古来、満月に次いで美しいとされた十三夜月が、夜更けの都を明るく照らす。


 昼間、厳太夫達が行った鍛冶屋の傍に、荒れ果てた貴族の屋敷跡がある。元は平家一門の屋敷であったが、平家滅亡の後、とある公家が所有していた。しかし、数度にわたって戦火にい、現在は外塀と一部の屋敷跡を残すのみとなっている。


 その屋敷跡の庭で、青年が一人、雨水が溜まってできた池の中を見つめていた。その青年の背後に、足音を立てず、同じような背格好の人影が忍び寄る。


 そして、次の瞬間、すっと棒手裏剣が青年の首筋にあてがわれた。薄皮が切れたようで、つぅっと一筋、血のしずくが垂れていく。しかし、青年は微動だにせず、むしろ、口角が徐々に上がっていった。



「待ってたよ、左近」

「待たせたつもりはないけどね、僕は」



 間近に並べられた二つの顔は、鏡写しのようにそっくりである。違うとすれば、それは、それぞれの顔に浮かべられた表情くらいのもの。一方は嘲笑あざわらっているような微笑みを浮かべ、もう片方は無表情ながらも相手に向ける視線が酷く冷ややかである。


 左近は宛がう得物えものを下ろさず、そのままの状態をたもつ。



「なぜ都に?」

「別に。ただ仕事で来ただけだから、そう警戒しなくても大丈夫だと思うよ」

「仕事の話は本当だとしても、あの子達と顔を合わせたのはわざとでしょ」

「まぁ、そうかもね」



 真面目に答えようとしない相手に、左近の苛立いらだちはつのるばかり。得物を持つ手を首から離し、青年から距離を取るために後ろへ飛び退すさった。


 そして、青年もゆっくりと振り返り、左近と相対する。



「どういうつもり?」

「さぁ、どういうつもりだろうね」



 またも答えをはぐらかされ、左近は青年をにらみつけた。

 すると、青年は何が可笑おかしいのか、ふっと笑う。そのまま、今度は青年の方が地面を一りして距離をぐっと縮め、左近の隣に立った。首を傾げると、左近の肩が触れそうで触れない位置にある。



「ねぇ、いい加減帰ってきなよ」

「何回言えば気がすむの? 僕は君なんか知らないし、既に帰る所も別にある」

「あの子達がいる里のこと? さこんせーんせ」



 左近は青年の腕を掴み、再び首元へ棒手裏剣を宛がった。今度はより深く強く。



「あの子達に手を出したらゆるさないから」

「……赦さない、ね」



 左近の声音も数段低いものへと変わる。

 しかし、青年は全く意にかいさず、得体の知れない笑みを続けた。向けられる殺気すら、彼にとっては些細ささいな感情の発露としか感じていないようである。否、むしろ、わざと左近のそういった感情を引き出したがっているようにも見える。


 そして、首元の棒手裏剣を左近の手ごとつかみ、あろうことか、みずからさらに押し付けた。今回左近が持ってきた棒手裏剣は、切っ先以外は持ち主が触れて怪我をしないようみがかれている。掴まれて引っ張られた時に刃先は首筋かられ、今、青年の首筋にあたっているのは丸みを帯びた部分である。それでも、首が圧迫されることには変わりない。


 何を考えているのか分からない青年に、左近のまゆは自然と寄っていく。



「ずるいなぁ。見返りを求めない愛情。それをあの子達はお前からしみなく与えられて。……僕に対しては、何の執着も見せず、一人置き去りにしたくせにね」

「……」



 ここで初めて青年の顔の表情が変わった。微笑みから怒りのソレへ。しかし、それも一瞬の事。すぐに元の微笑みが戻ってきた。



「ねぇ、左近。もう一度言うよ? いい加減帰ってきなよ。僕達で一族を再び一つにしよう。そして、一族の誰もが成し得なかった、仕える者をこの国のいただきにあげるという悲願を果たす。飯母呂いぼろ一族の当主直系の血はもはや僕達双子だけ。僕達がやらず、誰がやる?」



 まるで子供のように目を輝かせ、所詮しょせん見果てぬ夢であろうことを持ち掛けてくる。


 時をさかのぼること平安中期。関東一帯を手中に治めていた平将門が起こした乱の際、青年の言う飯母呂一族は将門側に加勢した。彼の死後、一族は散り散りになり、山陰へ逃れた者達は鉢屋衆、筑波山へ逃れたものは風魔となったのである。また、目立ったものがその二つであるだけで、他にも様々な場所へ逃げおおせた者の子孫達は今もその地で暮らしている。その一族を再び集めることができれば、確かに他所よその大名には脅威きょういとなろう。


 そして、彼と左近がその飯母呂一族の当主直系だという話もまことである。


 左近が八咫烏の里へやって来たのは、よわい五つの頃。

 生家では、双子はみ子であるという理由で存在を秘され、近くの洞窟どうくつに造られた牢格子ろうごうしの中で母代わりの女と共に暮らしていた。

 生まれてすぐに殺されなかったのは、嫡男ちゃくなんに何かあった時の為の替え玉として。それゆえ、左近と青年のすり替えがいつでも上手くいくよう、月に数度は隠れて交流を持たされてもいた。

 この時すでに、生来の賢さが災いしたのか、自分の置かれた状況を左近は正確に把握はあくしていた。

 そこへ八咫烏の者が通りかかり、里へついて行くことを他ならぬ左近自身が了承したのだ。


 青年も青年で、嫡男として厳しいしつけがあったのだろう。段々と左近に酷い執着を見せるようになっていた。

 そんな時だったからこそ、もぬけのからとなった牢格子の中を見て、青年が自分一人置いて行かれたと感じるのも無理はない。


 そして、どうやら、その厳しい躾をほどこした父と母も死んだらしい。青年が、当主直系が自分達だけというからには。しかし、左近は何の感慨かんがいかなかった。



「そんなの、僕はちっとも興味ないね」



 今の左近は、鉢屋も風魔も、もちろん飯母呂一族も関係なく、この身の血肉全てを八咫烏の里へとささげている。



「僕は、僕が決めた道かられるつもりはない。僕が進む道の先に、君が望む道へと進む分かれ道は存在しないよ」

「……そう。それなら仕方ない」



 口では諦めるような素振りを見せているが、今回の話で済むならば、今までに何度も左近の目の前に現れたりしない。そんな相手の言葉をそう簡単に信じられるはずもないし、お互いに忍びならばこそ、息をするのと同じくらい相手をだますことにためらいはない。


 さすがに左近が里にいる間や、一人でない時は接触してこなかったが、左近が一人で任地におもむくようになってから、特に長崎では頻繁ひんぱんに顔を見せてくるほどの執着ぶり。


 本来ならば、ここで終止符を打ちたいところである。しかし、青年にその気がない以上、のらりくらりとかわされてしまうだろう。


 左近は掴まれたままだった手を払いのけた。



「僕ももう一度言うよ。あの子達に、里に何かしたら、絶対に赦さないから」

「……お前は僕の所に帰ってくる。絶対に。それも、自分自身の意思で、ね」

「……」



 青年は意味深な言葉を告げ、にんまりと笑う。そして、そのまま後ろへ飛んだ。



「またね。僕の半身」

《ぼくたちは、ずうっといっしょだよ。ふたごだから、はんしんずつ。ふたりでひとりだもの》



 きびすを返した青年から影が伸びる。左近はその影が伸びているうちに、持っていた棒手裏剣を腹立ちをぶつけるかのようにその影目がけて打ちこんだ。


 この時、左近と青年がどんな表情を浮かべていたのか。それを知る者は誰もいない。当人達だけである。


 そして、どちらの姿も見えなくなってなお、夜空に浮かぶ美しい月は、変わらず辺りを煌々こうこうと照らし続けていた。


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