第13話 赤いネタは検閲削除されました(1枚目7日目・6月16日)
梅雨の晴れ間に恵まれ、今日は久しぶりに洗濯物を外に干すことができた。
独り暮らしでは洗濯のタイミングが非常に重要であるが、それが見事に噛み合った。
一方、目の前にあるマスクはタイミングも何もなく、使用すれば毎日洗う必要がある。
初め政府から二枚のマスクを送付するという話を聞かされた時には、
「世帯に2枚の布マスクを配布されると、独り身の私はその寂しさを蒸し返されるのですが、それは……」
というツイートを残したが、この洗い替えのローテーションを考えれば独り身にこそ的確な配布であったように思う。
そのような過去の恥ずかしい話を蒸し返しながら、盥に手を浸していく。
今日も指先の神経を尖らせ、五指の滑らかな動きによってこの純白を洗いあげよう。
さて、今宵は過去の無思慮なツイートを思い出すところから始めたので、そのままマスクにまつわる私の戯言を掘り下げようと思う。
まずは、マスク騒動と甲子園について。
これは言わずと知れた米騒動のマスク版で、品薄かつ高騰しているさまがまさに米騒動と被って見えたが故の所業である。
特に、転売目的で在庫を抱えた人々がいたというのはまさにシベリア出兵を見越して米を買い占めた商人の姿と同じである。
これがパロディで済めばよかったのであるが、残念ながら甲子園大会の中止が現実のものとなってしまった。
マスクの販売業者に対する打ちこわしが起きていないのは不幸中の幸いであるが、あまりに度を過ぎた欲の深さは結果として身を滅ぼしかねないと歴史から学ぶべきであろう。
なお、夏の甲子園大会が中止になるのは戦線の拡大によるものを除けば、米騒動がこれまでは唯一の例であった。
球児たちの青春を奪ったウィルスは果たして責任を負うことができるのだろうか。
それとも、そもウィルスに責任がないとすれば誰が責任を取るというのだろうか。
もう一つは博多マスク舞踏会であるが、これは分かりづらいにもほどがある。
花粉症患者の有志が博多ふ頭に停泊する援助マスクを載せた船に、にわか煎餅の仮面で乗り込み次々と援助マスクを投げ込むというものである。
この援助マスクとは高騰する中で中国に向かうものを指しているのであるが、これまた品のないパロディである。
しかも、その元となった話はボストン茶会事件。
人の国の建国にまつわる話をこのように扱うのはいかがなものか。
我ながら恥ずかしい限りである。
とはいえ、当時のマスク事情というのはそれほどまでに切迫したものであった。
それまで一枚十円もしなかった使い捨てマスクが、その値を十倍以上にしていた時期である。
花粉症の方々はその高値に苦しみながらどのようにするべきか途方に暮れていたのも事実である。
未だにマスク一枚が四十円はするのだが、果たしてそれは原料費の高騰にのみよるのだろうか。
そして、一時の欲に目が眩んだ先にあるものを歴史の中から学ぶことはないのだろうか。
少なくとも、私は首と右手が胴から切り離されぬよう気をつけねばなるまい。
洗い終わったマスクが気持ちよさそうに水から顔を出す。
少々糸の解れはあるが、そのままにしておいたところさほどに大きな変化はない。
干場に掛けて、また明後日もよろしくと声をかけるのであった。
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