いみじくも秘すれば

晴れ時々雨

🌿

命の終末を迎えた母が我が家に帰ってきて数日経ったある昼下がり、私を呼びつけてこう言った。

「おまえを後継者とする」

精神が死の狭間を漂っているのかと思ったが、声は威厳に満ち、瞳の焦点は明らかに私を捉えていた。

車椅子に乗せると何やら庭へ出させられた。ドウダンツツジの傍まで来ると手で車椅子の動きを制し、ある一画を掘れという。

これから起こることがろくなもんじゃないと想像でき、正直めんどくさかったが最期の人にそう言えるわけもなく、大人しく従う。

まず用意したスコップを却下され庭箒を所望された。初めから言って欲しい。

落ち葉掃除用の竹箒でそこら辺一帯を掃くと、なんと土の間から金属製の観音扉が出てきた。驚いて母を振り返ると大したしたり顔で頷いている。若干イラついたが先の展開に期待できたためその気持ちを引っ込め、跪いて取っ手を思い切り引いた。錆び付いているのか開かない。すると後ろから鍵が投げつけられた。最初から言え。

だいぶムカッとしたがそれを上回る好奇心が、取っ手の脇にある鍵穴に鍵を差し込ませた。

カツンと軽快な音を立てて難なく鍵はあき、軽々と開いた扉の中は空間になって下に狭苦しい梯子が取り付けられていた。

アゲてくれるじゃないの。

「しかし暗いな」

「中に灯りがある」

気分は少年探偵団だ。

私は恐る恐る暗闇の地下へ降りた。さぞ湿って気色悪い空気が漂っているかと思いきや中は適度に乾燥を保っており、明かりの電源を探すと上から乾いた声で、

「手元のツマミを捻れ」

としたので探り当てた突起を動く方向に回した。

6畳程の室内の天井からぶら下がる白熱電球のランプが灯り、その様子がしらじらと顕露した。

部屋を埋め尽くすレースレースレース。布張りの調度品から洋服まで、様々なレース製の品で溢れかえっていた。シェイドがレース張りのスタンドランプの装飾は見事だったし、角に据えられたトルソーが纏っているドレスなど、身生地と同じ柄のレースが裾口に施され、豪華さは一際だった。しばし見蕩れていると、いつの間にか母も降りてきていた。

「どうしたのこれ」

当然の疑問だった。忘れていたがここは庭の一画の筈である。しかも地中。

柔らかい畝のあるビロードのソファに手を掛けようとすると叱責が飛んできた。

「素手で触るな!」

また後出しか。差し出された白い手袋をはめる。

「母さんがこれを?」

「当たり前だろう」

「父さんは知ってるの?」

ふんと鼻を鳴らし、知るわけないだろうと誇らしげに宣う。

「じゃあどういうこと」

母の武勇伝が幕を開ける。

娘時分からレース好きだった母は結婚を機に一旦その趣味から離れた。それから子育ての片手間に始めた手製のレース編みも限界に達し、年とともに高級既製品からアンティークへと興味が移り始め、出掛けては眺めるのを楽しんでいた。が本物の美しさと繊細さ、それを何百年も累々と守り続けるという信念と気概に忽ち魅了された母がコレクションし始めるのは避けがたい運命だったのである。ということらしい。

「ていうか、ここは何よ」

母は滔々と語る。普段寝たきりのくせにどこにこんな力があったのか、あれは演技かと思うほど力強い語り口だった。

構想と着工まで5年、完成まで実に5年を費やした母の秘密基地がここに実現した軌跡。

「あんたの合宿とお父さんの出張が重なったときがあるでしょ。あんとき初めて工事に入ってもらったの」

小学5年の夏の合宿か。

それから苦節になるであろう5年をかけた建設事業が開始されたわけだ。

盆正月、部活の合宿と出張。確かに何度か体調の悪さを理由に祖父宅への帰省に同行しないことがあった。よくもまあコツコツと。主婦の諦めの悪さと周到さにぞっとしないでもなかった。

「完成いつよ」

「15年前かな」

そんなに。

そういえば母はよく庭の花を植え替えていて、掘り返されて湿った土の跡があった。当時は単なる飽き性か暇人ぐらいにしか思っていなかった。しかし花はいつも植えられていたのだ。

「父さんも知らないってことは、知ってるのは工務店さんだけ?」

「もちろん」

「出来上がってからまさか口封じで殺してないよね…」

「馬鹿言いなさんな」

無表情で言うあたり何となく冷たいものが走り、実母をこれ以上変に疑いたくなかったが思わず唾を飲み込んでしまった。

「お礼を兼ねて毎年お中元差し上げてるの。だから今年、」

装飾品に触れる手が心做しか震えている。

「あーあ!誰にもやりたくねええ!」

そう叫びソファに身を投げる。

「うわーめちゃめちゃ座り心地いい!初めて座った!」

古びていく様さえ美しい椅子の脇の壁に、この場所に似つかわしくない粗末な折りたたみ椅子が立て掛けてあった。


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いみじくも秘すれば 晴れ時々雨 @rio11ruiagent

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