5章 妹の家で一夜過ごします、女装姿で その6

 女装した後の脱衣というのは、いささか奇妙な感じがするものである。

 可愛らしい女性服の下から、男の体が現れるのだから。

 初めの頃はちょっとしたホラー映画でも見ているのかという気分にもなったが、日が経つにつれて次第に慣れてきた。


 洗濯機の中に服を入れて、電源をオン。

 洗剤と柔軟剤を入れる。

 パジャマ用には生流もとい俺からジャージを借りた。

 下着も同様だ。

 しかしそれは無論のこと、男性用の下着だ。愛衣の目に触れたらマズイ。

 タオルの下にぎゅっと押し潰すように隠しておく。

 ウィッグを外し、それも別の場所に隠しておく。風呂上がりに一度お手入れをしなければならず、そのための道具も隠しておく。


 風呂に入る前のブラッシングをしながら、ふと考えた。

 地毛で女装したら、どうなるんだろうか?


 愛衣に兄として接しなければならないからずっとというわけにはいかないが、人生で一度ぐらいはやってみたいと興味がある。

 若い頃にしかできないことは今の内に、という話はよく聞く。

 地毛で女装というのは、そのもっともたるものではないだろうか?

 ウィッグという紛い物ではなく、ほぼ全て天然の、自分の女姿。

 考えるだけで、心臓の鼓動が背中を後押ししようとしてくる。体の内にあるにもかかわらず。


 へくちっ、とくしゃみが出た。

 いかんいかん。まだ夏とはいえ、ずっと裸でいれば風邪をひく。

 夢咲にバカ呼ばわりされるのはイヤだし、何より喉の調子が悪くなったら実況に差し障りが出る。

 というかこんな格好でうろついてて、もしも愛衣が来たらヤバい。

 俺は愛用のブラシを放り、風呂の中に入った。


 久しぶりの愛衣の家の風呂。正確にはマンションの一室だが。

 夢咲のマンションと比べると、やはりいささか安っぽい感じがする。浴室も浴槽も狭いうえに、なんかどことなく殺風景な気がする。最低限の機能性だけ用意しましたぜほいって投げ渡されたみたいな。

 没落貴族――現代風に言い直せば会社を潰した大企業の社長か――ってもしかしたら、こんな気分を味わうのだろうか。

 まあ、だけどこういう窮屈さもなんか懐かしいし、どこかほっとする。

 俺は使いなれたトリートメントとボディソープ、それにコンディショナーを使ってさっと体を洗って浴槽に浸かった。


 ふうと一息。

 熱い湯の名から湯気が上るのを見上げる。

 足が伸ばせないのも、夢咲の家と違う。

 たった一週間か二週間のそこいらで、すっかり向こうの生活に馴染んでいたようだ。

 毎日動画を投稿するってのは最初は大変だと思っていたが、まあなんとかやれている。


 夢咲が言っていた。

 動画投稿者の中で一番ネタに困らないのが、ゲーム実況者だと。

 適当にゲームをしてしゃべっている動画を投稿していけばいい。ゆったりやボイロみたいな系統はまた違うが生声なら、ただ大げさなリアクションをしていればそれなりに成り立つ。


 とはいえだ。

 トップ層はやっぱり違う。

 自分の確固とした持ち味で、ほぼ毎日の投稿を続けている。

 一日に二本や三本、それを越える動画を投稿している猛者もいるかもしれない。


 魔光なんて、そのもっともたる存在だろう。

 あの中二キャラ、圧倒的トーク力。

 視聴者を引き込む世界を瞬時に創(つく)り出していた。

 ゲーム実況者をクリエイターと呼ぶかどうかは頻繁に議論されているようだが、魔光はクリエイターには入らずともエンターテイナーではあるはずだ。


 そんな存在に、俺は肩を並べられる日が来るのだろうか?

 ふと見た鏡の中には、弱気な自分がいた。

 ……いや、ならなければ。

 俺がゲームで食っていくにはもう、実況者以外に道はないのだから。

 湯をすくい、ぱしゃっと顔に打ち付けた。


 と、その時。

 パンパンと、風呂の扉が叩かれた。

 ギョッと見やると、愛衣の影があった。

 当然だ、この家には今、俺と愛衣の二人だけなのだから。


 なんだろうかとドキドキしながら待っていると、仮の名を呼ばれた。

「セリカちゃん、セリカちゃん」

「な、なんでしょうか?」

「あたし、今からコンビニに行くんだけど、何か買ってきてほしいものってあるか?」

「そ、そうですね……」


「あ、下着は忘れてないぞ。ちゃんと買ってくるから」

 さっと顔の血の気が引いていく。

 女性用のものだろう、その下着というのは。なんせ愛衣は、俺のことを女だと思っているのだから。

 買ってきてもらったら当然、穿かなければいけない。


 いやまあ、穿かずに隠すという方法もあるが……どこでボロが出るかわからない。

 ポケットに突っ込んでいたものがポロリ、という可能性だって大いにありうる。

 予期せぬ不慮の事故というのは起こるべくして起こるのだと、俺は数々のラブコメ作品に学んできた。

 俺の生きてきた彼女いない歴=年齢の人生にはラブコメのラの字もなかったが、賢者になるには経験ではなく先達たちの築き上げてきた歴史から学ぶべきである。


 だがそうすると、下着を買ってこなくていい、と答えるに値する理由が必要だ。

 洗濯した下着は脱水した後に乾かさねばならないし……。


「セリカちゃんが気にしないなら、あたしの貸すぞ?」

「――いえっ、買ってきてくださいお願いしますッ!」

 俺は力強い語調で言い切った。

「そ、そうか、わかったぞ」

 ちょっと驚いた様子で、愛衣は承諾してくれた。

 俺はホッと内心で安堵した。


 越えてはならない一線がある。

 そのためには、別の禁断の領域に足を踏み入れる必要がある。


 女装というのは底なし沼だと、今宵俺は知った。


   ●


 風呂から上がった俺は、居間のソファで寝っ転がっている愛衣を見つけた。

 彼女はスマホを眺めている。

「そんな姿勢で見ていたら、目を悪くしますよ」

 俺が声をかけると、愛衣は「はーい」と言って身を起こした。


「なんか、兄ちゃんに注意されたみたいだったのだ」

「そ、そうですか?」

 問うと、愛衣はスマホを見たままうなずいた。

「兄ちゃんもいつも、風呂上がりに同じようなことを言ってくるから」

「ああ、タイミングの話ですか」

 驚きによる緊張がすっと心から抜けていく。

 セリカでこの家にいるのは、本当に寿命が縮まる。自業自得だろうと言われれば、それまでだが。


「何を見ていたんですか?」

「さっきセリカちゃんが見ていたヤツなのだ」

「ああ、『ザ・ランセ』の」

 俺が見ていたものに興味を示したので、URLを送ったのだ。

 その際に使用した、というかさっきから使っているこのスマホは、夢咲に渡されたセリカ用のものだ。まさかこんな形で使うことになろうとは思わなかったが……。


「面白いですか?」

「うん、面白いのだ」

 どことなく上の空といった感じ。よほど熱中しているらしい。


 愛衣の心が自分より真光と夢咲の動画に奪われている。

 そのことに、嫉妬心がむくむくと湧いてきた。


 俺はこっそり後ろから忍び寄り、そして。

「えいっ!」

「わわっ!?」

 後ろから腕を回し、ぎゅっと抱き着いた。

「せ、セリカちゃん!?」

「ぎゅー」

「どうしたのだとつぜん、急に」


 俺は自分でも何やってんだと思いつつも、やめることができなかった。

「ごめんなさい、ちょっと自分が抑えられなくて」

「もー、セリカちゃんって寂しがり屋さんなんだな」

 愛衣は動画の視聴をやめて、回した手をそっと撫でてくれた。


「セリカちゃん、あったかいのだ」

「お風呂上がりですからね」

「それに、いい匂いがするのだ」

「同じトリートメントとボディソープをつかってるはずですけど」

「そうじゃなくて……なんか、ほっとする感じ」

「なんですか、それ?」


 愛衣は眉間に皺を寄せて「うーん」と唸りだす。

 その間俺はすることがなく、かといってずっと抱きしめているのも退屈なので、愛衣の頭をそっと撫でてみた。

 とたん、欠伸を我慢していた猫みたいな愛衣の顔が和(やわ)らいでいった。

「……ふにゃあ」

「あ、猫のままでしたか」

「何がなのだ?」

「いえ。頭撫でられるの、イヤじゃないですか?」

「ううん。もっとしてほしいのだ」

「そですか」

「そです」

 二人して笑い合った。

 普通の女の子同士みたいだな、って思った。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


【次回予告!】


夢咲「二話前にも言ったんデスガ、次回予告を書いてるとたまに『これ本編で使えるかも』っていうのができたりするらしいんデスヨ」

生流「まあ、40話近くも書いてたらそういうのもあるだろうな」

夢咲「だから次回予告の内容が本編で出てくることもあるかもしれマセンガ、あらかじめご了承クダサイだそうデス」

生流「……つまりだ。こういうことを書いてるってことは、今回は何も思いつかなかったってことだな?」

夢咲「かもしれマセンネ……」


生流「次回、『妹の家で一夜過ごします、女装姿で その7』」


生流「まあ今回はも何も、ぶっ通しで書いてるらしいけどな」

夢咲「次回予告だけ後付けなんて、初見の人にはわからないデショウネ……」

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