合議が終わり、伊織達の代は全員学び舎の長屋へと戻った。

 雛用と師用。部屋は違えど、やはり館の方よりもこちらで過ごした時間の方が長い。故に、館の各々の部屋ではなく、こちらの長屋の部屋へ自然と足が向いていた。


 そして、さらにその部屋の中でも、誰が言い出すわけでもなく伊織の部屋へ皆が入っていく。たとえこの部屋の主である伊織自身が後ろから数えた方が早いくらいに後方から来ていたとしてもだ。これに関しては、本人はもう怒る気も失せていた。


 皆、思い思いの所に腰を下ろし、まるで自分の部屋であるかのようにくつろぎ始める。


 そんな中、伊織は左近の前で胡坐あぐらをかいた。



「左近。お前ときたら、なんでそう伝左衛門先輩に突っかかるんだ」

「違うよ。僕は売られた喧嘩をちゃんと買ってあげてるだけ。なんて先輩想いな後輩」

「いやいやいや。売られてないし、買うな。それに、誰が先輩想いだ。こんな後輩、俺は御免だぞ」

「そりゃ、伊織は僕の先輩じゃないから。大丈夫だよ。みんな良い子良い子」

「……はぁー。こういうところなんだろうがなぁ」



 伊織は深い溜息をついているというのに、怒られているはずの左近はいつもの笑みを崩さない。


 少しでいい。ほんの少しでいいから、反省の意を示してくれたら自分の苦労も伝わっているのだと感じ入ることができるのに、そのきざしは一向に訪れる様子はない。


 慣れとは本当に恐ろしいもので、この話は時間の無駄だと伊織が判断するのに、時間はそんなに必要とはしなかった。



 珍しく夜の哨戒任務に誰もあたっておらず、その上、この場に全員揃っている。


 押し付けられた、もとい、順番を回された様々な確認作業の役割分担でもするかと、伊織は皆へ顔を向け、ぐるりと見渡した。

 そして、翁や先輩達にも報告をするために、傍の文机の上から反故ほごになった紙と筆をとり、私が、と記録係を申し出た吾妻に手渡した。



「とりあえず、地形の確認は左近と隼人。健康確認は与一と慎太郎。在庫確認は源太を中心に置くとして。問題は残りをどこに配置するか」



 伝左衛門も言っていたが、罠の数や現状確認は必須。そうなると、製作者である左近はもちろん、左近の目付け役である隼人も地形確認班に回るのは当然のこと。そして、普段は薬ばかりに目がいっているが、医術の心得もきちんとある与一と同じく目付け役である慎太郎は健康確認班。それから、火器を得物としている源太は火薬をよく扱う。ならば、その火薬の在庫確認のついでに他の在庫も見てもらおうという算段だ。

 残っているのは、松の正蔵と蝶、竹の吾妻と彦四郎、梅の兵庫と伊織自身である。


 すると、先手必勝とばかりに、蝶が自ら手を上げた。



「はーい。俺、在庫確認がいいでーす」

「そうか。なら、蝶は健康確認な」

「なんでや!」



 蝶はその上げた手を拳に変え、そのまま床にダンッと振り下ろした。さらに、よよよと泣き崩れるようにそのまま上半身を伏せてしまった。

 地形確認も健康確認も、こういう時に限って趣味に走る面子めんつ、そして仕事の重労働具合と、絶対に嫌だったからこそわざわざ立候補したというのに。これはあんまりだと嘆く声が止まらない。


 しかし、伊織も伊達に何年も彼らの相手をしていない。左近や与一相手だとなかなかの後手に回らされるが、他にはそう引けをとらず、ましてや無情にも逆手をとる始末。


 蝶の渾身こんしんの叫びは聞き届けられることはなく、吾妻によって淡々と名を慎太郎の横へ書き連ねられた。



 そんな子供のように駄々をこねる蝶とは違い、吾妻は隼人や慎太郎と同じように目付け役としての自分の役割を十二分に理解していた。


 筆を走らせていた手を止め、吾妻は伊織の方に目を向ける。



「私と彦は、というより彦は外のほうがいいでしょうから、二人とも地形の確認で」

「そうだな。彦……は、異論がありそうもないな」

「おう!」



 逆さまになった彦四郎が、伊織の問いかけに、にかりと笑う。


 吾妻が座っている所の少し後方で逆立ち腕立て伏せをしている彼は、正直話を聞いていたかすら怪しい。

 ただ、彦四郎は伊織と吾妻の立てる計画に全幅の信頼を置いている。館で開かれていた合議のような場でもない限り、真面目に聞いている時間が勿体もったいないというのが彼の常の言い分だ。つまり、こうやって好き勝手やっているのも、彼なりの信頼のあかしであった。


 残るは、正蔵と兵庫と伊織の三人。


 吾妻が書いてくれた紙を見ながら、伊織があごに手をあてる。



「……正蔵。在庫確認でいいか?」

「うん。僕はどこでも良かったから、大丈夫だよ」

「なぁ、なら一緒に健康確認は? なぁ、なぁ」



 正蔵の横に座る蝶が気力を取り戻し、正蔵と肩を組んですり出す。正蔵も仕方ないなとばかりに苦く笑った。


 この分だと、蝶の勧誘に負けた正蔵が、その性格から遠慮がちに健康確認にして欲しいと言い出すのも時間の問題である。いくら皆揃って仲が良いとはいえ、組も揃って同じなのはもはや二人だけ。そう考えると、自然と蝶に対して甘くなる自覚が正蔵にはあった。そして、それを伊織達も理解していた。


 しかし、理解するのと許容するのはまた別の話である。



「じゃあ、正蔵も在庫確認決定で」

「なんでやって!」



 容赦のない伊織の言葉に、蝶は再び床に突っ伏した。さらに気のせいか、今度は本当に鼻をずずっとすする音が聞こえる気がする。それでも、伊織は話を続けた。



「兵庫も地形の確認で」



 無言で頷く兵庫。


 彼に関しては不安要素をそれぞれ抱え、その対応で手一杯になりかねない二組の補助かつ重要な戦力になるだろう。正蔵と兵庫はどちらがどちらでも良かったが、もしどちらかの補助に回ることになった場合、心優しい正蔵ならば先程の蝶のように簡単に押されてしまう。だからこその、この二人の配置だった。


 本当はもっと人数がいれば良かったのだが、そうは言ってられない。

 こうして皆で集まっている時に、ふとした瞬間、今はもういない同胞の姿が脳裏をよぎる。


 伊織は寸の間目を伏せ、頭を小さく振った。



「お前は?」



 今まで名があがっておらず、残っているのは伊織だけ。


 そんな伊織に、隼人が問いかけながら、入り口の閉まっている戸をとんとんと指さした。そちらに意識を集中すると、誰かの小さな足音が複数個聞こえてくる。努めて呼吸音を消すようにしているが、まだまだ甘い。



「……俺は全体を多少手伝ったりしながら進行具合を確認して、足りないところに手の空いている後輩達を配置する役目だ」

「なるほどな」

「なぁ。俺の最近の扱い、酷なってない?」



 会話に入る蝶も、もちろんそれ以外の皆も、その足音の主達が部屋の外にせまっていることには気づいていた。


 

「で? いつやる?」

「そうだな。早いほうがいいだろう。近いうち任務の予定がある者は?」



 あくまで会話を続けながら、伊織が隼人と左近に指で戸の左右に回れと指示を出す。二人はそれに従って左近が左、隼人が右に回った。



「俺、あるぞ」

「いつだ?」

「五日後だな。十日くらい空けることになると思う」

「なら、三日後にしよう」



 源太の言葉に、伊織が答える。


 伊織がすっと手を上げるのと、隼人が戸に手をかけるのは同時。そして、振り下ろされた伊織の手の合図によって、戸は開け放たれた。



「……」



 そこにいたのは、目を驚きでかっ開いた以之梅の五人組であった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る