第164話 騎士と弓手②

 これまでの例と比べると、変化はそこまで大きいとは言えなかった。幾ら背が伸びたとはいえ、肌の色の変化に比べれば、目に見えた異常とは考えにくかったからだ。

 しかし、それはパトリスでなければ、である。

 彼女の評価は勇者パーティの中でも平々凡々で、大人しく控えめな認識も強かった。だからこそ、異形に近づいただけで、観客達の拭えない奇妙な感覚を強めるには十分だった。


「何だよあれ、パトリスってあんな感じだったか……?」

「どう見ても違うだろ、あいつはもっと美人だったし、背も低かったぜ」


 歓声が少し弱まり、疑心の声に変わるほど、パトリスの変化は特徴的に映った。


「というか、今更だけどクラークのパーティの奴ら、何だかおかしくないか?」


 中には――やっとではあるが、クラーク達が使っている道具への不信感を露にする者まで現れる始末。カレンを寝かせ、診療所から試合を見つめるフォンはというと、パトリスの変化が外観的なものだけでないと気づいており、顔を顰めている。


「パトリス、やっぱり薬物を……!」


 さて、怪物と向き合うクロエは、極めて冷静に鏃をパトリスに突き付けていた。


「あー、念の為警告しとくよ。あたしは敵だと見做せば、確実に殺す――」


 一応は脅しのつもりだったのだが、どうやら彼女には通用しないようだ。


「――オオォオアアァァァッ!」


 とんでもない速度で迫ってきたパトリスは、クロエの視界から瞬時に消えてみせた。

 何が起きたのか、どこに行ったのか。思考が動き出すよりも先に、彼女が空を見上げると、目の前にいたのは斧を思い切り振り上げるパトリスだった。


「なっ……!?」


 咄嗟にクロエはかわしたが、彼女の足元が斧の一撃で砕け散った。彼女が姿勢を整えるよりも早く、パトリスは即座に斧を持ち上げると、眼前の敵目掛けて振り回す。

 サラのように乱暴なだけでも、ジャスミンのように戯れているわけでもない。確実性と殺意を持ち、破壊力と精密さを兼ね備えた連撃は、もうパトリスのような仲間を守るナイトの技ではない。人を殺す専門家、狂戦士のそれだ。


(速い、速すぎる! サラやジャスミンも薬物で相当動きが機敏になってたけど、今度は視界に捉えられないくらい速い! あんな重そうな鎧を纏ってこの機敏さだっての!?)


 石畳が砕け、掠めてもいないのにクロエのジャケットが破ける。風圧、気迫だけで外傷を与えるのならば、やはり人間を超越していると言っても過言ではない。


(背丈以外はそんなに変わってないのに、力だって前の二人の比じゃない! 何よりパトリスは――サラ達みたいに慢心してない、確実にあたしを殺しに来てる!)


 ついでに言うならば、前者二名など比べ物にならないほど強い。

 だが、いつまでも攻撃を避け続けているばかりのクロエではない。


「だったら、こっちだって!」


 矢を番え、大袈裟に振り下ろされた斧の隙を見極め、彼女は矢を素早く二本放った。

 至近距離での矢は、それそのものが死に直結する脅威である。勿論遠距離での狙撃もクロエは得意とするところであったが、剣が届くほどの範囲で敵の心臓を射抜くのも、彼女の得意技であった。

 ところが、彼女の常識の範囲内でしか通用しない技は、やはりパトリスには届かなかった。今しがたまで斧を振るっていたパトリスは、いきなりもう片方の手で握っていた盾を構え、二本の矢を防いでしまった。


「ガアァウッ!」


 ならばとばかりに、吼え猛る彼女の背後に素早く回り込んで再び矢を放つが、パトリスはそれすら読んでいたようで、振り返って斧を持つ手で矢を掴んでしまった。


「嘘でしょ、盾ならまだしも、矢を素手で受け止めるなんて!?」


 驚きたいが、驚いて立ち止まる余裕すらない。

 叩き潰す一撃が、斬り裂く攻撃が、ひっきりなしに続く。いたぶる気など微塵もない、絶対にクロエを殺すと決意した暴虐を目の当たりにして、クラークは歓喜する。


「いいぞ、パトリス! 油断も容赦も必要ねえ、今度こそ殺してやれ!」


 一方でフォンは、正攻法が通じない敵に対し、クロエにすかさず指示を送った。


「クロエ、関節だ! 鎧の関節部分は皮で出来てる、毒矢を使って動きを止めるんだ!」

「分かってる! 結構キツめの毒だけど、恨まないでよね!」


 矢筒から羽が紫色の矢を取り出すと、クロエは敢えて敵に突っ込んだ。

 盾と斧を使った二重の打撃をすり抜けるようにかわし、僅かな隙を逃さずに撃たれた矢は、パトリスの頬を掠めるだけに留まった。

 てっきり外したかと思われた一撃だが、クロエにとっては見事な命中だった。何故なら、急に体をよろめかせ、膝をついたパトリスの動きが示す通り、彼女が使った矢は毒矢で、しかも相当な効果を及ぼす代物だからだ。

 その効果は覿面で、ほぼ無傷のはずのパトリスが、たちまち動かなくなった。どうにか勝負ありかと思ったクロエは、息を整えながら彼女の前に立つ。


「フォンから貰った、ヘドロダケとサイキョウカブト、クルイソウの混合毒……掠めるだけで体の自由を奪って高熱に近い症状を齎す毒だよ、これなら……」


 これならば、どうだと言いたかった。

 言えなかった。


「グ、ガァ、ンギイイィィィ――ッ!」


 何故なら、白目を剥き、泡を吹きながらも、パトリスが立ち上がったからだ。

 ゆっくり、ゆっくりとした動きのはずなのに、クロエはとどめを刺すのも忘れていた。戦闘態勢を取り戻すパトリスが口から血を流す様から、毒が効いていると分かったのだ。


「……効いてない……いや、効いてるのを我慢して、立ち上がってる……!?」


 心底、クロエはぞっとした。

 毒が効いているのに立ち上がる魔物と対峙した経験はある。問題は、クロエが用いたのがとてつもなく強力な毒で、半ば殺す目的で使っていたところである。

 どこまで体が強化されているのかと考えてもみたかったが、もう彼女に余裕は残されていなかった。またも先程までの勢いを取り戻したパトリスが、狂ったように――しかも的確に、武器を振り回してきたからだ。

 歓声が耳の外に飛び、聞こえなくなる。クラークの声も、フォンの声も辛うじて聞こえる程度になってしまうほど、彼女は回避にのみ徹する。


(見るからにヤバそうな薬を三つも呑んだだけあって、うわっと! 体力も俊敏さも、おっと、筋力も段違いすぎる! ちょっと油断したら、確実に殺される……なら!)


 このまま避け続ければ、体力的に不利に陥るのは自分だ。ならば、少し無謀だとしても攻勢に転じるほかないと判断したクロエが狙うのは、今度こそ彼女の脳天だ。

 クロエの判断は正しかった。問題だったのは、今尚武器を携えて攻撃を止ませないパトリスの異変、彼女がただの狂戦士ではない証拠に気付いてしまったことだ。

 彼女が瞳から流す血――その隙間に、涙が見えた。


「――ア、アァ、ア……ヤダ……」

「……パトリス……?」


 どうして気づかなかったのか、見えなかったのかと考えるクロエの前で、彼女は小さく呟き始めていた。まるで、行動と思考が分離してしまったかのように。


「ヤダ、モウヤダ、ナンデコンナ……ナンデ……トメテ、タスケテ……」


 ぶつぶつと漏れるパトリスの言葉が欺瞞ではなく、本心だとも分かった。


「……意識が残ってるの? まさか、そんな――」


 尤も、彼女に同情をしても、躊躇いだけは抱いてはいけなかった。


「――タスケテ、タスケテタスケテタスケテエエェェ――ッ!」


 呟きが絶叫に変わった瞬間、クロエは一瞬、ほんの一瞬だけ動きが鈍った。殺意と、助けてあげるべきかという迷いの隙間が、彼女の足と手を止めてしまった。


「クロエ、避けろ!」


 フォンの声が聞こえた時には、遅かった。

 叫び吼えるパトリスが振るった盾の一撃が、クロエの全身に叩きつけられた。

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