第156話 二回戦と忍者

「引き分けだと、ふざけんじゃねーぞ!」

「早速賭けが外れたじゃねえか! 俺の金貨を返しやがれーっ!」


 特に怒号が多く聞こえてきたのは、決闘をギャンブルと見据えていた連中だ。

 試合の勝敗予想で配当金が貰える賭け事において、引き分けなど誰も想定していない。早くも全財産をドブに投げ捨ててしまった者も少なくないようで、広場にジョッキや料理の器が投げ入れられる。


『落ち着いてください、物を投げるのはやめてくださーい! ひとまず選手二名を診療所に運んでもらいますので、第二試合の開始まで今しばらくお待ちくださーい!』


 観客達を宥めながらアナウンスするスモモがそう言い終えると、フォン達は一斉に特設診療所に向かって駆け出した。サーシャとサラが担架で担ぎ込まれていくのを見たからだ。

 幸いにも、今はどうやら動いてはいけない時間ではないようで、ウォンディは彼らの行動をねめつけはしなかった。仮に非難していようと、三人は構わず直行していただろうが。


「サーシャ、サーシャ!」


 仮設ベッドの上に仰向けに寝かされたサーシャは、体中が血に濡れ、呻きすらしない。


「ねえ、大丈夫なの!? 目を覚まさないし、血も凄い量が出てきてるし、まさか……!」


 衣服をはだけさせられ、薬やガーゼをあてがわれてもまだ反応のないサーシャを前にして、恐ろしい想像が拭えないクロエは、思わず看護師に詰め寄った。

 フォンが彼女を引き剥がすと、相手はクロエのリアクションに対して静かに答えた。


「安心してください、見たところ怪我は酷いですが、魔法による治癒を行えば命に別状はありません。あちらのサラさんのように、修復不可能な部位もないですから」


 さらりとそうとだけ告げて、白衣を纏った彼は仲間と共に治療を再開した。プロは多くを語らないとはいったもので、クロエの激昂はたちまち沈静し、胸を撫で下ろした。フォンとカレンも同様で、死なないと分かった安心感は大きかった。


「……よかった……!」

「うん、良かった……けど、サラは……」


 ただ、フォンだけは、離れたところでベッドに寝かされたサラに視線を移した。

 彼女の様は、サーシャとは比べられないほど惨かった。

 両足と片腕が潰れ、妙な方向に曲がって折れた骨が飛び出ている。しかし、何よりも鮮烈なのは、今は布が賭けられて見えないようにされているが、明らかにクレーターの如く陥没してしまった顔だ。恐らく、かつての顔には戻せないだろう。


「――重傷です、恐らく潰れた顔は完全には治らないでしょう。骨の露出も治癒には時間がかかりますし、長期間のリハビリが必要かと……」


 隣に立つ医者も、一目見て駄目だと判断したのか、サラの仲間に重々しく話していた。

 仲間からすれば、きっと苦しい結論だろう。決闘である以上致し方ない結果ではあるが、もしもサーシャが同じ目に遭ったならば、フォンにはきっと耐えられない。


「ふーん、そうなんだ。ま、どうでもいいけど」


 ――尤も、サラと同じパーティのジャスミンは、さほど悲しみを誘わなかった。


「それにしても使えないよね、もうちょっとでフォンの仲間を一人殺せたのに! 油断してやられちゃって、こんなブサイクになるなんてカッコ悪ーい! きゃははは!」


 それどころか、サラの動かない体を指先で小突き、けらけらと笑う始末だ。

 自分の為とはいえ奮闘したサラに対しての、あんまりな態度。

加えてさっきから怯えて震えしかしないパトリスはともかく、クラークは腕を組んだまま診療所にすら来ない。長年パーティを組んでいた者に対する仕打ちがこれかと思うと、フォンは口を出さずにはいられなかった。


「……仲間がやられたのに、その言いようか。クラークに至っては、見舞いにも来ないとは」

「はぁ? 仲間? こいつが!?」


 がやがやと診療所で職員が治療に励む中、彼女はそんな姿すら嘲笑うようだった。


「言っとくけど、こいつもマリィもパトリスも、兄ちゃんだって私の奴隷みたいなもんなんだよ? 役目も果たせない、使えない奴隷に使えないって言って何が悪いの? もしかして、このブスに同情してるワケ? きゃはは、ウケるーっ!」


 ビジネスライクの関係性ですらなく、奴隷と言い切った。

 一番は自分。それ以外は全て下の下。可愛らしい、愛くるしい自分だけが大事で、他は普段から兄のように慕っているクラークですら、内心見下している。

 いや、最初からそうだったのだろう。己のみを愛し、他は全て使い潰し、切り捨てる。


『第二試合が始まりまーす! 選手は中央へ、パーティは元の位置に戻ってくださーい!』


 観客達を落ち着かせ、広場に投げ捨てられたゴミの掃除を案内所スタッフが終えた。

スモモのアナウンスが聞こえても、彼らは少しの間、動かなかった。


「……師匠、第二試合は拙者が出るでござる。二人とも、さっきの場所へ」


 やがて、静かに口を開いたのはカレンだった。すたすたとフォンの前に躍り出た彼女は口調こそいつも通りであったが、視線だけは確かにジャスミンを捉えていた。


「カレン、まさか……」

「心配無用でござるよ、師匠、クロエ! 拙者にお任せあれ、でござる!」


 彼女はジャスミンと戦う。フォンもクロエも、彼女の意図を察した。

 フォンとしては、無邪気な殺意を有するジャスミンにカレンをぶつけるのは不安だった。違法薬物の危険性がある以上、誰に誰を相手させるのも心苦しかったが、そう言っていられないのも事実だ。ならば、名乗り出た彼女に任せるほかない。

 クロエに肩を叩かれたフォンは、彼女を見つめながら、元居た場所へと戻ってゆく。

 アンジェラは露店で食べ歩きでもしているのか、そこにはいなかった。フォン達は少し不安げな顔で、まだ診療所に残る仲間を見つめるほかなかった。

 小さく息を吸い、吐き、カレンはジャスミンを睨んだ。師匠にも、仲間にも決して見せられない顔は、獣の如く憤怒を滾らせていた。


「……さて、ジャスミン。表に出よ。その腐った性根、焼き尽くしてやるでござるよ」

「ふーん、私とやるつもり? いいよ、ケダモノみたいなそのツラ、斬り刻んでやるから」


 誰にも負けない自信を有する彼女は、一切臆さなかった。

 二人は怒りを孕んだまま、診療所から直接広場の中央へと歩き出す。またもや決闘場を歓声が埋め尽くし、双方を応援する声が轟き、響き渡る。

 向かい合う二人のうち、最初に動いたのはジャスミンだ。カレンも予想はしていたのだが、彼女がポケットから取り出したのはやはり、サラも呑んだ黒い丸薬である。


「言っとくけど、私もサラが使ってた『覚醒蝕薬』を持ってるからね。こうやって呑めば、あのフォンにも負けない力を手に入れられる、最強の薬をね、っと……!」


 彼女もまた、躊躇いなく丸呑みにした。人知を超えた力を齎す薬物を前にしても、カレンは全く動じない。仮にどれだけジャスミンが強くなろうと、カレンは絶対に負けられない。人の道を外れた女に、負けてやる理由など有り得ない。


「はっ、くだらぬ薬に頼った程度の力など知れているでござる」


 みしり、と爪を唸らせるカレンに、司会席へと戻ったスモモの声が聞こえてくる。


『クラークパーティからジャスミン、フォンパーティからカレンがエントリーしました! では、早速両者、指定の位置に立っていただいて――』


 既に、ジャスミンの体に変化は起きている。

 獣の耳と尻尾、肌が感じ取る。黄色い目の向こうに映る彼女が、人を辞めていると。

 だとしても、自分は忍者だ。敗北はつまり、師匠の恥であり、パーティの恥。

 ならば、決意はしている。必勝、ただそれだけ――。


『――試合、開始!』


 思考の最中、ゴングの音と人々の声が鳴った。

 刹那、かっと目を見開いたカレンの爪と、血走った瞳のジャスミンの剣が激突した。

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