戦国乱世は暁知らず~忍びの者は暗躍す~

綾織 茅

序章

序章



 ――里及び学び舎への襲撃あり。死傷者多数。すぐに帰参を。



「……」



 書かれている文字が流れるように目をすべってゆく。


 一つに高く結った長い黒髪が顔の横に一筋ひとすじはらりとこぼれ落ちた。それを払いもせず、細い一片の紙を凝視し続け――。



 ようやく頭にその言葉の意味が浸透した時。

 中性的で、感情を抑えつつも口元に薄い笑みを張り付けている、数えで十八になる青年の普段のかお。それが次第にゆがんでいき、手にした密書もグシャリと音を立ててにぎりつぶされた。


 もし、この密書が偽物であれば、心理戦に見事勝利したと言えるだろう。

 けれど、これは正真正銘の本物。その証拠に、伝令役にと寄越よこされた使者は青年も見知ったものである。その編み笠の下からのぞく口元も、今は固くひき結ばれていた。



 黄昏時で人通りがまばらとはいえ、人目が全くないわけではない。

 怪しまれぬようあまり間をおかず、その伝令役も去っていった。


 ともすれば震えてしまいそうになる足を叱咤しったしながらきびすを返し、青年は荷物が置いてある宿へと急いだ。




 仕える一族から由来を受け、【八咫烏やたがらす】と名乗る集団。

 彼らは世間一般に“忍び”と呼ばれる者達である。もちろん、青年もその八咫烏の一員で、若手の中でも一目置かれている代の一人でもある。


 その彼が受け取った密書に書かれた【里】とは、言うまでもなく彼らの忍び里。

 そして、将来、八咫烏の忍びとなる子供達を育てる場所が【学び舎】。八咫烏が三本の脚をもつからすの姿として知られることから、任務をこなす前の子供達のことを【雛】と彼らは呼んでいるのだ。



 本来、忍びとは、言ってしまえば、ただの『こま』。を持たず、ただひたすらに与えられた任務をこなすことを求められる。


 けれど、彼らとて『人』。

 懸命に先達せんだつの背に追いつけ、追い越せと頑張る雛達。その姿はかつての自分達。親鳥が自分の雛を大切に護りいつくしむように、彼らもまた、次代をになう雛達を何に代えても護るべきものと位置付けている。雛達が過ごす学び舎を、難攻不落と他の忍び里の間では名高い里奥の山のいただきに作るほど。



 その自分達の後継たる雛達が襲撃にい、さらに死傷者まで出ているという。決して看過できるはずもない。


 早々に集めた情報をまとめ上げ、休む間もしんで里へとひた走った。




 青年が隠密行動をとっていた九州が肥前国――長崎からこの里まで、本来ならば十日あまりかかる。その道中を三日で踏破するという荒業をやってのけた青年――左近さこんは、砂埃すなぼこりに塗れた旅装束を解くこともせず、そのまま八咫烏のおさである老翁が住まう屋敷になだれ込んだ。




「……以上、異国との貿易およびそれに伴う大名の動き、全ての報告にございます」

「あぁ、ようやった」



 翁は左近が報告のためにまとめていた書状にしばらく目を通した後、囲炉裏いろりの火にくべ、燃やし尽くした。そして、そのままいつになくいかめしい眼差しを左近に向け、今回の襲撃被害の全容を語って聞かせた。


 彼ら八咫烏の里はけわしい山のふもとにあり、周囲は池や沼で囲まれた土地。また、学び舎に向かう山道には味方をも恐れさせる罠につぐ罠がある。そして、里から唯一まともに出ることができる道は、彼らが仕える主の膝元である京の都内部へと続いている。つまり、害をなそうとしても、逃げ道は非常に限られているのだ。


 ――しかし。賊はやってきた。


 今回、里の建物や作物、人的被害は驚くほど少なかった。一転、学び舎周辺への被害といえば甚大じんだいなもの。まるで、里そのものは本来、今回の襲撃対象に入っていなかったように思えるほど。唯一の救いが、雛達にその手が及ぶことがなかったことだろう。



(……あぁ、高槻たかつき先生も)



 翁から手渡された紙には、命を落とした者の名が少なくない数並べたてられている。その中に、かつて教えを受けた師の一人の名があった。

 その人はとても熱心で、教え子の事を何よりも大事に思い、行動していた人だった。雛達を守るため、最期まで己の全てを尽くされたのだろう。


 様々な想い出が脳裏に去来し、僅かの間、左近は目蓋まぶたを閉じた。



「戻ってすぐですまんが、一つ、其方そなたに新たな役目を命ずる」

「はい」

「このまま学び舎に留まり、雛達を教育せよ。担当は一番下の以之梅じゃ」

「……私が、教育、ですか?」



 自分が学び舎にいた頃、決して褒められた教え子ではなかったと自負がある。だからこそ、左近は少々面食らってしまった。


 雛は下からの六年。また、それぞれの年で松、竹、梅の三組に分かれ、行動している。

 その雛達のうち、以之梅といえば、年が明けてすぐのこの時期、学び舎に入ってそう経ってもいない。本当にまだ何も知らない、七つまでは神のうちと言われる時期をようやく過ぎた数え七つの子供達。良くも悪くも染まりやすい。


 そんな大事な時期を自分が任されてよいものか。

 学び舎の周囲、山中の哨戒しょうかいや周辺諸国への諜報ちょうほうが任務かと思っていただけに、その手の話は全くの想定外だった。



「そう驚くな。雛達は全員無事だが、避難させる時間を稼ぐため、彼らの師達の多くがその羽を散らした。今、最も実力を持ち合わせているのがお前達の代であることは、わしも含め、皆、認めておる。そこで、お前達を呼び戻し、新たに雛達の師とすることを決めたのだ。よいな?」

「……はっ」



 元来、八咫烏の長である翁の命令に、自分達が否やをげることはない。左近は短く声を発し、その任を拝命した。



わしはしばらくの間、里の外へ目を配らねばならん。学び舎のことは、お前達の担当であったさかきに一任しておる。皆で彼奴あやつに助力するように」

「承知しました」

「話は以上じゃ。他に何かなければ下がってよいぞ」

「はっ。では、これにて」



 翁の屋敷を出た左近は、ひとまず学び舎のある山の入り口を目指すことにした。


 学び舎へと続く長い石階段には、戦いの爪痕つめあとがまだそこかしこに残っている。修復作業をしている同胞達が声をかけてくるのに片手で応え、石階段を駆け上がっていった。

 


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