第161話 剣士と猫⑤

「ば、『業火球』バーンボール! 『旋風球』ウィンドボール!」


 それでもどうにか、何とかとばかりにマリィは魔法を放つ。

 火の玉、風を纏った球、いずれも魔法としてみれば上級に値する。まともにくらえば、それこそ命の危機にすら瀕するはずの攻撃だが、アンジェラにはまるで通用しない。

 子供の戯れを軽く受け流すかのように、ナイフで球体を弾く。単純な戦闘力で言えば忍者に肉薄する騎士に対し、魔法使い程度はあまりにも無力だ。


「まだ、まだまだ、こんなところで、こんな……!」


 それでも、だとしても、と魔法を放ち続けたマリィだったが、やがて静かに手を下ろした。

 アンジェラが、すぐ目の前まで迫っていたからだ。最早何をやっても、どうしても助からないと判断した彼女は、ようやく真っ当な判断として、抵抗を諦めたのだ。


「抵抗しなくなったわね。殺すつもりはないけど、言い残す言葉はあるかしら?」


 ナイフを仕舞い、骨を鳴らすアンジェラに対し、俯いたマリィは呟いた。


「……間違ってない、私は間違ってないのに、周りがんびゅッ」


 あまりに、陳腐。予想通り以外の、何物でもない。

 聞くに値しないと思ったアンジェラは、マリィの頭を殴りつけた。普通の人間、それも冒険者としては鍛えられていない方の人間が耐えられるはずもなく、彼女は昏倒した。

 白目を剥いて動かなくなったマリィを見下ろし、アンジェラは吐き捨てるように言った。


「自分の無能さと向き合えないなら、どうしてこうなったのかも分からないなら、檻の中でじっくりと考えなさい。答えが出るかは、ともかくね」


 そうして、振り返って人質となっていた親子に微笑みかけた彼女は、近くに落ちていた杖を拾い、勢いよくへし折った。真っ二つに折れた杖をアンジェラが勢いよく空に向かって放り投げると、待っていたと言わんばかりに、ミハエルがそれを掴んだ。

 ばさばさと羽搏く白い鷹に、アンジェラは叫んだ。


「ミハエル、人質を助けて、犯人を倒したわ。フォン達に伝えてあげて!」


 魔物の登場にまたも慄く親子とアンジェラを一瞥し、ミハエルは飛んでいった。

 今度はアンジェラを誘導する必要も、マリィを警戒する必要もない。寧ろ速度を求められていると知っている彼は、風を切って加速し、たちまち直ぐ近くの広場に辿り着いた。

 上空にいる彼の目に映ったのは、既に虫の息となったカレンと、未だにいたぶり続けるジャスミン。その様子を心配そうに見つめるフォン達と、心底楽しそうに眺めるクラークだ。


「……うぅ、う……」

「んー、もう反応も薄くなってきたし、つまんないなあ。そろそろ手足をぶった切って、終わりにしてやろーかしら!」


 地に這いつくばるカレンの後ろで剣を振るうジャスミンを見て、クロエが焦る。


「アンジェラはまだなの、早くしないとカレンが……!」


 傍から見ても、カレンの痛みと傷が蓄積し、既に限界に達しようとしているのは一目で分かる。手が震え、足に力が入らず、片目が腫れ上がっているし、青痣と擦り傷、切り傷が多すぎて、ボロボロに破けたコートは最早衣服としての機能を果たしていない。

 血に濡れたシャツとスカートだって破けていて、時折青い毛並みが見え隠れする。倒れて正体がばれるのが先か、出血多量で死ぬか、どちらが先だろうか。

 このまま、死に方を選ぶのを待つばかりかと思われていた時だった。


「……あれは、ミハエル!」


 フォンが見上げた先に、ミハエルはくるくると飛んでいた。

 しかも、ただ戻ってきただけではない。鋭い爪と脚に掴んでいるのは、マリィが持っていた杖。へし折れたそれが意味するのはつまり、アンジェラの勝利と、人質の解放。フォンの表情の拳はに気付いたクロエも天を仰ぎ、確信する。


「握ってるのは魔法使いの杖だよ! ってことは、アンジェラがマリィを倒したんだ!」

「よかった、もう人質はいない! だったら――」


 起死回生の瞬間を待ちわびていたフォンは、今しかないとばかりに――今度は何の作戦も、隠した要素もなく、純粋にカレンを鼓舞するべく吼えた。


「――カレン、もう何の心配もしなくていい! 思いっきりいけえええぇぇ――ッ!」


 猿叫に近い絶叫。

 普段のフォンの静かさ、落ち着き、感情の高揚のなさからは想像もつかないほどの大声――先程とは比べ物にならない声に、隣のクロエどころか、会場中が耳を塞いだ。

 驚き、どうにか立ち上がったカレンが彼を見ると、フォンと目が合った。


「……師匠」


 弟子の前で、師匠はにっと笑った。

 多くを語らずとも、滅多に見せない師匠の歯が、全ての答えであった。

 一方で、ジャスミンは喧しい怒鳴り声を聞かされたからか、随分と苛立っている様子だった。剣を乱暴に振り回し、背を向けたカレンを斬り殺すのに躊躇いはないようだ。


「あー、はいはい、そういうのはいいから。惨めに斬り刻まれて死ぬしかないのに、みっともないマネしないでよね。ダサいしキモいし、カッコ悪いしさぁ!」


 一対の剣で、背中を貫く。血が滴る柄を使う必要はない。刃で貫き、殺して、終わりだ。

 カレンの表情など見る必要もない。絶対優勢を崩さずして、勝利して、終わりだ。


「言っとくけど、遺言とか聞かないからね。小便漏らして死んじゃえ、クソ雑魚があぁッ!」


 にやりと笑い、愚かな敵の死を確信したジャスミンだったが、彼女もまた、サラと同じ最大のミス――油断をしていると、その瞬間まで気づかなかった。

 手足を傷み、碌に動けないはずのカレンが、残像が残るほどの勢いで振り向いた。


「さ、せ、る、かああぁぁ――ッ!」


 だから何だというのか、と言いたかったが、ジャスミンは言えなかった。

 振り下ろした刃の先端にカレンの爪が触れた途端、火花のような光が見えた。何が起きたのかと思うよりも先に、刃が虚しく空を切り、代わりに何かが迸った。

 たった一瞬、刹那の間に、ジャスミンはそれが何であるかを理解してしまった。

 右手に握った剣の先端から灯った炎が伝播し、なんと彼女の右腕に燃え移ったのだ。


「――ぎゃああああぁぁぁあああああッ!?」


 焼けるような――事実肉が焼け焦げる苦痛を感じたジャスミンは、先程のフォンと大差ないくらいの絶叫を喉から放ちながら、剣を一本落とし、後方へと転げ回った。


「あっ、熱い、あづい!? 燃えてる、わだじのうでが、もえでるうぅ!?」


 砂場で火を消そうとするような仕草を見せるが、ここは整備された石畳で、まるで効果を持たない。それでも何とか昇華を試みた結果、狂ったように腕を石で擦ることで、抉れた皮膚と消えない火傷と引き換えに、腕の炎は収まった。

 小刻みな呼吸と酷い汗を伴いながら睨むジャスミンの視線の先には、大袈裟なほど疲弊した息を吐くカレン。そして、焦げた爪の先に残った、炭とは違う黒い粉。


「……忍法・火遁『擦れ火』の術……敵の斬撃に合わせて摩擦を起こし、着火剤に火をつけて相手を燃やす忍術でござる……腕が焼け落ちなかったのが……幸運でござるな」


 狂ったように腕を擦るジャスミンは、彼女の丁寧な説明など聞いていない。


「お、おばええぇ! こんなごどじで、ひとじぢが……」

「……マリィなら……もう倒したでござるよ」

「なん、だとぉ!?」

「とにも、かくにも……もう、遠慮してやる必要は、ないで……ござるな」


 信じられないと言いたげに顔を引き攣らせるジャスミンの前で、カレンは鞄の中を漁る。彼女を焼く手段は幾らでもあるが、問題は忍者が、これ以上の忍術を使うのを、肝心の師匠が許してくれるかどうかだ。


「忍者は術をひけらかさない……師匠、カレンは……」


 振り向く余裕すらない彼女は、一瞬だけ忍術を使うのを躊躇った。


「カレン、僕が許す。忍ぶな、思う存分暴れてやれ!」

「やれーっ! ぶっ倒せ、カレン、そんなクソガキなんかぶちのめせーっ!」


 だが、全てを悟った仲間の声が、彼女の背中を押した。

 二人の声援を受け、彼女の猫の瞳には、闘志の炎が燃え上がる。


「あい分かった……忍び忍ばず……カレン、いざ参る!」


 中指と人差し指を立てた彼女の勇士は、忍者のそれであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る