第5話 いずれにしても月姫の翡翠さんは崇められるべきである(1枚目3日目・6月8日)
連休の終わりにマスクを洗うのは少し心地が良い。
というのも、周りの暑さが少し落ち着いた頃合いに洗面器に張った水に手を浸すと殊に官能的で心地よいのである。
ゆったりとした手の動きもまた、どこか愛撫を思わせる。
それほどに心を研ぎ澄まさねば痛みが著しいのではないかと思っているのだが、これがいつまで続くかもまた男女の仲に近いものがあるのかもしれない。
このような「変な気分」になってしまった以上、思考はさらにその奥へと至ろうとする。
女性への趣向というものを色々な角度から覗くことは可能であるが、今宵は私がネット上で公称する名の元になったメイド服について掘り下げていきたい。
とはいえ、これを全て考察していけば恐ろしいほどに長い文章になってしまうため、せめてスカートまでに留めておきたい。
つまり、メイド服においてロングスカートとショートスカートのいずれが良いかという内容になるわけだが、結論から言えば私はロングスカートに軍配が上がる。
メイド喫茶やコスプレ衣装の多くはショートスカートであるために疑問符の付く方も多いだろうが、その理由は明確である。
まず、元々の「給仕服」という意味合いを考えれば、自らの主人に下着が見えてしまうような服装というのは似つかわしくないのではないかという点がある。
そもそもが下着や素肌が容易に見えるというのは貞操観念や主従関係における欠点になりうる。
初めから性的思考を満たすための服装であれば話も分かるが、そうではない。
男性用のスーツもやたらと露出を増やし胸が明け広げになっては仕事には適さなくなってしまう。
やはり、元の在り方の延長線上に在ったほうが美しさを感じやすいように思う。
次に、重厚な衣装はそれだけで動きを制限し、淑やかな在り方を着る者に強要して雰囲気を落ち着ける点である。
金持ちの家でせせこましく動くよりも、優雅に着こなすメイドの方がよい。
衣装と舞台に動きが合わさることで初めて完成される。
そして、何よりも直接見えない素肌への妄想を無限に許すのがたまらない。
女性の素肌や脚線美が常に見えるというのも良いのかもしれないが、わずかに見える足元とその動きから包まれた四肢を想像するのは非常に瀟洒な愉悦である。
堅い守りの先にある理想郷への憧憬は、今は失われた遊びなのかもしれない。
マスクを絞り、一度だけ名残のように洗面器に手を付けてから水を流す。
いや、今宵の思索によるわだかまりは水に流すべき案件なのかもしれないと、我ながら反省させられた。
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