第141話 ニンジャ・エヴィル①

「……お兄ちゃん、なの?」


 リヴォルは思わず、フォン以外の誰でもないはずの彼に、奇怪な問いを投げかけた。

 何故なら、リヴォルはレヴォルの記憶を『傀儡の術』で引きずり出して彼の本来あり得る性質を聞き出しただけで、実物を見てはない。つまり、里を滅ぼした時の、里にいた時のフォンを見るのは、今回が初めてなのだ。

 だとしても、雰囲気が変わり過ぎている。

 凄まじい感情の発露であればリヴォルも嬉々として殺し合いを楽しんだ。彼女の目的は大好きな彼の魂を呼び起こし、命を賭けて戦い、手中に収めることなのだが、トランス状態を通り越して虚無に近い波動と感情は、想定外にも程がある。

 怒りはない。悲しみではない。そのいずれかを待ち望んでいたリヴォルにとっては、僅かに俯いて顔の見えないフォンがどんな表情をしているのかが分からなかった。


(聞いていた以上の覇気……これが、本当のお兄ちゃん……!)


 ただ一つ言えるのは、彼女の発言が、開けてはならない扉の封印を解いたことだけだ。


(常人の纏える威圧じゃない……凄いよ、お兄ちゃん! これならきっと、私と子供を作って、ハンゾーよりも強い忍者の里を再興できる! 最強の忍者夫婦として……!)


 しかも、彼女が想像するよりもずっと、もっとまずい扉を開いたのに、気付いていない。

 ――ところで、フォン自身の記憶の中には、自分で言っていたように幾つかの欠落があった。凄絶な体験で忘れてしまった内容もあれば、自発的に心の奥底に封印した記憶もある。リヴォルが引き出したかったのは後者、忘れようとした闇であった。

 しかし、彼女は知りえないが、挑発と罵詈はその奥までをも引きずり出してしまった。


「……またか、お前達は」


 地を這う大蛇の如き声と共に、フォンは顔を上げた。


「また――『俺』から全部奪うのか、忍者は」

「……ッ!」


 リヴォルの頭から空想が吹き飛び、全身から汗が噴き出した。

 纏う気迫と表情、瞳はもう、フォンとは呼べない別人格となっていた。

 本来ならば焦げ茶色であるはずの瞳は、真っ黒に染まっていた。しかもただ塗り潰されているのではなく、まるで瞳の中で渦が巻いているかのように、紋様が忙しなく変化しているのだ。大きな変容はそれだけなのに、醸し出す雰囲気は別人の域まで昇華している。

 これまでのフォンが無理矢理な怒りに身を任せていたとすれば、今のフォンからは何も感じない。リヴォルが威圧感を覚えたのに、向こうはそんな感情を抱いていない。

 そんな人間こそが最も危険であると、リヴォルは知っていた。だからこそ、棒立ちのフォンが動作を起こすよりも先に、リヴォルは叫んだ。


「――レヴォル、やっちゃえ!」


 彼女が命令するよりも先に、レヴォルは再び山猿の如き雄叫びを上げながら、拳を鳴らし、フォンに向かって恐るべき速さで突進した。

 制限が外れている今、命令を聞いてくれる確率は半分程度で、今回はリヴォルの指示を無視した。とはいえ、この状況ではレヴォルの専行はありがたい。命令を聞いてから挙動するよりも敵の不意を突けるからだ。


(動かない、レヴォルの速度に反応できてない! 見せかけのハッタリなんて、忍者には意味がないって教わったはずだよ、お兄ちゃん!)


 一切動かない彼は、攻撃を目視できていない。恐らくあの覇気もこちらを脅すだけの苦肉の策で、撤退してくれるだろうと一縷の望みを賭けた張子の虎にすぎない。確かにリヴォルを恐れさせた気迫は大したものだが、所詮は気迫。こちらを傷つけることはできない。

 ならばレヴォルは頭を叩き潰し、動けなくなった彼の四肢を鎖鎌で引き裂くのみ。その頃には人形のエネルギーも枯渇するだろうし、あとは持ち帰る準備をしてから滝の上の三人を始末し、山を下りればいい。

 瞬間的な思考の間に、レヴォルはフォンの眼前で、鎖を撒いた拳を振りかざしていた。

 仕留めろ。叩き潰せ。リヴォルはほくそ笑み、レヴォルは拳を振り下ろし、そして――。


「――――えっ」


 果たして、フォンの体に、鎖と腕撃は命中した。

 ただし、彼の右手――レヴォルの暴行を防いだ腕は折れもせず、彼は怯みもしなかった。

 振動も、衝撃も、威力も、全てが彼の腕に吸収された。直撃すれば岩を砕き、内臓を容易くかき混ぜる人形の一打を、フォンは腕一本で簡単に受け止めてしまった。しかも掌ではなく、盾のように翳した腕だけで。


「レヴォルッ!」


 反射的にリヴォルが叫び、レヴォルが動いた。命令を聞かないと言ってはいたが、姉妹の繋がりがあるのだろうか、人形は殆ど彼女に呼応して戦っている。

 自ら腕を弾くと、今度は打撃ではなく武器に頼る。鎖を解いて鎌を振り回し、もう片方の手で刃を構え、超至近距離で左右から攻撃を仕掛けた。

 腕の速度に加えて武器の加速。これならばどうだとばかりに放たれた攻撃だったが、フォンはなんと、一切目視すらせずに、左右の人差し指と親指だけで、刃面を掴んでしまった。


「なっ……!?」


 今度こそ、リヴォルは驚愕を隠せず、体から血の気が引いた。

 目視している状態ですら回避が困難だった武器による攻撃を、フォンはリヴォルを睨みながら防御した。しかも、さっきまでとは比べ物にならないほど、とてつもない力で掴んでいる為か、今度はレヴォルが動けなくなっている。


(レヴォルの攻撃を指一本で!? どんな怪力なのさ!?)


 手の甲に血管が浮き出るほど力を込めたフォンに驚くリヴォルだが、これで終わりではない。彼が刃と鎖鎌に力を込めると、みしみしと嫌な音が鳴り響く。


(ま、まさか!? 忍者が使う超硬質鋼製の暗器と武器を、素手で砕くつもり!?)


 正しく、リヴォルの予想通りであった。

 フォンが目をかっと開き、指先を捻ると、彼に向けられていたレヴォルの武器がへし折れた。忍者の武器は並の刀剣よりも遥かに鋭く、硬く作られており、本来ならば同じような剣と唾ぜり合っても負けないどころか、敵の武器を割ってしまう場合もあるはずだ。

 なのに、フォンの腕力は忍者特製の武器に勝った。常人どころか、同じ忍者ですら難しい芸当を、彼は顔色一つ変えずにやってのけたのだ。

 首のないレヴォルですら、何が起きたのかを理解できていないようだった。そんな彼女の目を覚まさせるかのように、フォンは一回転すると、人形の胴体に回し蹴りをくらわせた。

 ただの蹴り。ただそれだけなのに、レヴォルの体が空間諸共軋み、残像を残して叩き飛ばされてしまった。どうにか姿勢は保っていた人形だが、蹴られた箇所が凹んでいる。

 自分の隣まで蹴飛ばされた人形を見て、リヴォルはまたも汗を流す。


「……レヴォル、私も行くよ。二人じゃないと、お兄ちゃんは倒せない」


 人形が返事をしないと知っていながら、リヴォルは彼女の隣に並び立つ。

 一方でフォンも、ただ敵の攻撃を待つだけではなくなったようだ。その証拠に、破けたパーカーを脱ぎ捨て、内側に備え付けてあった黒い細縄を引っ張り出した。縄の先には何かが繋がっていて、それらも同時にぼろぼろの衣服から取り出された。


「――ッ!?」


 じゃらりと音を掻き鳴らすそれらを目の当たりにして、リヴォルは絶句した。

 一体、こんなものを服のどこに隠し持っていたのか。

 フォンが引きずり出し、両手に握り締めたのは、無数の苦無を括りつけた黒い細縄。針鼠の棘の如く、剣山よりも鋭く煌めく苦無が、けたたましい音を立てて地に落ちた。

 忍者は服の内側や体内に武器を隠し持っている場合が多いが、だとしても限度がある。フォンがこれまで手足だけで防御し、胴体に一撃も入れさせなかったのは、この凄まじい武器群を隠す為だったのだ。

 ただの苦無の群れならば、リヴォルもぞっとはしない。

 彼女が警戒しているのは、苦無を縄で繋いだだけのそれが、忍術だと知っているからだ。


「忍法・禁術――『百連苦無』」


 百本の苦無を手足よりも己の体として操る、凶悪な禁術であると。

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