第二章―忍びの術と侵入者
い
左近と隼人の部屋で
各地から襲撃者と
子供達への指導方法だが、高槻が残してくれた日誌と数日間一緒に過ごした様子から、左近は実践形式の講義に比重の重きを置くことにしていた。不幸中の幸いともいうべきか、今この学び舎には自分達の代が全員揃っている。これを利用しない手はない。
手が空いていそうな者を見つけては、以之梅の部屋へ連れて行って講義をしてもらえるよう手を回していた。
今日もまた、朝食前に声をかけた吾妻の講義がこの後行われることになっている。
吾妻の得手は味方にすら気づかれないほどの
吾妻が指導するとあって、同じ食堂に居合わせた後輩達からも一緒に指導を受けたいという声もあがったが、左近は許可を出さない。決して広いわけでもない部屋に次から次へと来られても困るし、なにより以之梅達の講義なのだから彼らが優先されるべきであろう。
ずるい、だの、えー、だの、出てきた非難めいた言葉は、左近がそっと取り出した小型の絡繰り人形が封じた。というのも、その人形を目にした瞬間、大半がその場からそそくさと立ち去ってしまったのだ。
真夜中の暗闇、
左近は無事に以之梅のための時間を確保すると共に、先輩の決定に対して文句を垂れるという礼を失した後輩達により効果的な仕置きを行い、一人満足そうに笑いながら以之梅の部屋へと歩いていった。
以之梅の部屋では今か今かと楽しみに待つ子供達が、机を早々に退けて待っていた。
左近が簡単に吾妻の紹介をすると、子供達は知っていますと声を揃えた。どうやら左近の時同様誰かから吾妻のことをすでに聞いていたらしい。
特に利助は、吾妻が長屋の自室に寄って持ってきた衣装の束をまじまじと見ている。
それではまず実演からと、今日は山中の哨戒をしている隼人が出発する前に準備していった
「変装って言っても、ただ服装を変えるだけでも見た目は違って見えるんだよ。はい、山伏」
「おー」
「町人」
「おー!」
「
「おー!!」
「すごーい!!」
左近の言葉に合わせ、それぞれ衝立の後ろから前へ回り込むように着替えては出てくる吾妻に、子供達は手を叩いて喜ぶ。まるで大道芸を見ている気にでもなっているのだろう。
左近も隼人も一人前の八咫烏の忍びである以上、変装は問題ない程度にできるが、ここまでの早替えはできない。
「ありがとう。吾妻」
「これくらいなんてことはないですよ。丁度手が空いていましたし」
普段着に戻った吾妻に左近が
「あ。あと、声もお願いしてもいい?」
「構わないよ。どうかな?」
吾妻は声だけでなく口調まで左近のものを模写してみせた。
「あっ! せんせいのこえだ!」
「和泉先生の声はもう何回もやっていますから」
驚いて声をあげた三郎が左近の方を見てくる。どうやら腹話術ではないかと疑っているらしい。その疑いを晴らすべく吾妻と同時に声をだすと、三郎は言葉にもならないほど興奮したのか、拳を握りしめ、その場で早めの足踏みをし始めた。
「前にも言ったこと、覚えているかな? 相手のことをよーく見て聞いて、観察するんだ。変装は、特に誰かに似せる変装や変声は、その観察する力がすごく大切だよ。分かったかな?」
「「はーい!」」
その上、観察する力は変装だけでなく、情勢を正しく見抜く力ともなる。訪れた土地の、常とは異なる小さな変化。それをいかに多く拾いあげ、報告できるかで最終的な判断が変わることも大いにあり得るのだ。
「変装をすることが多いのは、
「今日は、皆には機会的に多いだろう物売りに変装してもらうから」
「服はそのままでいいので、この棒を
町などでよく見かける魚や野菜などの振り売りをしている者への変装は、難しい知識や技術を必要としなくてよいので、変装としては初歩中の初歩。まだやったことがない子供達が練習するにはもってこいの職である。
しかし、吾妻の見事な変装術を見た後では子供達がそんなもので満足するわけもなく。
「えー。こむそうやってみたーい!」
「だいどうげいにんー」
「さるがくしはー?」
それなりの技術の
しかし、振売りはあくまでも変装術の基本。基本をおろそかにしては応用もなにもない。
「それはまた後日。君ら、教えたら実践してみたくなるでしょ?」
「え? えーっとぉ」
「はやくじょーずになりたくて」
「えへへ」
左近の的を射た言葉に、子供達は誤魔化し笑いを浮かべてごにょごにょと言葉を
そんな子供達を見て仕方ないなと苦笑する左近に、棒を持って待っていた吾妻が任せてくださいと小声で
「物売りとて、立派な情報収集の要ですよ。むしろ、様々な場や人の輪の中に潜り込める物売りこそ最重要かもしれません」
「かなめ」
「さいじゅうよー」
「自分が
吾妻の言葉を聞いた子供達は、次々に吾妻が持っている棒を受け取り始めた。
吾妻が言ったことは決して嘘ではない。嘘ではないが、子供達をやる気にさせる言葉の選び方、会話の運び方が絶妙であった。さすがは吾妻。変装の腕もさることながら、人の心の内を読み取り、その人にとってその時々で最も耳に心地よく聞こえる言葉をかけることにも
まんまと吾妻の口車に乗せられた子供達に、左近は口元から漏れる笑みを手で押し隠した。
「さかなはいりませんかぁー! さっきとれたてのさかなですよぉー!」
「あっ! おれも! ……おやすくしときますよー!」
「おくさん、そのさかなはすづけにしてからたべるとおいしいですよ」
元気に振売りの真似を始める子供達。
利助に至っては元々変装術そのものに興味があったからか、自分が持っている知識を小出しにする見事な順応っぷりだ。
「お見事」
「本当に純粋な子達ですね。人の言葉をぽんぽん受け入れられる」
「単純って言葉にしないのは君の優しさ?」
「雛相手ですから。それに」
「あー。彦四郎」
「はい。彼が同じくらいの時もこんな感じだったので、つい懐かしくなってしまって」
「いや、今でもこんな感じな気がするけど」
「まぁ。言葉の裏は考えられるようになってますから」
同じ組同じ長屋の部屋であった影響で、彦四郎と一緒にいることが多い吾妻にとって彦四郎は、同い年ではあるけれど、手のかかる弟のような存在。そんな裏表がない彦四郎も、さすがに成長するにつれ相手の言葉には注意できるようになっていた。
ただ、それでは彦四郎が単純であるという言葉を完全には否定しきれていない。
それが吾妻自身も分かっているからこそ、簡単な
左近と吾妻が二人で話していると、後ろからくいくいと服を引っ張られる。
振り返ると、藤兵衛がこちらを見上げていた。
「あ、あの」
「ん?」
「せんせいたちがおきゃくさまになってください」
「あ、つぎ、おれー!」
「ずるい! おれもおれも!」
「じゃあ、ぼくそのあとー」
藤兵衛が恐る恐る口にした言葉に、他の子供達も遅れてなるものかと乗っかっていく。左近は振り子のように左に右にと揺さぶられ、危うくたたらを踏みそうになった。
「はいはい。順番ね」
「逃げないですから、そんなに引っ張らないでください。机をどかしているとはいえ、危ないですよ」
「「はーい!」」
結局、この日の変装術の講義時間は予定を大幅に超過し、隼人が動物達の餌やりを終えて戻ってきた夕暮れまで続けられた。
子供達のやる気が上がることはよいことだ。けれど、上がりすぎるのもよくはない。そのことを左近が身をもって学ぶことができた一日となった。
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