第4話 お米はお百姓さんの八十八手(2枚目2日目・6月7日)
マスクを洗って再利用するということは外出先でも同様である。
阿蘇は内牧温泉の湯巡追荘の豪華な夕食を楽しみ、ひと眠りした後で露天風呂を満喫する。
そのうえで、ケロヨンの洗面器に水を張って静かに手のひらを沈めていく。
車通りもなく人の喧しさもない温泉宿でのこのひと時こそ、まさに無為に相応しい。
この上なく贅沢な時間の使い方がたまらない。
こうした宿に泊まると昔の在り方に思いがゆく。
元々、私のような庶民が泊まる安宿のほとんどは炊事洗濯を自ら行うものであった。
これを木賃宿といったそうだが、今でもユースホステルではこれに近い形式をとっている。
これを不便と捉えるか、楽しいと捉えるのかは人次第であるのだが、私はそれはそれで一つの楽しみ方であると捉えている。
旅先で楽しそうに焼きそばを作られているアメリカ人男性二人組の姿が今でも鮮烈で、ああした姿を見ていると私のいい酒肴になる。
一方で、趣向を凝らした料理をいただくことができないという難点もある。
土地ごとの味や料理人の腕を堪能したいという欲が少なからずある以上、時にこれを使い分けられる現代というのは何とも贅沢な時代である。
ところで、昔は修学旅行の際に米を持参しなければならない時代もあったようである。
物が少なく、戦争こそしていないものの米が戦略物資として国の管理下にあった時代を象徴しており、非常に興味深い。
今でこそ、減反政策を過去に行うなど米が豊富にありひもじい思いをすることはないが、その時代の米の有難みというのはどれほどのものであったろうか。
夕食でいただいた赤牛の炊き込みご飯と赤牛カレーでいただいた米の量を思い出しながら、それを考えるのは非常に難しい話である。
また、洗濯も全自動の機械に託すだけになってしまっており、こうして押し洗いをするのは雑巾などを洗う時ぐらいではないだろうか。
殊に一人暮らしであれば、身に着けるものなどは容赦なく洗濯機に任せてしまう。
一昔前の寡の在り方に少し戻った気分になれるというのは、まだ日が浅いゆえの余裕なのか。
これに褌でもつけば本当に時代を遡ったものになるのであるが、そこまでの覚悟はない。
インスタント時代逆行とは恐れ入った。
そう思わせるような新たな営みである。
一通りの手順を経て、タオル干しに無造作に掛ける。
翌朝はいつもより早く、マスクも車内で干さねばならぬであろう。
マスクを助手席に乗せてドライブと洒落こもうではないか。
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