群雲のかかる月の夜。


 学び舎から少し下りたところにある八咫烏の本拠地ともいえる館では、里の外に任務に出ていたり、里や山中の哨戒任務に出ている者以外の八咫烏が大広間に集っていた。普段は学び舎の師として学び舎内に留まる八咫烏も、夜の鍛錬がない年の師は下りてきている。しめて三、四十人ほど。


 広間の中央に円になった各代の大将が座り、報告をまとめた紙を床に置いて囲む。主に謀事を考えるのはその大将達で、それ以外の八咫烏は指示があった時その場で受けられるように控えている。そういうわけだから、案が固まるまでははっきりいって手持無沙汰となる。そして、そんな状況で大人しくしている左近達の代ではなかった。


 今回の合議の主軸は例の襲撃事件の首謀者探索任務にあたっている者達からの中間報告。ただ、周りで話していた藤兵衛が出会った幽霊の件が大将達の耳に拾われ、気づけば話題が逸れていっていた。



「しかしまぁ、この学び舎になんて酔狂すいきょうな奴もいたもんだ」

「実際出始めたのはここ数年のことのようですよ。それも、目撃したのはごく一部の仁の年までの雛だけだとか」

「時期外れの肝試し、するか!?」

「しません。彦、座りなさい」



 まるで隼人が狼達をしつけるときのように、簡潔に指示を吾妻に出された彦四郎は、少し不満げにしながらも、大人しく浮かせた腰を再び落ち着けた。


 面白いことがないのなら、自分で作ってしまえ。それが彦四郎の信条らしく、平時においてもそうでなくても常に楽しさを求めている。しかし、そうなると必然的に巻き込まれるのは同じ代と、それから下の代である。

 同じたちである左近と与一が本格的にやりたいと言い出さないうちにと、絶好の間で駄目出しをした吾妻に、もう少しで犠牲となるところだった下の八咫烏達から感謝の視線が投げられた。



「話が変わってしまったようだから、丁度いい。……もっと早くから聞きたかったんだが、お前ら一体何があった? 二人とも、今は学び舎中心の任務だろうに」



 八咫烏の中でも年嵩としかさの男が、与一特製の打ち身薬を肌が見える部分のほとんどに塗りたくっている左近と隼人を見て、呆れたような表情を浮かべて尋ねてきた。最初に二人が視界に入った時は、思わず二度見してしまう驚きよう。

 それもそのはず。今回の薬の色は見た目が少しよろしくない。困ったものだよーと言いつつ、嬉々として塗っていたところを見ると、与一も使ってみたくてうずうずしていたのだろう。そこに飛んで火にいる夏の虫よろしく患者が、それも二人も自分からやって来たのだ。小躍りせんばかりの喜びを隠そうともしていなかった。



「いやぁ。雛達と一緒に体術の鍛錬してたら、つい熱中してしまいまして」

「まして」

「……阿呆あほう。そこまでやる奴がいるか」



 鍛錬自体は決して悪いことではないし、むしろ雛達にも見せてやるのだから褒められこそすれ、叱責されるようなものではない。ただ、物には限度というものがある。

 打ち身だらけになるまで続ける師二人を見て、雛達がどう思ったか。彼らが仕合っている間は手に汗握っていたに違いない。そして、ようやく終わった鍛錬後、すぐさま与一のところに二人を引っ張っていったのだろう。でなければ、左近はともかく、隼人がこうも大人しく与一作の薬を塗りたくられるはずがない。


 あまり心配をかけるなよ、と、釘をさしておくのを忘れなかった。



「先輩方。本題に、戻りましょう」

「あぁ、そうだな」

「悪いな」



 伊織がこれ以上同じ代の失態が目につく前にと、半ば懇願に近い形で進言する。真面目な彼が話を戻したがる理由を、その性格とは別に理解できた他の代の大将達は苦笑いを浮かべ、それに応じた。


 床の上に広げられた紙に目を落とし、真面目な顔つきで思案を再開する。



「これまでのところ、これらの名が団次達の報告で挙がってきた」

「松平……というと、徳川?」

「織田とは同盟を結んでいるはずでは?」



 織田は皇家と持ちつ持たれつの関係であり、その織田と徳川は同盟を結んでおり、破棄されるきざしはない。そのため、おおやけではないにしろ皇家の臣下である八咫烏を襲撃するとは考えづらい。

 しかし、考えづらいことでも起こり得るのがこの時代。同盟破棄や裏切りなど、別段珍しくもない話なのである。



「どこも一枚岩ではないということだろう」

「雑賀衆だとすれば、織田に流した情報の報復、でしょうか」

「かもしれん。しかし、決めてかかるにはまだ時期尚早だろう。翁はなんと?」

「同じように。それと……」



 この合議に所用で同席できない翁の元へ、事前に報告しに行った男がにわかに口籠くちごもった。その男に、皆の視線が寄る。



「それと?」

「彼れを知らず己れを知らざれば、戦う毎に必ずあやうし、とのことです」

「これは……耳が痛い」



『敵も味方も知らなければ、何度戦っても必ず危険にさらされるだろう』



 中国最古の兵法書『孫子』の中の『謀攻』の一説である。


 その一説を翁が持ち出してきた意味を、すぐに皆も理解した。



「一度編成を見直すのも良いかもしれんな」

「そうですね。一年毎のあれを早めてもよいかもしれません」

「あぁ」



 伊織の進言に、他の代の大将達も頷く。


 ちなみに伊織の言うあれとは、問題のある地形の総ざらいと、現在保有している物資の在庫確認。そして、一番重要なのがそれぞれの健康確認である。本来なら年が変わり、任務が入らない三が日の終わりのすぐ後に行われ、今年もすでに行われている。ただ、先の襲撃の影響で特に物資の在庫が大きく変動しているのも事実。



「山中や学び舎の中の、罠の仕掛け場所や内容を見直せって意味もあるんだろう」

「いやいや、そんなことありません。先輩、穿うがちすぎですよ」



 伝左衛門が左近にちろりと目を向けると、左近がその挑発に乗る。それで伝左衛門の短い導火線に火がつき、瞬く間にあっけなく爆発した。



「いぃや! 戦力も大事だが、より俺達が知るべきなのは、お前が辺り構わず作っている罠の方だ! この間だって落ちかけた奴がいたんだぞ!」

「先輩。耳元でうるさいですよ」

「なんだと!?」



 この手の話題になると、いつもこうなる。


 また始まったと呆れるしかないが、いくら今回は翁がいないとはいえ、場はわきまえさせなければならない。 



「伝左衛門、左近。二人でじゃれ合うな」

「……」

「「申し訳ございません」」



 自分達よりも数代も上の八咫烏にとがめられ、揃って頭を下げる。とはいえ、二人とも渋々感は否めなかった。



 奇襲をかけ易い夜が段々短くなってきた上に、その夜は今夜はまだまだこれから。山中を哨戒している八咫烏が少なからずいるとはいえ、あまり学び舎を空けておくのもよろしくない。


 合議は大詰めを迎えようとしていた。



「とりあえず、襲撃者である疑いがあるところに関しては、三日後には中に入り込んでいる奴以外は交代することになっている。そいつらが別視点での情報を固めた上で、もう一度話し合うとしよう」

「例のあれはどうする?」

「そうだな。……伊織。お前らの代が主導となって行え」

「え? 俺達の代がですか?」



 代表とはいえ、その中にも年次はある。決定事項とばかりに告げられた一言に、伊織が少々不安げな声を漏らした。そして、自分達の代が揃っている方へ目を向ける。そして、唐突にそう言われた理由の一端が理解できたとばかりに複雑な表情を浮かべ、また目線を戻した。



「ほとんど里にいないんだ。全員が帰ってきている時くらい働け」

「は、はぁ」



 それもあるだろう。

 なにせ遠方の長崎が任地であった左近に至っては、本当に正月くらいしか戻ってこなかった。それも、翁からの指示があってようやく戻る始末。


 しかし、それだけが理由ではないだろうとも、伊織は考えていた。



「それに、一番消費しているのもお前達の代だからな」



 先程の飛び火とばかりに伝左衛門が伊織に告げる。それを聞いた伊織は、やはりそれもですか、と、がくりと肩を落とした。



「なんだ、伝左衛門。こいつらにそんなにからみたいなら、お前達の代も補助にまわらせてもいいんだぞ?」

「な、なんでもありません! この馬鹿は何も言ってませんから!」



 伝左衛門の両脇にいた彼と同じ代の八咫烏達が、急いで彼の口をふさぎ、慌てて床に組み伏せた。

 何が楽しくてこの問題児達の相手を務めなければならんのかと、必死になって悪い顔をする先輩達に訴える。



「そうか」

「あははは……はぁ」



 ようやく解放されると、背を向けた先輩方からは見えないところで、伝左衛門は同朋どうほうに小突かれていた。


 そして、その一方で仕事を回されることが決定した伊織達の代の面々は、今、なかなかに不満そうである。本来なら一年に一度の仕事は持ち回りで、自分達の番が来るのはまだ当分先のはず。その時まで皆生きていられるかどうかは分からないが、その時はその時で割り切ってもらうしかない。



「なーんで僕達が」

「まぁまぁ。先輩方からの指示だから仕方ないよ。頑張ろう」

「えー」



 与一が慎太郎の背にもたれかかり、小さく不満を漏らす。すると、その隣に座っていた正蔵が苦笑交じりに取りなした。それでも面倒くささが勝っていた与一だったが、健康確認があることも思い出したのか、途端ににこにこと怪しげな笑みを見せ始める。



「……またか」



 揺れる与一の身体に、慎太郎は指示とは別に、“与一を止める”という仕事がまた増えるのかと、確実にやってくるであろう自分の未来を予見していた。


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