第142話 ニンジャ・エヴィル②

 リヴォルも、制御を失ったはずのレヴォルも硬直した。

 細縄と苦無の集合体と『百連苦無』の名前、そして両手に縄を掴んで構えるフォンの姿が、里にいた頃の彼よりも遥かに強く、悍ましい存在へと変貌を遂げていると直感したからだ。


(『百連苦無』……お兄ちゃんが禁術を会得していたっていうの!?)


 禁術の会得は、それそのものが忌まわしい事実であり、嫌悪される要因ともなる。里では次世代を担うとされていたフォンがもしも会得の為に動いていたとすれば、マスター・ニンジャが止めていただろうし、噂はレヴォルにまで広まっていたはずだ。

 ならばいつ、どうやって、誰に教わったのか。そんな些末な考えを巡らせるリヴォルだったが、フォンの爪先が僅かに動いたのに気付き、たちまち戦いに集中した。


(来る……!)


 姉妹は同時に前屈みになり、敵の襲撃に備えた。

 どこから来ても対応できる。反撃で傷を負わせ、じわじわと弱らせる。

 そんなリヴォルの企みは、刹那の間で瓦解した。


「お兄ちゃん、いつでも――」


 いつでも来いと言いたかったが、言えなかった。

 瞬きと瞬きの隙間、更にそれよりも狭い刻の間に、苦無を鳴らしたフォンの姿が消えた。

 全身から血の気と汗が引いたリヴォルが、どこへ行ったのかと左右を見回そうとして、右に視点をずらした時には、既に答えは出ていた。


『ガギュグイィッ!?』


 喋らないはずのレヴォルが、鈍い悲鳴を上げた。リヴォルがもう一度左に振り向いた時には、フォンが縄に縛り付けられた苦無の大半を、人形の肉体に突き刺していた。

 てきとうに投げつけた苦無が命中したのではない。ほんの少しの指の動き、手の動作、肩の挙動で、彼は括りつけられた百本の苦無を操作し、あらゆる方向から刺突攻撃を繰り出したのだ。それこそ、視界の中も外も、知覚の範囲外からも、苦無が飛来するのだ。

 そんな襲撃を受ければどうなるか。レヴォルの刃は苦無で折られ、鎖鎌を回転させて防ぐ間もなく、人形の体のありとあらゆる関節と基部には苦無が刺さっていた。


(これが――これが、『百連苦無』ッ!)


 レヴォルからフォンを引き剥がすよりも早く、リヴォルは距離を取っていた。

 みしみしと音を立て、動作の一つすら許されない人形は救えないと見限ったのだ。それくらい、あの禁術は一度くらえば逃げられないのだと彼女は知っていた。


(鞭のように縄を振るうだけじゃない、全ての苦無に瞬間的、且つ的確に触れることであらゆる方向から苦無による攻撃を繰り出す術! 百本の苦無を操る時点で、会得中にほぼ全ての忍者が死んでしまった術を、お兄ちゃんは容易く……!)


 『百連苦無』は単に縄を振るい、苦無をぶつける術ではない。

 攻撃を加える瞬間、フォンは縄を通じて苦無に振動を与えて刃の方向を悉くずらす。切っ先を統一させず、尚且つ敵の全方向から攻撃できるように縄で囲むことによって、人間では完全に反応できない同時攻撃を叩き込めるのだ。

 防御不可能の攻撃など、誰もが会得したがるところだろうが、この術が禁術に指定されているのには理由がある。沢山の苦無を同時に使う豪快な術は、会得の修行中に操り切れず死亡する事態が頻発した。忍者の絶対数を減らさないように指定された禁術なのだ。

 フォンからは、そんな様子は見て取れない。現にレヴォルは苦無で動きを制限され、渦巻く黒い瞳を湛えるフォンの体には、己の武器で傷ついていない。


(視界の外どころか五感で感知しきれない範囲から、縦横無尽に飛び交う苦無を避けきるのはほぼ不可能! こんな術まで使いこなすなんて!?)


 冷静に分析するリヴォルだが、もうそんな猶予は残されていない。

 フォンは縄を引き、食い込んだ苦無でレヴォルの一切合切を引き裂いた。あらゆる攻撃に耐えてきた人形だったが、流石に刺さった刃物への耐久には限界があったのか、四肢が胴体から引き千切られてしまった。

 鎖鎌も、刃も落とした人形の末路が目に飛び込んできたリヴォルは、反射的に指を動かした。すると、体が砕けたレヴォルが彼女の命令に従い、姉の元へと引き寄せられた。どうやら人間の形を保っていなくても、人形を操れるようだ。

 ただ、彼女は焦ってはいたが、怖れは既に消えていた。


「――凄い、凄いよ、お兄ちゃん! もっと、もっと見せて、お兄ちゃんの全部を!」


 寧ろ、楽しんでいた。フォンの闇が増していくにつれて垣間見える残酷性と邪悪さを引き出したいと願うリヴォルは、気を抜けば絶頂しそうなほど恍惚に満ちた顔をしていた。

 人形の無効化に成功したフォンも、即座に標的を変えた。苦無を翳しながら倒れそうな姿勢で駆け寄り、まるで舞踊のような動きで細縄を振るい、『百連苦無』を叩き込む。


「ずっと続けよう、私との戦いを、殺し合いを! レヴォルなら核を破壊されない限り動き続けるよ、だからもっと私に教えて、お兄ちゃんの闇と悍ましさを、醜さを見せて!」


 壁として用いる人形の手足が苦無で切り刻まれるのも、リヴォルにとっては喜びである。


「興味は、ない。俺から奪うな、忍者」

「お兄ちゃんも忍者でしょ! 血塗られた狂気の集団、世界に仇名す外道の同類だよ!」

「何も奪わせない、それだけだ」

「だったら楽しもうよ、奪われない為に渡しを殺すつもりで戦わないと!」

「奪わせない」


 破壊されゆく人形の残骸。夜闇に煌めく無数の刃。ぶつかり合う度に破壊が巻き起こり、地面が、岩が、水が弾け飛ぶ。極限のせめぎ合いで、それでもリヴォルは嗤う。


「そればっかり! 今より強いお兄ちゃんが見られるなら、私は何だってやるよ! 殺し合おうよ、お兄ちゃん、どっちかが死ぬ最後の最期までえええぇぇッ!」


 戦いをただ楽しんでいた。以上でも以下でもなく、殺し合いに興じていた。

 だからこそ、気付かなかった。


「ええええ――――えっ?」


 不意に、リヴォルは自分の右手に力が入らなくなっていた。

 だらりと力なく垂れた腕をリヴォルが見た。『百連苦無』の攻撃も収まり、彼女は時間が止まったのではないかと錯覚したが、直ぐにそうではないと悟った。

 もう、攻撃の必要がなくなったのだ。

 リヴォルの右肩に、五本の苦無が突き刺さっていたのだから。


「――ぎゃああああぁぁぁッ!」


 絶叫が轟いた。

 肩を貫通した苦無をフォンが縄ごと引き寄せ、リヴォルの肩から下の右腕を千切り落としたからだ。腕は宙を舞い、刃で五つに切り刻まれ、接合部からは血が噴出した。

流石の忍者といえど、右手が欠損すれば激痛を伴うし、行動も鈍る。人形による防御もまともにこなせない今、フォンが彼女の隙を突かない理由がない。


「俺から奪うなら、奪ってやる。お前の全ても」


 地の底から響くようなフォンの声にリヴォルが気づいた時には、彼女の周りには百本の苦無が鎮座していた。全ての切っ先が彼女に向いており、そのうち十本ほどにはレヴォルの残骸が突き刺さっている。つまり、防御に人形を使えない。

 眼前で睨むフォンが縄を引けば、地を這う苦無が一斉に襲い掛かる。防御不可の攻撃が全方位から解き放たれれば、リヴォルは死ぬ。苦無で串刺しにされ、確実に死に至る。

 そんな苦境に置かれても、腕を失っても、リヴォルは嗤っていた。喜び以外の感情をなくしてしまったかのように、迫りくる絶望と最期すらも、彼女からすれば歓喜の瞬間であるかのように、目と口から血を垂れ流しながらけたけたと嗤うのだ。


「楽しいね、お兄ちゃん! とっても楽しいね、殺し合いは、ねえねえ、ねえ!」


 狂喜するリヴォルに対し、フォンはただ無機質に縄を掴むだけだ。

 引き寄せるだけで人の命を絶ち切る禁術で、ただ殺すだけだ。


「終わりだ」


 静かに呟き、狂ったリヴォルと向き合い、彼は手を――。


「――フォン!」


 引けなかった。

 遠くから響いた声が、彼の手を僅かに戸惑わせた。

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