第一章―雛の微笑み



 高い漆喰塀しっくいべいに囲まれた学び舎の、正面にしかない門を久方ひさかた振りにくぐる。すると、石畳の向こうに山城を彷彿ほうふつとさせる学び舎が見えてきた。


 左近がこの学び舎での生活を終えたのは、十三になる年で、およそ六年前。

 それからは今までの先達が辿たどってきた通り、学び舎を含めた里周囲の哨戒任務や、上の代の八咫烏と組んで近地での任務をこなしてきた。

 そして、一人前として認められる十六の年を迎え、一人で任務に出ることを許されるようになってからは長崎など遠地にも向かうようになり、里をほとんど留守にしていた。



(……こんな形で、学び舎ここに戻ってくるなんて)



 かつての師が使っている部屋へと続く廊下を、記憶を辿たどりながら歩いていく。存外、まだ覚えていられるもので、迷いもせずその部屋の前に着いた。部屋の前で腰を落とし、跪坐きざで控えた。



「先生。和泉いずみです」

「あぁ、戻ったか。入れ」

「はい」



 静かに戸を開けると、師であるさかきが何やら紙に書きつけているところであった。頭を一度軽く下げてから中へ入り、そのまま閉めた戸の前に腰を下ろした。



「翁から話は聞いている。以之梅の連中は任せたぞ」

「はい。……その、先生。間に合わず、申し訳ございませんでした」

「いや、任務で遠地にいたのだ。仕方あるまい」

「ですが。もっと早くに情報をつかんでいれば」



 今さら悔いたところで何が変わるというわけではないが、左近はそう口にせずにはいられなかった。


 学び舎を出たものの、一人前の八咫烏として認められる四年目に満たない齢十五までの者達が学び舎の周囲を。任務が割り当てられていない非番の八咫烏達が里の周囲を。雛達に忍びのいろはを教える師達が学び舎内を哨戒しょうかいを。


 そこまで念には念を入れていたからこそ、雛全員無事であったのだ。



 大名達が群雄割拠する、この戦の世。

 いくつかの領地で何やらきな臭い動きが見られるということで、動ける中でもそれなりの者達を間者として向かわせていた時に起きた突然の襲撃事件。



(その武将達の策だとして、各地に散らばせ、集団からそれぞれ個にして手薄な時をねらう。戦術として確かに間違ってはいない。けれど……)



 次々にいてくる怒りが、身体を巡る血潮を、瞳を、逆に冷えさせる。


 しかし、その瞳の仄暗ほのぐらい影色は瞬きの間にすっと隠れた。廊下の向こうから、この部屋に向かってきているのであろう軽快な足音が聞こえてきたのだ。左近の予想通り、それからすぐに足音が部屋の前で消えた。



「「しつれいします!」」



 まだ幼い子供二人組が、榊が許可を出すのも待たず、ひょっこりと顔を覗かせた。やれやれと頭を振る榊を意に介す様子もなく、とことこと小走りで榊の元にやってくる。

 


「せんせー! きのうのかだい、もってきましたー!」

「あれ? おきゃくさまでした?」

「……あっ! あっ、あっ!」



 利発そうな顔つきの少年が、慌てた様子で頭をさっと下げてきた。

 不思議そうに小首を傾げていた少年も、慌てて横にいる友にならった。けれど、その顔は、まだ何がなんだか分かっていなさげである。



「丁度良かった。宗右衛門そうえもんは顔を知っていたようだな。彼は長期任務に出られた高槻先生の代わりで、明日からお前達を受け持つ和泉いずみ左近先生だ」

「えっ! ……ほ、ほんとですかっ!?」

「あぁ」

「わっ! わわっ!」



 榊と左近の顔を交互にせわしなく見る少年の顔は喜色に満ちている。



「ね、ね。さこんせんせいって、あの、さこんせんせいかな? あの、わなづくりがじょうずだって、せんぱいたちがおっしゃってた」



 どこか夢心地な友のひじを小突いた少年が、小声でそっと耳打つ。といっても、その小声は子供の感覚での小声で、その実、たいして小声にはなっていない。榊にも、もちろん左近にも筒抜けである。



「上手かどうかは分からないけれど、わな絡繰からくりを考えて仕掛けるのは得意かな」

「……っ! や、やっぱり! ほんものだ!」

「ほら、お前達。ちゃんと挨拶あいさつをせんか」

「お、じゃないっ。わ、わたしは、いのうめのそうえもんです!」

「おなじく、こたろうですっ」

「うん。よろしくね、二人とも」

「「はいっ」」



 ちゃっかり隣に腰を下ろした二人の頭を、左近が両手をばしてでてやる。すると、二人とも一瞬きょとんとした後、どちらからともなく、くすぐったそうな笑みを見せた。


 浮かべた笑顔に真意を隠し、左近はじっと二人のことを観察した。



(……この笑顔、作られているものではない、か)



 二人の言動を鑑みて、きちんと子供らしく・・・・・数多あまたの翼で目を覆われていたのだろう。


 

 ――以之梅など幼い雛達には、襲撃の事実はあれど、返り討ち、被害も建物などの破壊のみだと伝えてある。

 


 翁からは、そう聞いていた。


 幸い、里出身の雛の親で、命を落とした者はいない。襲撃にったという恐ろしい想いは残るだろう。だが、葬式にさえ出なければ、その先にある別れを彼らが知ることはない。


 いくら明日、命を落とすことになるやもしれぬ世の中とはいえ、この里、この学び舎で、数多の親鳥達に護られるうちは、紅に染まる敵も味方も見せはしない。甘さと取られるかもしれないが、こんな世であるからこそ、だ。見ずにいても許される間は見なくていい。どうせいつかはそれと隣り合わせになるのだから。



 子供達の様子を探る左近に、榊も気づいてはいるが、何も言わない。


 雛の心の安寧。それを求めるのは八咫烏のさがともいえるものだからだ。自分も左近の立場ならば、寄ってきた雛達の様子を悟られないよう探るくらいのことはする。


 しかしまぁ、左近は帰ってきたばかりで、これからやらねばならないことも沢山たくさんある。いつまでも子供達の相手をさせるには、ちと時間が足りそうにない。



「和泉先生と話があるんだが、まだ何かあるか?」

「あっ、いえ!」

「しつれーしましたっ」

「しつれいしましたっ!」



 二人は手を取り合い、もと来た道を引き返していった。


 その足音と先ほど見せてくれた笑みに、大切なモノはまだ手の内にあると、左近はようやく実感することができた。

 まるで春の木漏れ日のように、すさんだ心の雪解けの役割を果たすかのように、子供達の存在がいつもの自分を取り戻させてくれる。



「……元気な、良い子達ですね」

「まぁ、な。ちょいとばかり好奇心が過ぎる所もあるが、……お前達ほどではないし」

「え?」

「いや、こっちの話だ。なんでもない」



 それから残りの雛達の情報や、これから左近が学び舎内で過ごすにあたっての必要事項などの申し送りを受けた。



「そうだ。伊織達も戻ってきているぞ。今、どこにいるかは知らんが」

「そうですか。なら、探しに行こうかな。荷物も片付けなければいけませんし」

「行く途中で絡繰りや罠を仕掛けるなよ?」

「ふふっ。いやいや。さすがの僕も、帰ってきてすぐに仕掛けられるほど準備できていませんから」

「……帰ってきてすぐじゃなかったらするのか。準備できていたら仕掛けるのか」

「あ。僕、もう行きますね」



 場にただよう懐かしい雰囲気に、この後起こることが容易に想像でき、左近は素早く腰を上げた。そして、急いで戸を開け放ち、タタッと戸の裏手まで回る。そのまま軽く頭を下げて、部屋を去っていった。


 榊は文机を飛び越えて追いかけ、戸を掴み……。



「今のお前は指導する側だからなっ! そのことを決して忘れるんじゃないぞっ!」



 廊下の角に消える左近の背へ向かい、あらん限りの声を張り上げた。



「……まったく。相変わらず逃げ足の速い」



 口では悪態をついているものの、その口元には緩やかな微笑がのせられている。


 かつての教え子が、こうして元気に戻ってきてくれたことに、榊は少なからず安堵あんどしていた。



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