怪我しているところを助けて二年間一緒に暮らしてきた猫が魔女だった話
沢野沢
プロローグ(前) 猫と家族になるまで
*プロローグは本編前の、猫との出会いと、共に過ごす日常を書いているため、ざっと読んで下さって構いません。この後プロローグ後編と本編第一話もあげますので良かったらそちらもご覧ください。*
「ありがとうございました・・・」
トボトボと、俺、
寂しくなった財布の中身を見てなんともいえない気持ちになる。
やばいな。ちゃっちゃと良いバイト見つけて、稼がないと・・・。
外に出ると三月のまだ冷たい風が強くふき、思わず俯く。
そして、手に持ったゲージに目がいった。
・・・この子も寒くないかなと、動物病院で借りたゲージを抱えて中を覗く。
ジーーっ
綺麗な碧眼が、俺にピントを合わせようと膨らんだり細くなったりと忙しなく動いていた。
この子を見つけた時は興奮していたため威嚇されたりもしたが、今はとても大人しくゲージの中で丸まっていた、
前足には包帯が巻かれており、見た目からは痛々しそうに見えるが、軽い外傷だったようで本当に安心した。
まあ、しばらくは安静が必要だと言うことらしい。
「・・・ナァー」
「ごめんな、しばらくゲージの中でじっとしていてくれ」
何かを訴える様に甲高い声を僕に向けてくる猫に、思わず微笑んで謝ってしまう。
ゲージの人差し指を入れて、ブルーの短毛を優しく撫でる。
硬いようで柔らかい、なんともいえない独特な毛並み。飽きることがないんじゃないかと思えるくらい心地よく感じたが、猫にとってはずっと触られるとストレスかもしれないと感じ、自分を抑える。
「さてと・・・とりあえず、一旦警察行こうか?」
俺はこの拾った野良猫と共に家へと向かう前に、拾得物届出とやらを出すために交番へと歩き出した。
やることがまだまだあるぞと、すでに病院検査で疲れた自分に言い聞かせた。
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ことの発端は一時間半前まで遡る。
短い様で、なんだかどっと疲れた、濃縮された時間だった。
俺は四月から通う大学のために大学最寄駅から二つ行った先の駅近に家を借りた。
実家から通うと・・・通学に三時間はかかるため、家族との協議の結果、一人暮らしをすることになった。
今日は母さんも一緒に来てくれて、せっせと二人で新居の荷物整理を行なったんだ。
朝から淡々と行い、ダンボールの片付けまで終わった頃には午後三時にさしかかっており、母さんは疲れて新しく買った俺のベッドでぐうぐうと寝てしまった。
俺は起こさない様にそそくさと家を出て、最寄駅やスーパー、交番など、一通り生活において大切だと思うところを確認し、その後ブラブラと周辺を探検していた。
そして・・・神社の隅で、怪我をしている猫を見つけたんだ。
「・・・ナァー」
本当に偶然だった。
新居から少し歩いて行った先にとても寂れた、森の奥の方へと誘うかの様に建てられた鳥居を見て興味本位で入って行ったら、甲高い鳴き声が聞こえてきた。
声の主を探してみると、林の中からそいつはこちらを細くした目で見つめていた・・・いや、睨んでいた。
それ以上近づいたら威嚇をされてしまいそうだと感じた俺は、ある程度の距離から猫を見つめた。
最初はあまりに品があって可愛らしかったから神社で飼われている猫なのかと思ったけれど、首輪をつけてはいなかった。
そして、よく見てみると・・・前足から出血していた。
「え?え?どうしよう?」
野良猫が怪我していたらどうすることが正解なのか、俺にはわからなかったけれど・・・無視するわけには行かなかった。
「・・・」
このまま放置すれば・・・人通りも少ないだろうこの神社で、誰にも発見されず、直すこともできず、死んでしまうのだろうか。
それは・・・だめだ。
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「ただいまー・・・」
「あ!来たな猫ちゃん!見せて見せて!」
「あ、ちょっと」
日も沈み、ますます肌寒くなってきたころ。
交番で猫の相談をした後、やっとの思いで俺は新居に帰ってきた。
五階建てマンションの302号室が、これからの我が家だ。
新居にいた母さんは待っていましたと言わんばかりに、俺への挨拶の返しもなしにゲージの中で小さくなっている猫に夢中だった。
あの・・・挨拶は大事だよって、あなたに教えられてきたんですけど?
猫を渡すと母さんは愛おしそうにゲージから猫を取り出し抱きかかえ、そのまままた俺のベッドの方へと向かって行った。
「とりあえず餌あげた方が良いかな?この子お腹空いてるよね?缶詰とかミルクとか買ってきたし、ほら、猫砂もこの通りバッチリ!あ、猫じゃらしも買ったからあとで遊ぼうね!あ、食べてからエリザベスカラーつけた方が良いのかな?」
畳み掛けるように母の口から放たれる言葉の嵐。
猫はと言うと・・・突然の出来事に目をまん丸くしていた。
「いや・・・あの・・・俺らの飯は?」
「もちろん買ってきたわよ。あ、でも今日はこの子のことで忙しいと思ったからお弁当買ってきちゃった」
猫の頭をゴシゴシとしている母を見て、動物病院へ行く前の会話を思い出した。
神社でこの子を見つけ、動物病院に連絡し、野良猫の診察をしてもらえるか確認した後、もしかしたら一旦家にこの子を持っていくかもしれないから母さんにも連絡した。
新居に越してきたばかりでまだバイトも始めていない俺に、母さんはなんて言うか心配だった。
『怪我してる猫拾った!?本当!?大丈夫そう!?すぐにホームセンター行って猫の一式買ってくるから!あ、その前に大家さんにペット大丈夫か確認しなきゃいけないよね!?ちょっと今から確認してみるからまた連絡するねじゃあね!』
ツーツーツーとスマホから流れる会話終了の音を聞きながら、ああ、そういえば母さんはそんな人だったなと、心配が杞憂だったことを後悔した。
「ほら、英介。突っ立ってないでこの子の餌を入れる皿を出してちょうだい」
「はいはい」
言われるがままに俺は狭い玄関で靴を脱ぎ、先ほど荷物整理の時に収納したばかりの皿を食器の引き出しから取り出す。
「ほら・・・たくさん食べて。気に入らなかったら、他の味のもあるから」
受け取った皿に開けた缶詰の中身を盛り付け、机の上に猫を乗せて皿を促す母さん。
優しい声に反応して一度母さんの方を見た後、猫はいそいそと皿に鼻を近づけ匂いを確認する。
「あ!食べてくれた!良かったー。食べなかったらどうしようかと思ったわよ」
一安心した様子で笑顔を猫に向ける母さんを見て、思わず関心してしまった。
・・・今、こうして拾った猫が大きな怪我もなく餌を食べてくれていることは、俺一人の力じゃどうにもならなかった。
まず、治療費。
野良猫でも治療費はかかり、ひどい怪我だったら費用は1万円を越えると言われた時は、自分のお財布事情をとても気にした。家賃は両親が半分出してくれるが、これから一人暮らしをする上でしっかりと自分で稼いで行かなきゃならない。現在の所持金はあまりない中で諭吉が飛んでいくことはいきなり生活に不便が生じることは容易に想像できた。
でも、猫の命には変えられない。
幸いにも軽い怪我ですみ、費用はその半分ですんだが、これが骨折だったりさらに思い症状だったら、いくら諭吉が飛んで行ったのだろう・・・。
そして・・・猫の飼い主問題。
品の良さから飼い主がいるのではと思ったけれど、猫を担当してくれたお医者さんの一人が猫のことを偶然知っていた。数ヶ月前に近くの公園で見て、また別の日に公園から離れた畑近くで見たと言う。そのお医者さんも他の野良猫に比べて品の良さを感じ、どこかの家から逃げ出したのかと思ったらしいが、そう行った捜索届けなどは出されていないようだ。
お医者さんに、まずは動物愛護センターか交番に相談すると良いと言われた。
保護するにしても、届出が必要になるとのこと。
・・・猫が心配でここまできてしまったけれど、怪我を直してもらって、その後どうするところまで考えていなかった。
ここでまたいろんな幸いが続く。母さんが猫のためならと猫の生活用品一式をすぐさま買い揃え、ひとまず俺の家で猫と生活できる環境を整えてくれた。
そして、新居がペット可だったことが本当に良かった。
神社前で、大家さんから壁とかを汚したらお金がかかるけどペットOKと言われたと母さんから電話があり、ことがトントン拍子に進んでいった。
ってか、学生とかが住むマンションでペットOKってまあまあ奇跡だったんじゃね?
仮にこっそりと家で一時的に内緒で保護したとしても、見つかったら追い出されて、大学生活しょっぱなから大ピンチに陥っていたかもしれない。
・・・最初に猫を見つけた時からの行動を振り返って、自分がどれほど後先を考えていなかった反省する。
「それで、この子、飼うんでしょ?」
一人頭の中で自分の行動を反省していると、唐突に母さんが僕に聞いてきた。
いつの間にか、猫は餌を完食しており、母に病院で借りたエリザベスカラーをつけられようとしていた。
・・・猫はめっちゃ抵抗していた。
「え?そうなの?」
「は?違うの?」
「ナァー?」
驚いている母さんに俺が驚いた。
ベストタイミングでエリザベスカラーを嫌がる猫が鳴いたため、まるで僕らの会話に参加しているように思った。
「もしかして、またこの子を野生に返すとか思っていたりした?」
「いや・・・そんなことは・・・最初は思ったけど」
怪我した前足を舐めたりしないためにエリザベスカラーをつけられた猫を見ながら、言葉を濁す。
正直、初めは怪我が治ったら、元の生活に戻すことが一番だと思った。
普通は保護した猫は野生に返すことはないそうだが・・・それで良いのだろうか。
野良猫には野良猫の生活があり、それを突然奪ってしまうと思う。
野生に返すことがこの子にとって一番幸せだとも考える。
だけど・・・この子と一緒にいて、別の思いが浮かんできた。
軽い怪我ですんだけれど、また同じ、いや、もっとひどい大怪我をすることだって今後あるかもしれない。
それが自然の摂理だと言われたら仕方ないけれど・・・猫が大怪我をする大半の理由は、人間による事故が多い。
ここら辺は都心からまだ少し離れているとはいえ、野生、と言えるほどの緑が多いわけじゃない。
そして・・・まだ数時間しか立っていないが、この子に情が湧いてしまった。
人間の、俺のエゴに付き合わせて本当に申し訳ないけれど、せっかくの縁を結んだこの子には、今後大きな怪我をすることなく生きてほしい。
「俺が飼うには、この1DKの部屋は狭すぎると思う。それに・・・さっき自分の行動を反省して、猫を飼うという責任と、養っていくお金が俺にはないと思った。これ以上、母さんにお金を掛けさせるのは申し訳ないし、俺に飼われるより・・・もっと、幸せな場所を見つけられると思う」
自分が思っていることを正直に母さんに打ち明ける。
自分がどれほど無責任な発言をしているかは重々承知だ。
だけど、この子のためになるなら。
「んー、確かに、英介ならそう考えるかもしれないけど・・・そこまでこの子のことを思ってくれているなら、やっぱり母さんは、あなたに飼ってほしいわ」
僕の発言を気にやむことなく、優しい声で主張をしてくる。
エリザベスカラーを付け終えた猫は、嫌そうな顔で机の上に座っている。
「飼いなさいと命令しているわけではないのはわかってね。私のわがままとして聞いてほしいわ。もし、この子を英介が飼うとしたら、新生活が始まってすらいない状況で、この子はあなたの生活に深く影響を与えるでしょうし、何かを犠牲にしなきゃいけないと思う。もし飼うとしたら、私もお父さんもできる限りサポートするけど、限界があるわ。だけどね・・・」
僕の目をしっかりと見て、母は続ける。
「きっとこの子との生活が、あなたを成長させてくれると思うわ」
真剣な表情の母さんに、僕は何もいえなくなった。
昔から母さんはいつもこうだ。
いつもハイテンションで、行動型で、直感的に言ったことが当たる。
そして・・・家族を一番に思ってくれている。
・・・よくもまあ、こんな母親から、平々凡々な俺が産まれてきたな。
「ま!今はまだ保護期間、ということで。これから考えていきましょ!飼うにしても、保護してもらうにしてもなんにせよ、この子と今日から暮らすんだから」
「まあ、そうだね」
湿っぽい話はひとまず終わりと言う感じに、明るい調子の母さんに同意した。
「・・・なぁー」
甲高い声の主の方を見やると、猫は乱雑に置いておいたクッションの上で器用に丸くなっていた。
エリザベスカラーを首元に巻かれていて、なんだか滑稽で可愛かった。
「そうだな。どうなるにせよ、今日から俺の家で過ごしてもらうんだよな」
猫にというより、自分に言い聞かせるように呟きながら、猫の頭を撫でる。
目を細くして、こちらの勝手な思い込みかもしれないが、気持ち良さそうにしている。
その仕草が、とても可愛く、微笑ましかった。
「とりあえず、どれくらいの期間になるかわからないが、よろしくな」
・・・この時、まだ俺は知らなかった。知る由もなかった。
この猫との生活が、予想だにもしない方向へと向かっていくことを。
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