第一章―雛の微笑み
い
高い
左近がこの学び舎での生活を終えたのは、十三になる年で、およそ六年前。
それからは今までの先達が
そして、一人前として認められる十六の年を迎え、一人で任務に出ることを許されるようになってからは長崎など遠地にも向かうようになり、里をほとんど留守にしていた。
(……こんな形で、
かつての師が使っている部屋へと続く廊下を、記憶を
「先生。
「あぁ、戻ったか。入れ」
「はい」
静かに戸を開けると、師である
「翁から話は聞いている。以之梅の連中は任せたぞ」
「はい。……その、先生。間に合わず、申し訳ございませんでした」
「いや、任務で遠地にいたのだ。仕方あるまい」
「ですが。もっと早くに情報を
今さら悔いたところで何が変わるというわけではないが、左近はそう口にせずにはいられなかった。
学び舎を出たものの、一人前の八咫烏として認められる四年目に満たない齢十五までの者達が学び舎の周囲を。任務が割り当てられていない非番の八咫烏達が里の周囲を。雛達に忍びのいろはを教える師達が学び舎内を
そこまで念には念を入れていたからこそ、雛
大名達が群雄割拠する、この戦の世。
いくつかの領地で何やらきな臭い動きが見られるということで、動ける中でもそれなりの者達を間者として向かわせていた時に起きた突然の襲撃事件。
(その武将達の策だとして、各地に散らばせ、集団からそれぞれ個にして手薄な時を
次々に
しかし、その瞳の
「「しつれいします!」」
まだ幼い子供二人組が、榊が許可を出すのも待たず、ひょっこりと顔を覗かせた。やれやれと頭を振る榊を意に介す様子もなく、とことこと小走りで榊の元にやってくる。
「せんせー! きのうのかだい、もってきましたー!」
「あれ? おきゃくさまでした?」
「……あっ! あっ、あっ!」
利発そうな顔つきの少年が、慌てた様子で頭をさっと下げてきた。
不思議そうに小首を傾げていた少年も、慌てて横にいる友に
「丁度良かった。
「えっ! ……ほ、ほんとですかっ!?」
「あぁ」
「わっ! わわっ!」
榊と左近の顔を交互に
「ね、ね。さこんせんせいって、あの、さこんせんせいかな? あの、わなづくりがじょうずだって、せんぱいたちがおっしゃってた」
どこか夢心地な友の
「上手かどうかは分からないけれど、
「……っ! や、やっぱり! ほんものだ!」
「ほら、お前達。ちゃんと
「お、じゃないっ。わ、わたしは、いのうめのそうえもんです!」
「おなじく、こたろうですっ」
「うん。よろしくね、二人とも」
「「はいっ」」
ちゃっかり隣に腰を下ろした二人の頭を、左近が両手を
浮かべた笑顔に真意を隠し、左近はじっと二人のことを観察した。
(……この笑顔、作られているものではない、か)
二人の言動を鑑みて、きちんと
――以之梅など幼い雛達には、襲撃の事実はあれど、返り討ち、被害も建物などの破壊のみだと伝えてある。
翁からは、そう聞いていた。
幸い、里出身の雛の親で、命を落とした者はいない。襲撃に
いくら明日、命を落とすことになるやもしれぬ世の中とはいえ、この里、この学び舎で、数多の親鳥達に護られるうちは、紅に染まる敵も味方も見せはしない。甘さと取られるかもしれないが、こんな世であるからこそ、だ。見ずにいても許される間は見なくていい。どうせいつかは
子供達の様子を探る左近に、榊も気づいてはいるが、何も言わない。
雛の心の安寧。それを求めるのは八咫烏の
しかしまぁ、左近は帰ってきたばかりで、これからやらねばならないことも
「和泉先生と話があるんだが、まだ何かあるか?」
「あっ、いえ!」
「しつれーしましたっ」
「しつれいしましたっ!」
二人は手を取り合い、もと来た道を引き返していった。
その足音と先ほど見せてくれた笑みに、大切なモノはまだ手の内にあると、左近はようやく実感することができた。
まるで春の木漏れ日のように、
「……元気な、良い子達ですね」
「まぁ、な。ちょいとばかり好奇心が過ぎる所もあるが、……お前達ほどではないし」
「え?」
「いや、こっちの話だ。なんでもない」
それから残りの雛達の情報や、これから左近が学び舎内で過ごすにあたっての必要事項などの申し送りを受けた。
「そうだ。伊織達も戻ってきているぞ。今、どこにいるかは知らんが」
「そうですか。なら、探しに行こうかな。荷物も片付けなければいけませんし」
「行く途中で絡繰りや罠を仕掛けるなよ?」
「ふふっ。いやいや。さすがの僕も、帰ってきてすぐに仕掛けられるほど準備できていませんから」
「……帰ってきてすぐじゃなかったらするのか。準備できていたら仕掛けるのか」
「あ。僕、もう行きますね」
場に
榊は文机を飛び越えて追いかけ、戸を掴み……。
「今のお前は指導する側だからなっ! そのことを決して忘れるんじゃないぞっ!」
廊下の角に消える左近の背へ向かい、あらん限りの声を張り上げた。
「……まったく。相変わらず逃げ足の速い」
口では悪態をついているものの、その口元には緩やかな微笑がのせられている。
かつての教え子が、こうして元気に戻ってきてくれたことに、榊は少なからず
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