第157話 剣士と猫①

 鍔迫り合う二つの刃物が激突すると、嫌でも互いに互いの姿を目に入れた。

 ジャスミンの目に映るカレンはこれまでと変わらなかったが、カレンの黄色い瞳には異様な存在が映っていた。少なくとも、これまでのジャスミンとは違っていた。

 肌の色は、今度は青白くなって、赤紫のツインテールは信じられないくらい増毛している。小柄な体に似合わないくらいに筋肉はやはり膨張し、元が獣であるカレンよりも歯が鋭くなっている。大きく開けた口の中の舌はどどめ色で、もう人間とは呼べない様相だ。

 なのに、ジャスミンは己の可愛いとは呼べない姿と成長に、歓喜しているようだった。


「――ああ、いい、いいよこれ! サイッコーの力だよおおぉッ!」


 一対の剣でカレンの爪を弾いたジャスミンは、常人では目で追えないほどの速度で動き回り、三次元的にカレンへと斬りかかる。

 宙を蝶のように舞うジャスミンの斬撃は、醜悪な見た目とは裏腹に華麗で、人によっては見惚れているうちに体を斬り刻まれるだろう。だが、そこは忍者のカレン。刃物よりも鋭い爪で攻撃を防ぐ。

 二度、三度、もっと。華奢な体からは想像もつかないアクロバティックな動きを繰り出す者同士が剣と爪を弾かせる度、仲間を含め、周囲から声が沸き上がった。


「面妖な……人の身を捨ててまでくだらない勝ちにこだわるとは、惨めでござるな!」

「今のうちに言ってればぁ? ずたずたに斬り刻まれてから、泣きながら謝っても絶対許さないからね、っと!」


 距離を取ったジャスミンは、前後左右、空中からも襲撃を仕掛けてくる。魔物など比べ物にならない速度と破壊力ではあるが、カレンからすれば、サラほどの驚愕はなかった。


(確かに速い、これまで出会って敵の中で最も! しかし、師匠との訓練に比べれば!)


 フォンの弟子になってから、何度も厳しい訓練に晒された。

 その過程で、彼女は単に暴力的なパワーを振るうだけではなく、忍者としての思慮深さと冷静な判断力、そして素早い動きを見抜く目を会得した。特に動体視力に関しては、もとより魔物だったのもあり、ジャスミンの動きを捉えるくらいはわけない。

 しかも今回は、サーシャの前例もある。敵の異常なまでに機敏な動作のトリックも見抜けているのであれば、驚きもしないし、油断もしない。


(サーシャは状況を理解できていなかったからこそ、一方的に蹂躙された……今は違うでござる、からくりは見抜いた! サーシャの傷を、痛みを無駄にはしないでござる!)


 だからこそ、彼女はジャスミンに肉薄できた。

 いや、前のめりの姿勢で剣を叩き伏せる様子を見るに、有利であるとすら言えるだろう。


「薬に頼っていながらこの程度とは、元からたいしたことはないでござるな!」


 火遁忍術という奥の手に頼らずとも勝機は見える、カレンは確信した。


「……ふーん、じゃあやり方を変えよっか?」


 だからこそ、急に刃を向けないまま直進してきたジャスミンの動きに、戸惑った。

 何の作戦があるのかと身構えたが、どう見ても攻撃をする仕草はない。接近を許し、すれ違うかのように顔を寄せたジャスミンは、誰にも聞こえないように呟いた。


「――――?」

「…………ッ!?」


 何かが聞こえたカレンは、信じられないといった表情で、唖然とした。

 フォンも見た謎の動作の後、僅かではあるが、動きが止まった。そんなカレンの無防備さをチャンスであると言わんばかりに、ジャスミンは思い切り彼女を蹴飛ばした。

 三度ほど転がり、立ち上がったカレンだが、さっきまで伸ばしていた爪を急に引っ込めてしまった。しかもジャスミンが連撃を仕掛けてきても、爪で弾かず、手足で受けるばかりだ。


「お、おい、見ろよ! 急にカレンの動きが鈍くなったぜ!」

「腹でも下したのか? どちらにしても、クラーク達にはチャンスだな!」


 観客達ですら気づく変化に、クロエとフォンが気づかないはずがない。


「フォン、あれ……!」

「うん、明らかに様子が変だ。ジャスミンが薬物で強くなっているとはいえ、サラよりもずっと遅い攻撃をかわせないはずがない。なのに、まるで回避を許されていないかのようだ」


 カレンは攻撃を避けずに、ふらふらと吸い寄せられるかのようにジャスミンの元へ戻ってゆく。彼女は彼女で、一太刀で斬り殺さず、柄で殴り、足で蹴り、無抵抗な木偶人形をいたぶっているかのようだ。


「ジャスミンも斬り殺さずに、柄と刃面で殴ってばかり……まるで、反撃しないと知ってるみたいだよ! どう考えたっておかしいし、カレンらしくない!」


 クロエ以上に、無言ではあるがフォンも焦っている。弟子の悲惨な姿をただ見ているだけではいられないのは、フォンの強く握りしめた拳が表している。

 一方、急に優勢になったクラーク達は、仲間をさっきのように鼓舞している。


「いいぜ、ジャスミン! そのままボコボコの晒し者にしちまえ!」

「や、やっぱりジャスミンさん、あの作戦を……」


 パトリスだけがどうにも乗り気ではないのが、いつも通りだからこそフォン達に気付かれないのは、彼らにとっては幸運だった。尤も、仮にばれたところで、何ができるというのかとクラークは思っている。

 そうこうしている間に、カレンはお気に入りのコートに大量の切り傷を付けられ、頬や足に青痣を作り、口元から血を流すほど殴打されていた。

 強化された肉体から放つ柄の打撃は、普通に殴るよりもずっと高い威力を有しているようで、ジャスミンが一回転して放った攻撃をくらったカレンは後方に吹き飛ばされた。


「うわあああぁぁッ!?」


 フォンの足元まで、大袈裟ともいえるほどの勢いで転がってきたカレンは、彼の足元で這いつくばる。普段の危機に瀕した際の弱気さを見せないのが、かえって不安だ。


「カレン、どうした? 何が起きてるんだ?」


 フォンが聞いても、カレンはただゆっくりと起き上がるばかり。


「…………何も、ないでござるよ。ちょっと油断しただけでござる……」


 鼻血を拭い、いつものように小さく微笑み、何事もないと言い切った彼女の後ろから、ぎょろりとした瞳をぎらつかせながら、剣を振るうジャスミンの煽り声が聞こえてくる。


「ほらほら、どうしたのー? さっさと戻ってきてよ、もっとブサイクにしたげるから!」

「くっ……」


 歯切りしつつも、殴られる為に戦場へと帰るカレンの後ろ姿を、クロエが見つめる。


「何でもないって、そんなわけないよ! せめてどうして反撃しないのか、攻撃を受けてばっかりなのかだけでも教えてくれれば……!」


 自分の不甲斐なさを悔やむクロエの前で、フォンは屈んでいた。

 カレンが倒れていた場所をじっと見つめていた彼は、静かに言った。


「……いや、カレンは手掛かりを残してくれた。ここまで転がってきたのは、偶然じゃない」

「えっ?」


 彼が指で触れたのは、倒れていた時にちょうど指先に触れていた、床を構築する平らな石。表面の塵や小石に混じり、明らかに、意図的に付けられた爪の痕跡がある。

 一般人が見ても単なる傷にしか見えないそれは、フォン、ひいては忍者からすれば確かな文字であった。つまり、カルト集団事件と同じ、忍者にしか解読できない暗号文字である。


「僕達の足元まで吹っ飛ばされ、倒れるふりをして爪で暗号を床に彫り込んでくれた。忍者にしか分からない言葉だ、カレンは僕達に何も言わなかったんじゃなく、言えなかった」


 抵抗も、暴露も許されないカレンが、唯一ばれないようにフォンに残した事柄。

 フォンも見逃さなかった、ジャスミンがカレンに耳打ちした内容。決闘が始める前からの違和感。わざわざメリットを自ら打ち消したことによる、真の利点。

 全てが繋がった――恐ろしい結論と事実を、フォンは立ち上がり、クロエに伝えた。


「『マリィが人質を取った』『抵抗すれば親子が死ぬ』……これが、カレンが抵抗できない――マリィがこの場にいない理由だ」


 クロエを見つめて話すフォンの後ろで、仲間がまたも殴られた。

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