終章

終章



 ――五年後。


 宗右衛門達の組の師は厳太夫が引き継いでいた。

 団次にという話もあったが、他ならぬ厳太夫本人からの希望があり、それを榊が認め、彼が師となったのだ。


 急な師の交代に、宗右衛門達はとうとう最後まで厳太夫の先輩呼びが抜けなかった。だが、それをその都度注意することは誰もしなかった。厳太夫本人もである。彼らにとっての師は、一番初めの高槻と左近、隼人の三人だと思わせておいてやりたかったのだ。


 厳太夫は立場上は師でありながらも、あくまでも忍術を後輩に教える先輩という立ち位置であり続けた。


 そして、今日はその宗右衛門達が雛としての六年間を終え、学び舎を去る日。


 すでに片付け終わった長屋の部屋を覗く者がいる。



「藤兵衛、終わったかぁ?」

「終わった! 待たせてごめん! 最後に一箇所やっておきたくって」

「じゃあ、行こうぜ。もうあいつら待ってるだろうし」

「うん!」



 廊下で待っていた三郎が、部屋から出てきた藤兵衛の肩へ腕を回す。


 この部屋を使っていたもう一人、宮彦は一年前、家へと戻った。本人は残りたがったが、大人の世話が必要なくなる年頃になったのだからと迎えが来たのだ。子供達は大層別れを惜しんだが、元々里に来た理由が理由だったので、その別れは避けられないものであった。


 今も、文のやり取りだけは欠かさず続いている。最近だと、新しく飼った犬に不知火しらぬいと名付けたとあった。不知火は隼人の子飼いの狼の名で、宮彦も含め、宗右衛門達皆が遊んでもらっていた・・・・・・・・・狼の名である。その名をもらったらしい。


 そのまま長屋の一角を後にして、いよいよ門を出る。


 学び舎を去るとは言え、自分達もそうしてもらっていたように、先輩として後輩の面倒をちょくちょく見にくることになる。


 それでも、一つの区切り、けじめはつけるべきである。二人で振り返り、学び舎の方に一礼した。


 頭を上げると、二人は学び舎に背を向け、石段を降りていく。そして、館に向かう道の途中で脇道にそれた。二人の足は、何度も通った高台――八咫烏達の墓がある場所に向かっていた。


 木々の合間を抜けると、見晴らしのいい高台に立つ大木が姿を現す。


 その大木の下で、宗右衛門に小太朗、利助が二人を待っていた。二人の姿を見つけた小太郎が手を大きく振ってくる。



「おーい!」

「遅い!」



 日が出ており、いつもより暖かく感じるとは言え、冬の寒空には変わらない。予定よりもだいぶ待ちぼうけを食らわされ、利助の堪忍袋の緒は今にも切れそうになっていた。


 自分のせいだからと藤兵衛が謝ると、利助は三郎のせいじゃないならと、すぐに溜飲りゅういんを下げる。その態度の変わりように、今度は三郎がまなじりを吊り上げた。


 まぁまぁと小太朗が間に入り、宗右衛門がこほんと咳払いを一つする。


 すると、それを合図に皆はある石塔の前に並んだ。伊織達の代の石塔である。


 宗右衛門達は、高槻も含め、彼らがすでにこの世にないことを、部の年になってようやく知らされた。その日の記憶は皆、正直曖昧あいまいになっている。いや、頭の中には残っているのだろうが、それを明瞭なものにすることを意図的に避けていた。


 そんな彼らが、今日、この場に集まったのは、ある目的があってのことだった。



「先生。俺達、今日、学び舎を出ました。明日から八咫烏の一員として頑張ります」

「六年間、本当に色々ありすぎってほど色々あったし、楽しいことばかりじゃなかったけど……とっても充実してました」



 左近達へ向けた言葉を宗右衛門、小太朗と順番につむいでいく。


 小太朗の次は三郎である。三郎は鼻筋をかりかりとかいた。



「俺、先生の背中にもたれかかって寝てたの、今でも覚えてて」

「あ、僕も! 僕も先生の左側で寝てた!」

「俺も覚えてる。右側」

「……僕、先生が胡坐あぐらかいた上に頭おいて寝てた……」



 己の恥ずかしい記憶に、藤兵衛は顔を両手で覆い隠す。

 あの時の左近が座っていた位置を考えると、自分はどう考えても左近の腕を持ち上げにいっている。くっついて寝るにしても、他の皆のような場所にすれば良かったと思うが、今更変えられない事実。

 思い出すたび、懐かしく思うと同時に今と同様、もだえるしかない。


 一方、一人話に入ってこなかった宗右衛門に皆の視線が向けられる。



「宗右衛門は? 覚えてないのか?」

「……覚えてるけど、言わなくてもいいだろっ?」

「えーっ」

「それよりも! お前、まだ言い終わってないだろ? 続けろよ」



 布団に入ったまま、左近の服を掴んでいた宗右衛門。


 彼もまた、内心ではあるが藤兵衛同様悶え苦しんでいた。

 懐かしい思い出ではあるのだが、組の頭として、また普段から皆の手本になろうと心がけている身としては、こんな甘えたな自分、絶対に皆に知られるわけにはいかない。


 宗右衛門は語気を強め、三郎に先を促した。



「ん? あぁ、そうだな! えっと、なんだっけ? ……あぁ、そうそう! 今までの俺は、先生達から教わったことを軸にしてきました。でも! 今日でそれをやめます!」

「は? いきなりどうした?」

「なんだなんだ?」



 突然の脱・左近達宣言に、三郎以外の四人は目を丸めた。そんな四人を尻目に、三郎はふふんと鼻を鳴らす。



「俺の軸は! 明日から! 先生達が護ったこの地を、後輩達をさらに護るっていう意思です!」



 三郎は拳を天に向け突き上げ、そう叫んだ。



「さらに護るって、日本語としてあってるのか?」

「さぁ? 祝い酒で酔ったんじゃないかな?」

「あれっぽちで?」

「弱いんだろうな。気をつけろ」



 皆、口々に言い募るが、三郎はそんなの気にしちゃいない。あくまで自分のあり方、抱負を述べたまで。


 唯一噛み付いたのは、利助の弱いんだろ発言にだけだった。どんな内容にしろ、“弱い”は三郎にとって禁句である。


 そんな三郎に引き続き、利助の番となった。


 利助はそれまで三郎を小馬鹿にしていたような表情を改め、きりりと真面目なソレを作った。



「……蝶先生。俺達が以之梅の頃、先生が隠してた春画がなんなのか分からなくって、丁度通りかかられた榊先生に見せたのは俺です。ごめんなさい」

「突然の謝罪!? それも五年越し!」

「今、それ言うか!?」

「いや、むしろ今しかないかなと思って」

「すぐに謝っとけよ!」

「そうしようとはしたんだけどさ。先生、犯人探ししてた時、すっごく怖かったから、なかなか言い出せなくて」

「だからって、今かよ」

「まぁまぁ」



 三郎から利助が引き継いだのは順番だけではなく、突然の宣言もとい告白もであったらしい。しかも、こちらは五年越し。さらに、なかなかの内容の告白である。


 当然、皆もつっこまずにはいられない。特に三郎は。


 先ほどの意趣返しとばかりに言葉を重ねる三郎に、再び小太朗が間に入って止める。ここ数年で、この光景も随分と見慣れたものになった。


 宗右衛門も仕方ないなと肩を竦め、藤兵衛へと目を向ける。



「ほら、最後。藤兵衛だぞ」

「うん。……先生、これ、覚えてますか?」



 藤兵衛が手に持って掲げたのは、折り畳まれた皆の名が書かれた例の紙である。



「皆で今日まで紙を継ぎ足しながら続けていったんです。もう、最初らへんのはぼろぼろになってきちゃってるんですけど。これ、先生達にもお見せしますね。……小太朗」

「ん」



 すでに互いを十二分に知ることができている。いまさら紙がなくなったところで、もろくなるようなきずなでもない。


 彼岸にいる左近達にも届くように、その紙を小太朗がいた火にくべる。その手に迷いは一筋もなかった。



「僕達の、六年分です。たくさん、たくさん書きました。ゆっくりご覧になってくださいね。それと、これ。ありがとうございました。参考にさせていただきました。もう全て頭に入れたので、これも」



 左近が遺してくれていた罠や仕掛けの設計図が書かれた巻物も、その紙と一緒に火にくべた。


 普段は榊の部屋で保管されていたのだが、藤兵衛は時間があるたび、その巻物を盗み見ていた。

 もちろん、榊はそれに気付いており、あえて好きなようにさせていると、藤兵衛は立派に罠作りの腕を引き継いだというわけだ。


 ある時、その設計図は正式に藤兵衛の手に渡った。皆は左近のように罠を量産しないかと肝を冷やしたが、そこは藤兵衛には常識というものがあった。


 それを教え込んだ厳太夫を八咫烏の皆が褒め称えたのも、この件があったからだという。


 全て燃え終わると、藤兵衛は宗右衛門の方を見て、こくりと頷いた。宗右衛門も軽く頷き返す。



「先生方、今度は僕達が護ります。次代の雛を、先輩方と共に。この命、いつか散るその日まで」



 宗右衛門がそう誓いを述べ、左右に並ぶ友の顔を見やる。


 ――そして。



「先生」

「「ありがとうございました!」」



 声を揃え、皆で石塔に向かって頭を下げる。


 その頭が上げられた時、皆の顔には泣き笑いのような表情が浮かんでいた。


 冬は日が落ちるのが早い。これから新たに寝起きする場となる館の長屋にある自室へ、日が暮れてしまう前に着いておかなければならない。


 それに、三年のうちは里内での哨戒任務が主な役目だから、いつでも来られる。


 名残を惜しむ気持ちをおさえ、皆は踵を返してこの場を後にした。



 五人が去ってしばらく。



「利助ぇ。この野郎ぉー」



 誰にも聞かれることのない声が、高台にいるその声の持ち主以外の十六人の耳に入る。


 生者には聞くことの叶わない死者の声。その言葉は恨めしそうではあるが、そればかりではない。ちゃんと笑いも含んでいた。


 冗談まじりに拳を振り上げた青年――蝶は、高台から出て利助の元に行こうとする。



「まぁまぁ」

「落ち着いて」



 それを正蔵と平治が蝶の両側から彼の腕をひき、引き留める。二人の顔にも苦混じりの笑みが浮かんでいた。



「頼もしい子達だな」

「ほんと? 分かる?」

「もちろん。ずっと見てたから分かるよ」



 先に逝った友らにそう言われ、左近と隼人は互いの顔を見合わせる。


 そして、にっと笑った。



「当然だろ?」

「僕達の意思を継ぐ、大切な次代だからね」



 そりゃあいいと、場に笑いのうずが起こる。




 願わくば、いつか戦のすべを必要としない次代を。

 友と肩を並べて年老い、また笑いながら逝ける泰平の世を。

 そして、どうか、どうか、いのない人生を。


 ――最期まで、幸せに。



 彼らがいつくしんだ雛達のために真に願うこと。

 それは、今も昔も、そしてこれからも、ただそれだけであった。


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戦国乱世は暁知らず~忍びの者は暗躍す~ 綾織 茅 @cerisier

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