戻っていった。


『全ステータス値、及び、《三流料理人》を獲得。《完全覚醒》の効果により、《三流料理人》が《神の舌》にランクアップしました』




◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇


〈新スキル詳細〉


  《神の舌》:あらゆる料理を作ることができる。


◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇




 よし。料理スキルゲット。


『《神の舌》を持っていれば、いかなる食材を使った料理でも作ることが可能となり、また、その完成度が飛躍的に上昇します。以前手に入れた《超級鍛治》も同様、剣、鎧、盾を作成する際の完成度を飛躍的に上昇させる効果を持っています。ちなみに、料理も武器や防具と同じく、《空間製図》と《精密創造》を利用して調理工程を割愛することができます』


 おぉ! ……つーか、《空間製図》と《精密創造》って、ちょっと役に立ち過ぎじゃないか?


 この二つのスキルってたしか、服屋の店主が持ってたスキルだろ?


 あの人、実はすごい人だったのか?


『いえ、両スキル獲得時の《製図》、《簡易作成》は、共にそれほど高い技能ではありません。ただし、常人であれば《製図》は約三十年、《簡易作成》は約百二十年の歳月をかけることで、《空間製図》と《精密創造》にランクアップが望めます』


 三十年と百二十年!?


『幸太郎様の場合、その過程を《完全覚醒》の効果で省くことができます。ちなみに、幸太郎様が元々獲得していた《贋作》は、約千年の歳月をかけなければランクアップが望めないものでした』


 千年って……。なるほど。そりゃあ、完全にハズレスキルだな……。


「幸太郎! おかわりっ!」


 ロロはいつの間にかパンもスープも食べ尽くしてしまっていた。


 周囲に人目がないのを確認し、こっそりと皿の前に手をかざした。


「《無限複製》、パン、コーンスープ」


 すると、手の前に青白い光の球体が浮かび上がり、そこからパンが一つ、二つ、三つと、液状のコーンスープが皿の上にぽちゃんと飛んでいった。


「わーいっ! ありがとう!」


 ふむ。《無限複製》は連続使用が可能なのか。


 で、複製したコーンスープを皿の中に飛ばせたように、近ければある程度出現場所をコントロールできるみたいだな。


 それに今の感覚だと、もう少し複製速度も早めることができそうだな。


「ごちそうさまでしたっ!」


「ん? もう食ったのか?」


「うんっ! とってもおいしかった!」


「よし。じゃあ、出発するか」


「これからどこに行くの?」


「俺たちの住む家を探す」


「俺たち? ……ロロも、一緒に住んでいいの?」


「あたりまえだろ。ロロはもう仲間なんだから」


「仲間……。えへへ……。ロロ、幸太郎の仲間……。えへへ……」


 ロロの頭をぐしぐしと撫でて、


「さぁ、行くぞ、ロロ! 俺たちの冒険は、まだ始まったばかりだ!」


「うんっ!」


「……だがその前に、この町に存在する全ての食材を触っていく。これからは毎日うまいもん食べ放題だ。覚悟しろ」


「おぉーっ! 食べ放題っ! 食べ放題っ!」



     ◇  ◇  ◇



 某所。


 全ての木々が枯れ果て、白く変色した幹が地面から幾重にも伸びる山中にて、不気味に蠢く一体のモンスターがいた。


 その足元には、食い散らかされた何十もの人間の死体が無残に散らばっている。


 唯一、自分の両足で立っているのはたった一人だけ。


 それは真っ白な肌に神々しい光を帯びた女性の姿をしていて、服の代わりに植物を体に巻きつけた、『ドライアド』と呼ばれる大精霊だった。


 ドライアドは頭から緑色の血を流しながら、今も死体を貪って成長を続ける禍々しいモンスターを睨みつけた。


(我を目の前に呑気に食事とは、随分舐められたものじゃのぉ……。じゃが、休眠期に入った我の力では、奴に傷一つ負わせられんのもまた事実……)


 全ての死体を食べ終え、満足したのか、対峙したモンスターはゆっくりとドライアドに向き直り、拙いながらも言葉を紡いだ。


「ミツギョク……。タベル……。ドライアドノ……。ミツギョク……」


「我の蜜玉を取り込んで自己強化する気か……。じゃが我とて、このままおめおめとやられるわけには――なぬっ!?」


 まずい、と思った時には、すでにドライアドの体は上下を引き裂かれ、その首元にモンスターの爪が深々と食い込んでいた。


(な、なんという速度じゃ! このままでは体内にある蜜玉を奪われてしまう! ……かくなる上は――)


 上半身だけになったドライアドは、ぐっと喉に力を込めると、その直後、翡翠色に染まった小さな石を、まるで弾丸のように遠方へ吹き飛ばした。


 ドライアドの首元に爪を立てていたモンスターが、その飛ばされた石をぼんやりと眺め、


「ミツギョク……。ドライアドノ……。ミツギョク……」


 モンスターの爪が抜かれたその一瞬、ドライアドは即座に自らの体をツタへと変化させ、それを敵の体中に絡みつけた。


 完全に植物の姿へと変貌したドライアドが、振り絞るように声を漏らす。


「なんとも口惜しい……。我に残された最後の手段が、第三者が来るまでの時間稼ぎとはのぉ……。じゃがこの仕事、エデンの守護者として、命を懸けて全うしてみせようぞ」



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